シネマ情報 - 逗子開成ニュース

映画『PK ピーケイ』鑑賞文ご紹介

2017/10/09

映画「PK ピーケイ」鑑賞文

中3・高1の生徒がインド映画「PK」を鑑賞しました。地球を偵察しにやって来た宇宙人PKは、目にするもの全てが新鮮。中でも「宗教」や「神様」の存在に大きな疑問を抱きます。

【注意】鑑賞文は時に映画の重要な内容や結末に触れる場合がありますので、お気を付け下さい。

高1 Y君
 
 僕も「宗教なんて」と口にしたことが人生で数回はある。うそっぱちだとか、一番稼ぎやすい職業だとかいうことだ。
 この映画の監督もまた、僕と同じように宗教について考えたことがあるのだろう。「かけ間違い」や「恐怖ビジネス」なんて言葉をうまく使って、宗教の嘘とも言うべき部分を示していた。率直にそんな所はおもしろい。
 だけどこの映画はそれだけで終わらなかった。PKの「兄弟」は、宗教を守ろうとするテロリストにより死んでしまう。
 無闇に宗教を否定するだけでは間違いなのだ。どうしても頼るものがなくなって、宗教にしか頼れなくなった人達だっている。そういう人達の宗教を取り上げるようなら、それはそっちの方が悪なのだ。PKはそれを理解した上でこう続ける。人に頼られるはずの宗教でも、それが間違った方向に人々を動かしてしまうなら、「かけ間違い」のイタズラの所為で、くだらない理由でジャグーとサルファラーズの間が引き裂かれてしまう
のなら、そんな宗教は「消えろ」と。
 宗教の良い所も悪い所も映した映画だと思った。頼られることはあっても、人々をおびやかすようなことを宗教がしてはならないのである。これからも世界に宗教は残りつづけるだろうけど、くだらないことで「クツしか残らない世界」になってしまわないよう、ジャグーとサルファラーズやジャグーのお父さん、そしてPKの間の様に、宗教なんかに呑まれることのない強い愛に溢れた世界になるようにしたいと思った。


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映画「帰ってきたヒトラー」鑑賞文ご紹介

2017/04/09

映画「帰ってきたヒトラー」鑑賞文

2月に、中3の生徒が鑑賞しました。ヒトラーが現代のベルリンに甦り、モノマネ芸人として大ブレイクするのですが、いつしか再び大衆の支持を集め始めてしまう・・・という内容です。出だしはコメディーですが、ラストは辛辣です。

【注意】鑑賞文は時に映画の重要な内容や結末に触れる場合がありますので、お気を付け下さい。中3 I君  「今、この映画の危惧している事が起きている。」僕はこの感情を一番に感じた。  この映画は1945年に死んだはずのヒトラーが現代のドイツに戻ってくるという設定の物語である。テレビ会社を解雇された記者のザヴァツキの推薦でテレビ番組に出演し、人気を集めるが、犬を撃ち殺した映像を取り出されクビになってしまう。そんな時でもドイツ全国を回って、人々の不満を聞いていく。この場面では実際に普通の民間人の意見なのでとてもリアルであり、こんなに不満を持っている人がいるのかと驚いた。さらに不満の多くは外国人の流入についてであった。これこそがヒトラーにとって一番不満をあおりやすいポイントである。僕が「この映画の危惧している事が起きている。」と感じるのはこの外国人流入の不満をあおっていくやり方をアメリカ大統領のトランプ氏が現実に行っているからである。  映画の最後の台詞「好機到来だ」にはぞっとした。トランプ大統領にとって今はまさに「好機到来だ」なのだろう。  しかしそれよりもっと恐ろしいと感じるのはそのような人物を指導者に指名してしまう国民である。映画の中には「私を選んだのは国民たちだ。私は人々の一部分なのだ。」というヒトラーの言葉がある。この言葉に含まれているメッセージは、不満をあおりさえすればいつの時代でもヒトラーのような人物が出てくることができるということだと僕は思う。  そして映画全体のメッセージでもあると思う。だからこそ簡単に自国第一主義や排外主義をとってはいけないと思う。

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映画「オデッセイ」鑑賞文

2016/12/24

11月11日に、中1・中2の生徒が鑑賞しました。宇宙飛行士である主人公は、不慮の事故で火星にたった一人、取り残されてしまいます。地球からの救援を待つのに手持ちの食料は不十分で、どう考えても絶望的な状況です。しかし主人公は持ち前の明るさを武器に、サバイバルに果敢に挑戦し続けます。そして...
監督はリドリー・スコット、主演はマット・デイモンです。


【注意】鑑賞文は時に映画の重要な内容や結末に触れる場合がありますので、お気を付け下さい。

中2 W君

 僕がオデッセイを見て思ったことは、人間の力はすごい、ということと、仲間というのは素晴しい、ということです。
 主人公の、マーク・ワトニ―は事故で火星に独りになってしまいます。次に人が火星のもとに行くには、一年以上かかります。当然そこまで食料は無く、火星にも何もありません。そんな絶望的な状況の中、マークは自分の頭、科学の力を駆使して、食料の生産に成功します。地球との交信にも成功し、生還の可能性が出てきます。しかし、アクシデントがさらに起き、食料を作ることができなくなってしまいます。それでもマークはあきらめず、自分のできることをやりました。一方地球のNASAでも、彼の救出に力を注いでいました。彼の食料が尽きるのは時間の問題となった時、急いで物資を送るも失敗。そこで他の国と協力して、彼の救出へ彼のクルーを向かわせました。そうして、マークは宇宙空間で無事助けられました。
 僕はこのことから、人間のすごさを知りました。信じられないくらい遠い場所の一人を助けることはほぼ不可能だと思いましたが、それを可能にしてしまう頭脳を持っています。科学の力はすごい、とよく言いますが、それを作りだしたのは人間なのです。
 マークを助ける、となった時、彼の仲間たちは全員が行く、と言いました。それぞれに大事な人がいるのにもかかわらず、しかも死ぬ可能性が高いというのにむかっていく姿には感動しました。仲間というのはすばらしいと思いました。
 科学の力はすごい反面、その使い方に十分気を付けるべきだと思います。皆が良いことに使っているわけではありません。僕はそういう人たちのそういう考えがなくなり、人間というもののすばらしい知恵を、人助けなどに使ってほしいと思います。

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映画「ブリッジ・オブ・スパイ」鑑賞文

2016/11/21

9月26日に中3・高1の生徒が鑑賞しました。米ソ冷戦時代に実際に行われた、スパイ交換をめぐる驚愕の実話です。監督はS.スピルバーグ。主演はトム・ハンクスです。


【注意】鑑賞文は時に映画の重要な内容や結末に触れる場合がありますので、お気を付け下さい。
 

高1 O君

 僕はこの映画を見て、とても興味深く感じた。なぜなら、鑑賞している人を引き込ませ、考えさせる為の工夫がたくさん仕掛けられていたからだ。

 まず、この映画の展開の速さには驚きである。最初は主人公であるジム・ドノヴァンが弁護士として、ソ連スパイを死刑から減刑、そして無罪にまでさせる為に戦うはずが、裁判は早々に終わり、米ソ間での捕虜スパイの交換を交渉するという壮大なストーリーに発展して、鑑賞者は気を抜いていると置いていかれそうな勢いである。そして早いだけでなく、スパイ交換のシーンなどの緊張する場面では逆にゆっくりと進み、見ている側をドキドキさせるのである。

 次に我々が引き込まれる要素は、所々に出てくる、ある2者間での対比だ。1つ目として上げられるのは、アメリカの中での平和と当時ソ連側にあった国々の荒廃した姿の対比である。数あるそのような対比の中で一番印象に残ったのは、"壁"のシーンである。ドノヴァンは、東独と米にて列車に乗り、その中から壁を乗り越えようとする人々の姿を見る。一方は、必死になって越えようとして軍隊によって射殺され、もう一方は無邪気に遊びながら壁を越える子供の姿であった。この描写はとても平和の大切さを訴えかけてくる。もう一つの対比として忘れてはいけないのが、アメリカとソビエトの対比である。両国は経済主義のみで比較されるのではなく、国内情勢や治安などのあらゆる面で対照的であった。基本的には、アメリカが良く見えて、ソビエト連邦が悪く見えてしまう。ただここで忘れてはならないのが、この映画がアメリカの映画ということである。つまり、少なからずとも誇張等が存在するのである。僕はこの映画だけで、冷戦を判断せず、ソ連側の目線からも見たいと思う。

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映画「黄金のアデーレ」鑑賞文ご紹介

2016/09/15

映画「黄金のアデーレ」鑑賞文


7月7日に高2・高3の生徒が鑑賞しました。82歳の老婆マリアが駆け出し弁護士ランディと共にオーストリア政府を相手に裁判を起こします。それは戦時下にナチスに略奪された、マリアの叔母をモデルに画家クリムトが描いた名画"黄金のアデーレ"の返還要求でした。奪われた名画が辿った数奇な運命を描いた、実話を基にした感動のドラマです。

【注意】鑑賞文は時に映画の重要な内容や結末に触れる場合がありますので、お気を付け下さい。
 

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高3 A君

 冒頭の二人が出会うシーンでマリアが言った言葉が印象的だった。
「過去を忘れさせたくないの。みんなすぐに忘れるから。若い人は特に。」
 この言葉にマリアが絵を取り戻す理由が詰まっていると思った。マリアにとって、姉やアデ―レ、両親たちとオーストリアで暮らした過去は、懐かしく、美しい思い出であったとともに、ナチスの台頭によるアメリカへの亡命のために打ち切られ、両親と別れざるをえなかった悲しい記憶でもあった。しかし、マリアは思い出したくない過去に踏み込むことを決意し、絵の返還を求めた。彼女にとって絵を取り戻すことは、絵を元の所有者に戻すことではなく、彼女がオーストリアで両親や叔母たちと過ごした美しい記憶を甦らせるということだったと思う。
 マリアに協力したランディも、過去を見つめ直し、記憶を甦らせることを動機として行動を起こし始めたのだと思う。オーストリアで彼は、ナチスに迫害されて殺害された人々に思いをはせ、絵の返還へ向けて全力を尽くすことを決意した。彼が調停の場で語った言葉も、マリアの冒頭の言葉に通じるものがあった。彼は調停の場で、不当に回収された絵の返還を求めるとともに、ナチスに加担し、ユダヤ人の迫害に手を貸してしまった過去を見つめ直し、過去の罪を認め、償いをすることを選択するよう語った。「過去を忘れさせず、記憶を甦らせる」という信念が印象に残る映画だった。

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映画『あん』鑑賞文紹介

2016/07/01

映画「あん」鑑賞文

6月8日に中1・中2の生徒が鑑賞しました。どら焼き屋を営む男性と、粒あん作りの腕を買われて働くことになった老女との、心の交流を描いた作品です。

【注意】鑑賞文は時に映画の重要な内容や結末に触れる場合がありますので、お気を付け下さい。
 

中1 S君

 逗子開成中学に入って初めての映画鑑賞。作品名は「あん」だった。
 この作品は、あるどら焼き屋に、一人の老女がやってくるところから始まる。そのどら焼き屋の店長、千太郎や、店の常連の中学生、ワカナの人生はその老女、徳江と出会って大きく変わっていく。そんなストーリーだ。
 最初、この映画を見る前、僕はつまらないだろう、途中で寝ようなどと考えていた。しかし、いざ蓋を開けてみると、作品で映し出されていた情景に、現実で起こっている社会問題の深刻さを教えられたような気がした。それは、世間において忌み嫌われた病の患者であり、前科を持つ者であり、大人に権利を奪われた者であった。その姿に、僕は心を打たれた。
 僕は、この作品から、「生命は尊い」というメッセージを伝えられたような気がした。作品中にこんな台詞があった。
「人は世界を見るため、聞くために生まれてきた。だから、何もしなくても、私たちには生きる意味があるのよ。」
この台詞に、あのメッセージが込められていると僕は思う。「だから、生命を大事にしないといけない」と、伝えたいのだと思った。
 実際に、徳江や千太郎、ワカナが何を考えているかなど分からない。分かるはずがない。だが、推測することならできる。例えその予想が間違っていたとしても、それは人の心に蓄積され、やがて血となり肉となる。その経験を積み重ね、人は成長していく。その過程で、智恵を身に付けることで、世間から弾かれた人々を救うことができる慈悲深い人間になれるのだと思う。僕は、そんな慈悲深い、優しい人間になりたい。

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映画『ふたつの名前を持つ少年』鑑賞文

2016/03/24

2月10日に中3の生徒が鑑賞しました。ユダヤ人強制居住区から脱走した8歳の少年が、ナチスの執拗な追跡から懸命に逃げ延びる姿を描く、実話に基づいたドラマです。

【注意】鑑賞文は時に映画の重要な内容や結末に触れる場合がありますので、お気を付け下さい。
 

中3  N君

 僕は主人公の少年をかわいそうに思った。それは、ユダヤ人が迫害される様子があまりにも残酷だったからである。もちろん、僕は生まれてから今までそんなに残酷な目に遭ったことはなく、聞いたことはあるが、今日のように映像で見たのは初めてだった。だからこそ、今日の映画は新鮮に感じた。
 残酷な行為を繰り返したというと、ユダヤ人迫害が真っ先に思い浮かぶので、どうしてもドイツが悪いという先入観がある。しかしよく考えてみると、イギリスでも同じような人種差別をしていたことを思い出した。また日本でも戦時中に虐殺を行っていたらしい。他にも同じような事がたくさんあったのだろうと思う。そう考えると、ドイツに限らず世界の各地で差別、偏見はあり、時代とともに薄れていったのだと思う。僕はこれらの問題について詳しくないので、想像になってしまうが、問題の解決には被差別者の努力があったのだろうと考えた。今回の映画でも、話の途中で主人公を孤児院に送った人物も、「我々には君が必要だ。」と言っていたことから、ユダヤ人の差別解放に努めていたのではないだろうか。
 今となっては差別で苦しむ人々も当時に比べたらはるかに減少したのではないだろうか。この減少の裏に彼らの努力があることを決して忘れるべきでないと思う。また、自分が将来、人を傷つけたり、苦しい思いをさせたりせず、困っている人を救っていける人になりたい。

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映画『幕が上がる』鑑賞文ご紹介

2015/12/19

11月19日に、中1・中2の生徒が日本映画『幕が上がる』を鑑賞しました。弱小演劇部員の少女たちが、新しく赴任してきた教師の指導で生まれ変わり、全国大会を目指すという青春ドラマです。

【注意】鑑賞文は時に映画の重要な内容や結末に触れる場合がありますので、お気を付け下さい。


中2  T君

 映画を作る人にとって「俳優をいかに魅力的に見せるか」という課題はとても大きなものだと思う。僕は『幕が上がる』という作品の作り手はこの課題を完璧にクリアしていると断言する。主人公達を演じるのはももいろクローバーZというアイドルグループのメンバー達。僕はこれまで、このグループについてほとんど何も知らなかった。ところがこの作品を観ただけで、ももクロのメンバーの魅力に一気に引きこまれた。この場合の「魅力」とは何も顔のかわいらしさだけではない。部活に一生懸命打ちこむひたむきさ、会話をしている時に見せる喜怒哀楽の表情なども全て含めて「魅力」なのだと思う。実はこれらの「魅力」をももクロから引き出すために作り手側は様々な工夫を凝らしている。
 例えば、本作の前半部分にある主人公のナレーション。一見説明しがちに聞こえるが、主人公の高橋は最初、思っていることをなかなか口に出せないキャラなのだ。つまり表情などで心情を表現しなければならない。このような演技はとても難しいので、ナレーションで説明するというような工夫は観客にも演じる側にとってもプラスに働いている。
 また、高橋と中西がショッピングモールで会話をするシーン。二人の距離が縮まる重要なシーンだ。ここで高橋は汗だくでジャージ姿でリュックを背負っているのに対し、中西は清楚な服を着て、落ち着いている。このままでは二人の距離は縮まらない。ところが、高橋が出した演劇の大会のチラシを見て、中西が思わず高橋の飲み物を手元に持ってくる。この一連のシーンはとてもさりげない行動の連続だが、中西が飲み物を手に取ることで、高橋に心を開いたという意味を持つのだ。
 このように細かい演出や工夫を凝らすことで主人公達のキャラに奥行きが増し、一気に観客は主人公達に感情移入できるのだ。
 これまでチマチマしたことばかり並べてきたが、本作の素晴らしさを雄弁に物語っているのは、「ももクロの魅力に初めて気付いた。」と言う事実だ。とにかく主人公の5人が最高だ。映画を観ているうちにどんどん彼女達に惹かれていき、最後に文字通り「幕が上がる」瞬間に彼女達を応援したくなってしまうほどだ。それだけももクロのメンバーや本作の作り手には人々を虜にする力があるのだと思い知らされた。そして、ももいろクローバーZがなぜこれほど人気があるのかという理由も何となく分かった気がした。

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『SESSION』映画鑑賞文ご紹介

2015/11/10

9月25日に、中3・高1の生徒がアメリカ映画『セッション』を鑑賞しました。音楽大学を舞台に師弟の激しいぶつかり合いを描いた本作は、第87回米国アカデミー賞で助演男優賞を含む3部門を受賞した、評価の高い作品です。

【注意】鑑賞文は時に映画の重要な内容や結末に触れる場合がありますので、お気を付け下さい。


高1  M君

 今回私たちの見た『セッション』という映画は主人公ニーマンが大学の鬼教師フレッチャーの指導を経て、最終的に二度と生まれることのないであろう最高の演奏を成し遂げるという物語だった。
 今回の映画を見て、私はある高校野球の監督の話を思い出した。その人は毎年甲子園に出場するような強豪校の監督で、その監督は全国的にみてもトップクラスのハードな練習を課すことで有名な人物であった。その人はあるテレビ番組の中で次のように話していた。「私は選手を誉めて延ばすようなことはしません。誉めることで延びたと錯覚するのは本当の強さではないからです。本物の選手はきびしい練習の中でもがきながら耐えた者をさし、そのような選手だからこそ私も試合で安心して起用することができるのです。」と。私は今回の映画を見てまさにその話の通りだと思った。今回の映画で教師のフレッチャーは生徒であるニーマンに厳しい試練を与え続け陥れるようなことをしていた。だが映画の最後のシーンではニーマンはフレッチャーをも唖然とさせるような才能を開花させ、二人で最高の音楽を創り上げていった。映画のラストシーンでフレッチャーもニーマンもお互いに笑顔だったのは、前にも書いたように厳しい試練にニーマンが耐えたことでフレッチャーとの間に絶対にゆらぐことのない、絆が生まれたからではないだろうか。
 真の信頼関係を築くことは簡単ではなく難しいことだが、今回の映画を見て、その一つの方法に気付かされたように思う。とても興味深い映画だった。

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映画『壬生義士伝』鑑賞文ご紹介

2015/09/15

映画『壬生義士伝』鑑賞文ご紹介

7月8日に、高2・高3の生徒が日本映画『壬生義士伝』を鑑賞しました。この作品は架空の新撰組志士・吉村貫一郎を主人公に、幕末の動乱を描いた感動作です。

【注意】鑑賞文は時に映画の重要な内容や結末に触れる場合がありますので、お気を付け下さい。

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高3  C君
 義士伝という名の通り義を貫く侍の物語、かと思っていたが、義の話が出てくるのは映画の後半。前半で描かれる主人公吉村貫一郎はずいぶんとお金に執着する、武士のイメージとはかけ離れた男だ。
 しかし、それは彼の家族を思う故の行動であった。全体を通して感じるのは、貫一郎の家族に対する強い思いだ。家族を守るためには脱藩という藩・藩主に対する不義もいとわなかった。そして、これまた、命や家族に執着せず義を貫くべしである侍とはかけ離れた思いだ。ここまでは貫一郎は全く武士らしくない男だと思っていた。
 しかし、だからこそ、故郷南部盛岡で武士の心を説いてきた貫一郎は、もうこれ以上不義はすまいと一途に突っ走ったのだろうか。鳥羽伏見の戦い、幕府側の圧倒的な不利の中で、それでもひとり突き進んだ彼は、まぎれもなく侍の義を貫いたのだった。映画前半の、ぺこぺこと頭を下げお金をせびる姿からは想像できぬ男らしさに胸を打たれた。どの姿も貫一郎の真の姿であるから、その純真さと奥にある本物の侍の心に、初めは彼を嫌っていた斎藤も惹かれていたのだろう。
 ここで終わりかと思いきや、なんと貫一郎は生き延びて親友である大野次郎右衛門を訪ねていたのだった。正直、侍として義を貫いた貫一郎が一度裏切った藩に戻ったことには違和感があった。しかし最後に彼を動かしていたのは、故郷への思い、そしてやはり家族への思いだったのだろう。いつの時代も家族を思う気持ちは変わらないのだと思った。

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映画『トンマッコルへようこそ』鑑賞文ご紹介

2015/07/12

6月10日に、中1・中2の生徒が韓国映画『トンマッコルへようこそ』を鑑賞しました。この作品は、朝鮮戦争の時代に、敵対する兵士達が山奥の村で出会い、最初は争っていたのですが、のんびりした村人の姿に次第に人間らしさを取り戻していくという内容です。

【注意】鑑賞文は時に映画の重要な内容や結末に触れる場合がありますので、お気を付け下さい。

中2 U君

 僕が今回の「トンマッコルへようこそ」を観て一番心に残ったシーンは、一番最後の爆弾が投下されたときのシーンです。そこのシーンまでは一度も笑うことがなかったピョ少尉のあの笑顔はとても格好よく、感動しました。僕は、あの笑顔には安堵の他に、「やりとげた」という喜びの感情が含まれていたと思います。これ以上トンマッコルの人々に迷惑をかけてはいけない。ここで逃げたら後悔しか残らない。ここで逃げてきた人生に方をつける。そういう気持ちがあったのだと思います。そのような意味では、彼らはもう軍人ではなく軍人という肩書きを持ったトンマッコルの住人だったのだと思います。しかし、最後に5人とも死んでしまったのは、これが戦争というものなんだと痛感させられました。そういう戦争の重さというものをしっかり描いていたのがとても良かったなと思います。 
 僕が一番不思議に思った点はトンマッコルの存在そのものです。「いくら山奥の情報が入りにくいような村でも銃も知らない、戦争が始まったことさえ知らない村があるか?」と最初は思っていました。トンマッコルが子供みたいに純粋な村という意味にも納得できました。でもだからこそ彼らは必死になって村を守ろうとしたのだと思います。
 しかし、トンマッコルはこの後、最初に出てきたような理想郷ではなくなったはずです。理想郷を否定し、つぶしていく戦争のむごさに今回の映画を通して改めて気づかされました。

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映画『LIFE!』鑑賞文ご紹介

2015/07/11

2月12日に、中1・中2の生徒がアメリカ映画『LIFE!』を鑑賞しました。この作品は、雑誌社のネガ管理室という日陰の職場で働く妄想癖のある主人公が、紛失したネガを探すうちに世界中を冒険することになるという内容です。画面いっぱいに広がる雄大な景色が印象深い映画でした。

【注意】鑑賞文は時に映画の重要な内容や結末に触れる場合がありますので、お気を付け下さい。

中1 T君
 人には様々な生き方がある。それは学校の、クラスの中でも面白い様に見てとれる。授業中、一生懸命ノートを取り教材を調べている者、必要最低限の内容しか書きとらない者、隣の奴との雑談に異常な熱意を注ぐ者、必死で内職に励む者、まさに多種多様である。生き方というものは、産まれながらに定着してしまっているものなので、変えたくてもなかなか変えられない。テスト前、勉強しないとと、強く思っているのに自習室で遊んでしまった経験は、共感できる人が多いかもしれない。
 この映画の主人公、ウォルターは平凡な暮らしをくり返していた。しかし、妄想の中の世界に入ると彼は180度人間が変わる。勇敢で創造性に富んでいる冒険家へと変身する。私は、この映画において一番ここが共感できた。情けない話だが、私も妄想が好きで存在しない世界に入り浸っている時間はまさに至福の一時であった。
 しかし、ここでLIFE社のスローガンが出てくる。「世界を見よう」この言葉には色々な意味が込められていると私は思う。自分の殻に閉じこもっているウォルターに対する苦言であることはもちろんのこと、ヘリから飛び下りたりサメと格闘したり火山活動に巻き込まれたりと、世界には魅力が詰まっている。その魅力に気付く為に、また啓発する為にショーンは世界中を遊し、シャッターを押し続けたのだろう。写真の中のカメラマンがウォルターに手招きしたシーンには、そんな真意が込められていたのではないだろうか。
 そして、歴代の表紙が飾られているシーンで、一枚だけ存在し得ない表紙がある。ウォルターが宇宙服を着ている写真だ。つまり、外の世界(宇宙)への探求心を示しているのであろう。そして最後は、誰よりもLIFE誌を理解していたウォルターが表紙になる。地味な仕事ではあるが、社の誰よりも真面目に働き縁の下を支えていたネガ管理社員を、ショーンは見抜いていたのだろう。だからこそ、表紙の中のウォルターは新参者のやり手よりよっぽど輝いていた。
 この作品を通じて視聴者に伝えたいのは、広い広い世界を見渡し様々なLIFEを送ること、自分に嘘をつかないで懸命に生きることであろう。自分にも、学業、部活、友人関係など、様々な問題が付きまとっている。しかし、恐れず問題を直視し、挑戦し探求する、それこそがLIFEの真髄なのだと思う。

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映画『標的の村』鑑賞文ご紹介

2015/01/26

中3高1の生徒が、映画『標的の村』を鑑賞しました。この映画は沖縄にある米軍基地への、オスプレイ配備やヘリパッド建設に反対する東村・高江の住民たちの姿を追ったドキュメンタリーです。生徒たちは新聞テレビで知っているはずの問題を、新たな視点で見直すことができたようです。

【注意】鑑賞文は時に映画の重要な内容や結末に触れる場合がありますので、お気を付け下さい。

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高1 M君
 スクリーンに映し出されていたのは、圧倒的なリアルだった。これまでの映画鑑賞で観てきた映画とは一線を画す、ドキュメンタリー形式であるが故の、いっそ暴力的ともいえるリアル。スクリーンから片時も目が離せなかった。登場するのは架空の人物や出来事ではない。現実に起こったこと、現実に生きている人々、その中に演技は一切含まれていない。紛れもない「沖縄の現実」が、私たちの視覚と聴覚に訴えかけてきた。
 オスプレイの配備や、普天間基地の移転等、沖縄の米軍基地に関する問題は知識として知っていた人も多いだろう。私自身もニュースの報道等で度々目にし、状況はある程度把握しているつもりでいた。しかし、現実はそう生易しいものではなかった。想像してみてほしい。自分が住んでいる町が、「軍隊」に囲まれるのだ。彼らは訓練と称して町の上空を飛び回るのだ。オスプレイという名前の「兵器」に乗って。しかもあろうことか、彼らはあなたの住んでいる町を、自分たちの「標的」だと想定して訓練しているのだ。そんな状況に耐えられるだろうか。
 沖縄の人々は抵抗していた。実際にメディアで報道されたのは氷山の一角に過ぎなかったのだと痛感した。と、同時にショックを受けた。そこにあったのは、同じ沖縄県民同士、同じ日本人同士の争いだった。私たちが作り上げた日本政府の暴力に懸命に抵抗する、私たちと同じ日本国民の姿だった。そこに武器は無かった。けれども間違いなく、それは「戦争」だった。日本という国で起こった「内戦」だった。
 これを間接民主主義制の多数決主義による、ただの少数派の排除だと考えていいのだろうか。私たちは沖縄の現実を殆どなにも知らされないまま、ただ政府の決定を受け入れるだけだった。沖縄県民以外の日本国民全員が沖縄の状況を知っていたとしても、事態は同じように進行しただろうか。今の日本の政治は、政界の上層部の一部の人々によっていいように動かされている節がある。集団的自衛権の一件にせよ、消費税増税の一件にせよ、これからの日本の政治の在り方について、今一度考えなおす必要があるのかもしれない。

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『そして父になる』鑑賞文ご紹介

2014/11/17

本年度の高2・高3生徒は『そして父になる』を鑑賞しました。

とてもテーマの重いこの作品。どのように読み解いたのでしょうか?鑑賞文は様々でしたが、一作品をご紹介します!

【注意】鑑賞文は時に映画の重要な内容や結末に触れる場合がありますので、お気を付け下さい。

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高3 A君

 この映画のタイトルは「そして父になる」だが、自分が男性だということもあってか、久しぶりに見る前から興味を持つことのできる作品だった。初め想像していた内容は、病院で子供を取り違えるという事故から始まる話というものだったが、実際はそれが故意に行われていたというものだった。そのようなことが許されて良いはずはないのだが、犯人は法で裁かれることはなかった。そして、そういった事件に巻き込まれた二つの家族はとても対照的なものだった。生活だけではなく、考え方までもが異なる二つの家族、そしてその家族の中心にいる「父」という存在。その「父」がどう変わり、家族の形はどう変わっていくのか。そういった作品だったのだろう。

 まず一つ目の大きなテーマは、親子という関係で最も重要なのは「血縁関係」なのか、「一緒に過ごした時間」なのかというものだろう。確かに、親子なのだから血縁関係が重要だろうという考え方も分かるが、私は、一緒に過ごした時間が大切なのではないかと思う。長い間一緒にいることで愛情も湧くだろう。それに、よく言われているのが、「子は親を見て育つ」というもので、やはり子供にとっての親というものは、目の前で見て、触れることのできる存在なのではないだろうか。この作品の中でも、親がストローを噛んでいると、子供も同じことをしていた、なんてシーンもあったくらいだ。

 そして二つ目は、子供を金で買うことができるのか、ではないだろうか。一般に考えると、それはおかしい考え方だろう。しかしこの作品の主人公はそれができると思っていた。この考え方が変わっていくのも、大事な流れの一つだったように思われる。

 本物の父親というものがどういったものであるかは私には分からないし、この作品の中に出てくる二人の父親のどちらが正しい父親なのかということも分からないが、子供にとって父親の存在はとても大きいものなのだろう。

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映画鑑賞『そして父になる』

2014/09/24

9月24日(木)高2・高3生徒全員が、映画『そして父になる』を鑑賞しました。

第66回カンヌ国際映画祭審査員賞受賞作としても有名です。

映画チラシには印象的なコピーが。

「6年間育てた息子は他人の子でした」

「愛した息子を"交換"できますか?」

「6年間育てた息子は、病院で取り違えられた他人の子だった。

 家族に起きた〈事件〉を通して、その愛と絆を描いた衝撃の感動作。」

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高2・3生徒はどのような感想を抱いたのでしょうか?

後日ご紹介します♪

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映画『麦子さんと』鑑賞文ご紹介

2014/09/19

中学1・2年生が鑑賞した映画『麦子さんと』の鑑賞文をご紹介します。

【注意】鑑賞文は時に映画の重要な内容や結末に触れる場合がありますので、お気を付け下さい。

中1 T君

 のんびりした映画だなあ。「麦子さんと」を見終わった後に思ったことだ。派手な銃撃戦も爆発もない。映像ものどかな田舎の風景ばかりだ。主人公の住んでいる場所は東京だが、美しい夜景も超高層ビル群も少ししか出てこない。また、ストーリーも淡々としている。感動作であるが、泣けるような場面はそんなに多くはない。つまり非常にあっさりとした映画なのだ。
 しかし、よくよく考えてみるとハッとするようなことがある。それは、麦子さんが始まりと終わりで大きく成長しているところだ。変化ではなく、成長したのだ。周囲の環境によって、主人公達が変化しても、主人公達が人間的に成長しなければ何の意味もない映画になってしまう。
 では、麦子さんはどこが成長したのか。まず冒頭、駅員に「どこかで見たことがあるなあ。」と声をかけられる。この時、麦子さんは無愛想に返事をするだけである。しかしラスト近く、もう一度同じ言葉をかけられると、今度は微笑んで返すのである。ここでは麦子さんに相手の気持ちを考えるという成長が生まれているということを表している。
 また、自分の兄が母親と和解できず、母の葬式で孤独に涙を流しているところを麦子さんは見てしまう。だからこそ、母の故郷へ戻った際に、宿の女将に暴力を振るい、金をせしめる女将の息子に強烈なビンタをかますのだ。兄のように悲しい思いをしてほしくないという、思いやりの精神が麦子さんに生まれたのだ。これも大きな成長である。
 このようにこの映画の根底には深いテーマが流れているのだ。それらを穏やかな画面の中で表した本作は紛れもない傑作だと思う。

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映画『舟を編む』鑑賞文ご紹介

2014/07/17

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【注意】鑑賞文は時に映画の重要な内容や結末に触れる場合がありますので、お気を付け下さい。
 
高1生徒 Yくん

 今回観た映画は、辞書を作る仕事を取り上げた物だった。当然、この仕事はそれ程人気のある物でもないし相当マイナーな職業であることは確かだろう。しかし、この映画にはだからこその良さがあったように思う。
 辞書はきっと大半の人が使ったことがあるだろう。最近は電子辞書が普及してきたものの紙の辞書がやはりベーシックに尚普及している。やはり昔から使っている物を次の代へうけ継ぐ人間の性質による物だろうが、これは辞書を作る側の人にも言えると映画を見て思った。人気のない仕事ながら、昔からのその仕事をひたむきにこなし、次の世代へと受け継がれていく。この仕事にただ一所懸命にうちこむ人々の姿は美しかった。表に出ることもなく目立たない仕事かもしれない。しかし我々にはなくてはならない仕事である。こうした小さな仕事の上に自分らの生活は成りたっているのである。
 私達はもう高校生になった。大学受験のことを考える時期である。大学と就職は切れない関係にあるから即ち大学受験を考えるのは職業を考えることにもなってくる。正直、ある程度興味のある職業はあるものの、これだと確信をもてる物がない。いや、どちらかといえば"知らない"と言うべきかもしれない。自分は仕事について知らなさすぎるのだ。だが前述の通りこの世は様々な仕事で溢れている。その中から自分に見合う、そして一生うちこめる自分なりのやりがいのある仕事を、――それこそこの映画の主人公のように――見つけられたらいいなと思った。
 だからこの映画に登場している人に少し憧れたのだ。自分の仕事を見つけてそれに打ち込んでいる姿が美しかった。自分もいつかああなりたい。そしてこの世は仕事で溢れている。道は無限にあるのだ。自分の事だからここからは自分で調べて自分で歩む。そんなことを考えさせられた映画だった。

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映画鑑賞『麦子さんと』

2014/07/09

7月9日(木)中1・2生徒全員が映画『麦子さんと』を鑑賞しました。

映画チラシには、次のようにあります。

「あなたのこと、母親だと思っていないから―

 私たちを捨てたお母さんが突然死んだ。

 私とお母さんの物語はそこから始まる―。」

「声優をめざすアニオタ女子、という現代っ子を演じた堀北真希。

 親に無関心だった麦子が母の青春に巻き込まれ、やがてひとりの女性として

 成長していく道のりを等身大で演じる。」

本作品をみた本校中1・2男子生徒たちは、どのようなことを考えたのでしょうか。

また、自分自身の母親や家族に対して思いをはせることはあったのでしょうか。

彼らが書く感想文がとても気になります♪

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映画鑑賞「舟を編む」

2014/06/11

本日、中3・高1生徒が映画「舟を編む」を鑑賞しました。

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本校生徒は、必ず毎年2本の映画を鑑賞します。

放課後にも上映されますので、他学年の生徒もみることができます。

DVDなどを通じて簡単に映画を鑑賞することのできる時代ですが、

映画館のスクリーンで作品の世界に没頭することの大切さや

鑑賞後に同年代の生徒と意見交換をすることによって得られる気づきは、

何事にもかえられません。


本日鑑賞した生徒はどんなことを考えたのでしょうか?

いずれ感想文もご紹介します♪

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2月の映画 [鑑賞文]

2014/03/15

映画「飛べ!ダコタ」 生徒の鑑賞文

【注意】鑑賞文は時に映画の重要な内容や結末に触れる場合がありますので、お気を付け下さい。
 
中2F 榊 健汰

 私は『飛べ!ダコタ』を見て、半年前まで敵だったイギリス兵に手を貸し、村に住む人全員でピンチを乗り切ろうとする高千村の人々の精神に感動した。なぜなら、もともと敵である人々に手を貸すということはとても難しいことだと思ったからだ。敵に手を貸すということは、身内を殺されたことへのうらみや憎しみを乗り越え、さらに殺されてしまうかもしれないという恐怖にもうち勝つということである。もし自分の父親が海外の兵士に殺されたとしたら、その国の兵士を絶対に許せないと思う。だから身内を殺した国の兵士に手を貸すという行為ができる高千村の人々の精神に感動した。

 そしてイギリス兵の日本人に対する優しさにも感動した。戦地に行って死んでしまったかもしれない息子をもつ母親への態度や、怖がっていた子供にアメをあげるという心づかいは、日本人にはあまりない思いやりだと思った。宿を貸してくれたり、協力してくれた人々に対して戦争の勝者だといばらずに、しっかりとお礼をしたことは当たり前ではあるがとても良いことであると思う。

 この作品は日本人とイギリス人のいい所をしっかりとえがき、見ている人々に感動をあたえてくれるとても良い映画であったと思う。もしもう一度この映画を見る機会があれば、今回以上にもっと深く考えながら見てみようと思う。 

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2月の映画 「飛べ!ダコタ」

2014/02/15

2月の映画 「飛べ!ダコタ」(日本映画)

監督:油谷誠至

出演:比嘉愛未、窪田正孝、柄本明

物語:終戦間もない佐渡島の小さな村で起きた実話の映画化。1946年1月、高千村の海岸にイギリス軍の要人機「ダコタ」が不時着する。わずか5ヵ月前まで敵国だったイギリス兵に対し、村人たちは葛藤を抱きながらも、村長の「困った者を助けるのが佐渡の精神だ」という言葉に、村を挙げて温かくもてなすことに決めるのだが・・・

 

2月12日(水)に、中1中2の生徒が鑑賞しました。 

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11月の映画 [鑑賞文]

2014/01/05

映画「きっと、うまくいく」 生徒の鑑賞文

 

【注意】鑑賞文は時に映画の重要な内容や結末に触れる場合がありますので、お気を付け下さい。

 

高1B 高橋洋仁  

 私は「きっと、うまくいく」を見て、気持ちがとてもポジティブになりました。私は今まで、「努力してもどうせ成功しないだろう。」などと考え、努力せずに楽な方に逃げてしまうことがよくありました。しかし、この映画の作中で、ランチョーが「心は弱いから麻痺させることが必要だ。」と言っておまじないの言葉、「うまくいく(All is well)」と胸に手を当てながら唱えているのを見て、「自分だけじゃない、みんな怖いけど頑張って努力しているのかな。」と思えました。そう考えると何故か、気持ちが軽くなり、「頑張ってみようかな。」と思えるようになりました。

 また、将来についても考えさせられました。映画を見たとき、私は進路のことで悩んでいました。しかし、またランチョーが、「好きなことをやった方がいい。」とファルファーンを説得し、夢をかなえさせるシーンを見て、私もそう思いました。しかし、映画だから上手くいっているのであって、現実ではあんなに上手くいかないことはわかっています。努力しても成功しないかもしれない。それでも上に書いたように、頑張ってみようかなと思えました。

 私はこの映画を今の時期に見れてとても良かったです。この映画のおかげで頑張ろうと思えたり、進路についてよく考えさせられました。これからは、失敗ばかりを恐れ楽な方に逃げたりせず、頑張りたいです。また進路も将来後悔しないよう考えたいです。

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11月の映画 「きっと、うまくいく」

2013/11/29

11月の映画 「きっと、うまくいく」(インド映画)

 

監督:ラージクマール・ヒラニ

出演:アーミル・カーン、R・マドハヴァン、シャルマン・ジョシ、カリーナ・カプール

 物語:エリート大学の学生ランチョーは、天才肌の自由人。学歴偏重社会に反旗を翻して、2人の親友と共に学園生活を謳歌するが、ある日対立する学長の娘ピアと出会って恋に落ちてしまう...。

 

11月22日(金)に、中3高1の生徒が鑑賞しました。

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9月の映画 [鑑賞文]

2013/10/21

映画「ライフ・オブ・パイ/トラと漂流した227日」生徒の鑑賞文

【注意】鑑賞文は時に映画の重要な内容や結末に触れる場合がありますので、お気を付け下さい。

高3D 西田白峰

 正直な気持ちを吐露するならば、はじめ見終わったときには、取り留めのない話だとしか思えなかった。辛うじて神への信仰は伝わってきたが、魚を殺したときのほかは特にいのちを貴ぶような様子もみられず、奇特な人物というわけでもない。自分の神に対する価値観とも相容れず、神の名を叫ぶことで神の押し売りをされている気さえした。  しかしほかの人の話を聞いてみるとどうも、ただのぱっとしない「トラとの漂流記」ではないようなのだ。「そもそもトラとの話はパイの作り話で、ふたつ目の内容こそが本当にパイが経験したものなのではないか」という意見さえあり、僕もその意見に従いたい。そもそもあらすじを知った際に、何故わざわざ第三者に対して主人公が語るという興ざめな形式をとる必要があるのかと憤慨を覚えていたのだが、その理由さえもここに収斂してしまうのだ。つまり、語り・騙りという行為を通してパイの嘘から本質を見抜くことこそがこの話の主題なのだ。そこへの大きな足がかりとしてパイの語ったふたつ目の話と、小説家の洞察のことばは用意されていた。  「トラとの話のほうが良い話だ」と小説家が述べた折、パイはその同意に感謝を示した。彼には動物に仮託した物語としてそれを語りたい気持ちが強くあったのだ。  「トラ」が小説家の言ったようにパイ自身の投影であるならば、彼は生命の危機に瀕し顕露させてしまった内に秘めたる猛獣を、神への信仰という理性、そして神の助けによって飼いならしたが、危機が去れば猛獣もまた風のように去ってしまい、それを彼は惜しんでいた、と考えることができる。彼の見た「トラ」こそ、彼の本質たるものだったのだ。自らの内奥に潜むものをも引き括めてこそ自身の姿なのであり、それを掴めなかったことは、自らを見失ったにも等しい。  彼がトラの寓話を練り、語り始めたのは多くの事実を受け入れ難かったからなのかもしれないが、年月を経てなお同じ話を繰り返すうちには、明らかな心情の変化を窺える。トラという仮の姿を与えることによって、彼は本当の自分を、自分の弱さを知り得た。そしてその弱さを受け容れることこそが彼の望んだ「ハッピーエンド」なのだ。小説に仕立ててもらう心構えでいたのも、彼がいまだその「トラ」を希求し続けているからなのかもしれない。

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9月の映画

2013/09/24

9月の映画 「ライフ・オブ・パイ/トラと漂流した227日」

監督:アン・リー

出演:スラージ・シャルマ、イルファン・カーン、アディル・フセイン

物語:インドで動物園を営む家庭に育ったパイ少年。彼が16歳の時に、一家はカナダに移住することになったが、乗り込んだ船は嵐に遭遇し沈没。残されたのは救命ボートに乗り込んだパイとベンガルトラだけだった。そこから長い漂流生活がスタートする...。

9月20日に、高2高3の生徒が鑑賞しました。 

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7月の映画 「最強のふたり」

2013/09/02

7月の映画 「最強のふたり」
監督:エリック・トレダノ、オリヴィエ・ナカシュ
出演:フランソワ・クリュゼ、オマール・シー
半身不随の大富豪と、その介護をすることになった貧しい黒人青年の、心の交流を描いた物語。

生徒の鑑賞文(鑑賞文は時に映画の重要な内容や結末に触れる場合があります。ご注意ください)

中2 松下恭輔

 最初は静かな雰囲気で始まったので、しんみりとした感じの映画なのかなぁと思った。しかし、その直後に黒人のドリスが急にスピードを出し始め、あろう事かスピード違反で捕まえようとした警官をだまし逃げてしまう。そうか、これはコメディー映画だったのか、そう思って観始めた。
 この瞬間に僕は、見事に監督の作戦に引っ掛かってしまっていたのだろう。なぜならこの映画は、基本的にはコメディータッチだが、片や元無職の青年、片や半身不随の大富豪、と立場の違う二人がいろいろなハプニングを乗り越える事で、友情を育んでいくというかなり深い物語だったからだ。とても感動する作品だった。
 フィリップは障碍者だからと言って、同情されるのがとても嫌だった。けれども、最初は落とされるために来たドリスは、そんな事もお構いなしにフィリップに接していたため、二人は「最強」の関係を築けたのだと思う。しかし、ドリスが意識してこの様に接していたら、「最強」にはなれなかったはずだ。ドリスが、根が真っ直ぐでそういう性格だった為に、「最強の二人」となれたのだろう。
 例えば、フィリップのサプライズパーティーの時には、フィリップはクラシックを好きなのに、自分のお勧めと言って、アース・ウィンド・アンド・ファイヤーの「ブギーワンダーランド」を流し、皆に踊るように言う等、随分と勝手な事はしている。しかしそれが、結果的に良い方向に転がる。僕はドリスのそういう所が大好きだ。
 僕は、半身不随の人を相手に「同情なし」で接する事ができるだろうか。「大変だな、可哀相だな」と思うことが同情だとしたら、そう思わずに接することは難しいだろう。また、僕はよく他人から、優しい、とか面倒見がいい、とか言われるが、例え自分では同情しているつもりが無くても、優しくして面倒見をよくしたら、同情と受け取られてしまうのだろうか。どこまでが同情でどこまでが相手の望む介助なのだろう?僕には相手の尊厳を傷つけず、介助する事ができるのだろうか。そんな事も考えさせられる映画だった。
 

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6月の映画 「天地明察」

2013/07/01

6月の映画 「天地明察」

監督:滝田洋二郎

出演:岡田准一、宮崎あおい

江戸時代に実在した数学者・天文学者である安井算哲の人生を描いたドラマ。

生徒の鑑賞文(鑑賞文は時に映画の重要な内容や結末に触れる場合があります。ご注意ください)

高1 大西峻介

 私は天地明察を見て、江戸時代の人々の丁寧を感じた。今まで江戸時代の人々は暦なんて気にしてないと思っていたし、ハイレベルな数学の問題を解いているとも思っていなかった。北極星の位置を測るときも近代的な器具を使っていた。この点では全く現代にひけをとらないと思う。しかし、現代と江戸時代で大きく異なる点は丁寧に自らの手によって観測している所だ。現代では自動車・新幹線を使えば全国を容易に回れる。そして機械を使って北極星の観察ができる。さらには、インターネットを使って情報が何でも手に入れられる。それに比べて江戸時代は全国を回るには徒歩しかない。そして地道に観測するしかないのだ。だから重みがある。  これは全ての物事に言えるかもしれない。現代は確かに技術は進歩したと思う。でも、機械がなんでもこなしてくれる世の中で一つの事にかける重みや正確さが欠けてきてるのではないかと思った。  この映画では、目標に向かって努力し続ける場面もあった。一人では成しとげられないことも、力を合わせてみんなでやれば成しとげられるということも分かった。もし、成しとげられなくても力を合わせるという事にも意味がある。力を合わせる事でかけがえのない仲間に出会うことができるからだ。  私も一生懸命に何事にも取りくんでいきたい。もしできなくても、できるまで続けるくらいの意志の強さが欲しい。  日本は今、元気が無くなってきているが、日本は得意とする丁寧さ、正確さ、そして協調性を持って力を合わせ取りくむことが必要だ。だから物事が便利で楽なものになっていくにつれて、なまけるのではなく、全てのことに真剣にけじめをつけて行動し、精進しなければならない。  

 

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3月の映画 「レ・ミゼラブル」

2013/03/12

 小学生のころ、図書館で借りた「ああ無情」の物語を夢中になって読んだ。ジャン・バルジャンに次々と降りかかる運命の苛酷さに、時代背景も、大人社会の事情も、何も分から
なかったけれど、読み終わって激しい怒りの感情に駆られたことを、今でも憶えている。
 19世紀前半のフランスが舞台。フランス革命後に訪れた産業革命により、都市化と工業化が急速に推し進められ、富める資本家と低賃金で雇われる労働者との貧富の格差が大きくなっていった時代。
 主人公のジャン・バルジャン(ヒュー・ジャックマン)は、貧しさにあえぐ子どもたちのために、たった1本のパンを盗んでしまい、逮捕、投獄され、その後19年もの長きにわたり監獄生活を送ることになる。
 監督官のジャベール(ラッセル・クロウ)から仮釈放されたバルジャンの心は、労役に打ちひしがれ、抜け殻のようになっていた。教会の司教が手を差し伸べるのだが、バルジャンは銀の食器を盗んでしまう。それでも、広やかな司教の心に許されたことで、はじめて自分を取り戻すバルジャン。その後は事業を興して身を立て、その人徳からやがて市長の地位にまで上りつめる。彼の人生は好転したかに見えた。
 ある時、ファンテーヌという娼婦(アン・ハサウェイ)と出会い、その窮地を救った彼は、里親のもとで虐げられている彼女の娘コゼット(アマンダ・セイフライド)の救出をも約束する。しかし、バルジャンに危機が襲う。仮釈放の身の彼に逮捕状が出され、まったくの別人が誤認逮捕されてしまったのだ。正直に名乗り出たバルジャンだったが、服役すればファンテーヌとの約束を守ることができなくなってしまう。バルジャンの逮捕を目指すジャベールの追手を逃れ、彼はコゼットに会いにゆくことにする。そして、運命の糸は、さらにもつれ、からまりあってゆく。
 ミュージカル映画の日本での興行収入が、「オペラ座の怪人」を抜き、現在も最高記録を更新し続けている「レ・ミゼラブル」。大河ロマンと呼ぶにふさわしいジャン・バルジャンの壮大なドラマを、美しいメロディーと歌声、そして俳優たちの素晴らしい演技で綴ってゆく。
 シネマ倶楽部として最後の上映となるこの話題作を、どうぞ徳間記念ホールでご覧ください。スタッフ一同心からお待ちいたしております。
(トム・フーパー監督作品/2012年イギリス/2時間38分)

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12月の映画 「一枚のハガキ」

2012/12/07

 太平洋戦争末期、敗色濃厚な時局に徴集された100人の中年兵たち。彼らの運命は、あろうことか上官の引くくじで決まっていった。

 その結果、国内に残留することになった松山啓太(豊川悦司)は、仲間の森川定造(六平直政)から一枚のハガキを託される。それは、定造の妻・友子(大竹しのぶ)の、愛する夫の不在を嘆いた短い手紙だった。定造はくじでフィリピン行きが決定し、もう生きて妻には会えないと覚悟していた。自分の死後、啓太に友子のもとを訪ねてもらい、そのハガキを確かに読んだと伝えてほしいという。啓太は請け合った。友子の独特な文面が、どこか啓太の心にとまったのかもしれない。

 日本は負けた。啓太が生き残り、定造は死んだ。啓太は自分の家に帰宅するが、妻がいなくなっていた。妻は啓太が戦死したと思い、啓太の父親と家を出てしまったのだ。くじのために生き延びたことが皮肉にも思え、いたたまれなくなった啓太。その後、気の抜けたような孤独な生活を送っていたが、ある時、あの手紙が出てきた。

 啓太は友子を訪ねた。彼女は戦争で夫を失ったのち、遺された夫の家族との暮らしを受け入れ、気丈に生きてきた。しかし、今はすべてを失ってしまっていた。くじで生かされた男と、戦争に運命を狂わされた女。一枚のハガキが、戦争で深く深く傷ついた、ふたりの人間の魂を癒す「奇跡」を起こしてゆく。

 

 99歳にして映画を撮るということは、それこそ奇跡に近いことだ。新藤兼人監督の「一枚のハガキ」は、これだけは映画にしておきたいと長い監督生活にわたって温め続けてきた、自身の徴兵体験をもとに、戦争の非道と運命に翻弄される人間の悲しみと強さを描いた、日本映画にとって、まさに珠玉の作品である。

 作品のテーマとなっているこのハガキは、戦争中に監督自身が実際に目にしたものだという。その短い文面は、寂しさと切なさにあふれた、美しい一篇の詩のように感じられる。新藤監督も引いたくじ引きで生き残ったのは、100人のうち、彼も含めわずか6人だったという。

(新藤兼人監督作品/2011年近代映画協会/1時間54分)

2012年度上映作品
No.251 2012 6.10-11 ヘルプ~心がつなぐストーリー~(アメリカ) 中3高1映画鑑賞
No.252 2012 7.8-9 ステキな金縛り(日本) 中1中2映画鑑賞
No.253 2012 9.17-18 サラの鍵(フランス) 高2高3映画鑑賞
No.254 2012 11.11-12 テルマエ・ロマエ(日本)

No.255 2012 12.09-10 一枚のハガキ(日本) 中3高1映画鑑賞

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11月の映画 「テルマエ・ロマエ」

2012/11/09

 古代ローマ帝国は「浴場都市」(?)と言ってもいいくらい、公衆浴場(テルマエ)がけっこうあったそうだ。日本の「浮世風呂」ではないけれど、古代ローマでも風呂場談議や裸の付き合いはあったのかもしれない。

 主人公の古代ローマの浴場設計技師ルシウス(阿部寛)は、職人肌で生真面目な性格が災いしてクビになってしまうのだが、ひょんなことから、我ら日本が誇る公衆浴場、そう、現代の「銭湯」にタイムスリップすることになる。そこで彼は日本の風呂文化の奥深さに触れ、すっかり魅入られてしまうのだ。

このすばらしい風呂を、なんとか我がローマの人びとにも味わってもらいたい。ルシウスは、過密スケジュールで世界を渡り歩くエリート・ビジネスマンのように、古代ローマと現代日本を行き来して、日本の風呂文化を、ローマのテルマエの中に取り入れようとして奮闘するフだった。 やがて、押しも押されぬ技師となった彼に、皇帝ハドリアヌス(市村正親)から浴場設計の依頼がくる。そして......。

 物語は、その後、時空を超えてしまってもう大変なことになってゆくが、そこは見てのお楽しみ。漫画大賞ほか多くの賞を受賞したヤマザキマリの原作はアニメ化されたが、今回、俳優の問題や古代ローマの再現、エキストラの多さなどで「不可能」(!)と言われていた実写版が完成した。

 ローマの人びとを、阿部寛ら、すべて日本の彫りの深い、「濃い」顔の俳優陣が演じているのが大きな見どころ。イタリアでの巨大セットによる撮影や1000人のエキストラを動員した迫力ある映像など、大型歴史大河もかくや、と思わせる出来ばえなのだ。奇想天外な壮大なお話を、これだけ大真面目に映像化した日本映画の実力と、懐の深さに拍手! ぜひ、徳間記念ホールの大画面で味わってください。


(武内英樹監督作品/2012年東宝/1時間48分)  

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