シネマ情報 - 逗子開成ニュース

【シネマ倶楽部】『20歳のソウル』鑑賞文

2023/11/07

10月24日25日に、中学1~3年生が『20歳のソウル』を鑑賞しました。


(作品概要)

浅野大義は市立船橋高校吹奏楽部に所属する男の子。担当はトロンボーン。活発で優しく、真っ直ぐな大義は、いつも周囲を明るく照らし、そして大義自身も部員たちに支えられ、青春を謳歌していた。なにより特別な存在である顧問の高橋健一先生に大きな影響を受け、心身共に成長していった。大義は、市船・野球部のために、オリジナル応援曲の作曲に挑戦。作曲の難しさに葛藤しながらも、ついに「市船soul」が誕生する――

千葉県船橋市立船橋高校に代々受け継がれている応援曲「市船soul」。その楽曲は、市船を勝利へ導く神応援曲としてSNS上で話題となった。その名曲の裏側には、20歳という若さで、短い人生の幕を閉じた浅野大義という青年がいた。彼の告別式には164人の吹奏楽部員が集まり、これまで仲間の背中を押し続けてきた「市船soul」で彼を天国へと送り出したのだ。彼が残した音楽は今も彼の魂とともに生き続けている。

音楽を愛し、たくさんの人々から愛された浅野大義青年の感動の実話を映画化。部活や行事を通じて仲間と日々関わり合う青春ど真ん中の生徒達には、どストライクの作品!!

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※生徒の鑑賞文には映画の内容も含まれますのでご注意ください。

(中3A Tくん)

 私はこの映画を見て、大義君の生き様から沢山のことを学んだ。
 生きて共にあること、それは当たり前ではない。この映画の中でもそのシーンがあった。大義君の部屋の中でのシーンでの「明日だってあるかどうか分からない」という言葉はとても印象深かった。彼はもういつ死んでしまうか分からないという状況だからこそ、残りの時間を"今しか出来ないこと"という高橋先生の言葉を生かし、今を精いっぱい生きようとする姿勢にとても感動した。これは誰にでも出来ることではなく、自分のため、そして他人のためも思い生きようという強い意志があると私は思う。
 友達は自分にない所を補ってくれる存在と言うが、今作品での大義君と彼の友達との関係はまさにというよりもそれを超越していると思う。高校時代の彼らは誰一人として無視せず、仲間を思いやって助け合って過ごしていた。私は自分とは同じではない他人に情をかけることができるのが友情であり友達であると思う。またこのような素晴らしい関係があったからこそ大義君が病気になった時も本人がいないのにも関わらず演奏で励ましたのだと思う。そして大義君が亡くなり葬儀の時、友達の思いというものは、他でもない友情と、感謝、労りなどの様々な気持ちが混ざり合ってできたものであり、私はこれを見て深く考えさせられた。
 また彼には先生という目指すべき場所、目標、存在があってこそ、その友情は生まれたと私は思う。口では反対しつつも納得できる所があった話や先生自身も彼をリスペクトしていたからこそ彼はそのような生き方ができたと私は思う。
 この友情、先生という存在、そしてその他の多くによって彼の価値観、生き方が構築されたと思い、改めて素晴らしい作品だと思った。

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【シネマ倶楽部】『Coda あいのうた』鑑賞文

2023/10/10

9月27日に高校1年生が『Coda あいのうた』を鑑賞しました。


(作品概要)

豊かな自然に恵まれた海の町で暮らす高校生のルビーは、両親と兄の4人家族の中で1人だけ耳が聞こえる。陽気で優しい家族のために、ルビーは幼い頃から「通訳」となり、家業の漁業も毎日欠かさず手伝っていた。新学期、合唱クラブを選択するルビー。すると、顧問の先生がルビーの歌の才能に気づき、都会の名門バークリー音楽大学の受験を強く勧める。だが、ルビーの歌声が聞こえない両親は娘の才能を信じられず大反対。ところが、思いがけない方法で娘の才能に気づいた父は、意外な決意をし......。
アカデミー賞の前哨戦とも言われるサンダンス映画祭で、史上最多4冠に輝き、世界を沸かせた必見の一本。映画祭で上映されるやいなや、各国のバイヤーが配給権に殺到し、サンダンス映画祭史上最高額の約26億円で落札された!
ルビーの家族役には、全員実際に聞こえない俳優たちをキャスティング。
聞こえない耳に届く最高の歌声に、君たちは何を聞くだろうか。


CODA:Child of Deaf Adultsの略語で、聾の親を持つ子どもという意味。
CODA:楽曲や楽章の終わりや曲中の大段落を締め表す音楽記号。新たな章の始まりの意も。

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※生徒の鑑賞文には映画の内容も含まれますのでご注意ください。

(S1E Sくん)

 この映画を見て心に残った場面は二つある。
一つ目は、ルビーの歌の発表会にてろう者であるルビーの家族の状況を無音という形で映像化したところだ。それまでの話の流れを見ていると、耳が聞こえなくても手話を通じて聴者と楽しそうにコミュニケーションを取っている場面が多かったので、見ている自分からすると手話があればそこまでひどい苦労はないのかと勝手に思っていた。しかし、映像がルビーの家族視点に切りかわり無音になると、音が聞こえないために周りをよく見て口元の動きや表情、所作などを必死に観察しても周りの状況に追いつけていけない家族を描いておりとても驚いた。今までの感想は音がある上での感想だったが、いざ音が無くなると感じ方はガラッと変わり、ろう者は想像を絶する苦労を感じていたのか、と思った。
 二つ目は発表会が終わり、家に着いた後、車の荷台の上でルビーの歌を父が聞く場面だ。耳が聞こえないため父は歌うルビーののどに手をあてて歌を感じていた。歌を感じていくにつれて目に涙がたまっていく父の姿を見て自分はとても感動した。本来聞くための歌をのどに手をあてて直接感じ取るという親子の行動に素晴らしいと思った。
 この映画は全体を通してろう者と聴者の関係、ルビーの合唱に対する思いと家業の漁に対する思い、色々な感情が複雑にからみ合っていたが、合間合間に入るユーモアにあふれた表現や主人公ルビーの美しい歌など、バランスが良かった。家族の温かい思い、感情をこの作品を通して感じられ、とても良かった。

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【シネマ倶楽部】『荒野に希望の灯をともす』鑑賞文

2023/07/19

7月4日に高校2,3年生が『荒野に希望の灯をともす』を鑑賞しました。


(作品概要)

アフガニスタンとパキスタンで35年に渡り、病や貧困に苦しむ人々に寄り添い続けた、医師・中村哲。誠実な人柄が信頼され、医療支援が順調に進んでいた2000年、大干ばつに直面し、中村の運命は大きく変わる。渇きと飢えで人々は命を落とし、農業は壊滅。医療で人々を支えるのは限界だと決断した中村は、用水路の建設を決断する。大河クナールから水を引き、乾いた大地をよみがえらせるというのだ。医師にそんな大工事などできるのか? 数々の技術トラブル、アフガン空爆、息子の死......。専門家がいないまま始まった前代未聞の大工事は、苦難の連続だった――
 戦火のアフガニスタンで21年間継続的に記録した映像から、これまでテレビで伝えてきた内容に未公開映像と現地最新映像を加え劇場版としてリメイク。日本では中村の生き方が中学や高校の教科書で取り上げられ、評伝などの出版も続いている。なぜ医者が井戸を掘り、用水路を建設したのか? 中村は何を考え、何を目指したのか? 混沌とする時代の中で、より輝きを増す中村哲の生き方を追ったドキュメンタリー。これは「生きるための」戦いだ。

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※生徒の鑑賞文には映画の内容も含まれますのでご注意ください。

(高3E Tくん)

医師・中村哲がインタビュー中に何度も口にした「平和」という二文字。日本に住んでいては幾度となく聞いた単語である。しかし、私が思うに多くの人々が口にする平和とは安全のことではなかろうか。だが、彼が口にした平和とは往々にして人々が維持する安全ではない。中村哲は平和を乱されたアメリカがその報復と称して行った武力攻撃の下で用水路建設を続けた。世界は平和を取り戻そうとするアメリカをどのような目で見ていたのかは分からない。しかし彼は断じて言った。平和とは誰かの良し悪しを正すものでもなく、悪を成敗した結果でもなく、人々が「生きて」暮らすことだと。私は生まれてからきっと何不自由なく暮らしてきたのだろう。住む家にも食べるご飯にも着る服にも困ったことはない。彼の言う平和とは、これらを全て失って安全でなくとも、心にただ一つの灯を残しつづけることである。ただ「生きる」という灯を。中村医師の命を守ることへの情熱はすさまじく、当初は「医師がどうやって用水路を作るのか」と疑問に思っていた人々も沢山の人々が協力し最終的に皆の力で作り上げたのだった。更に、私が感銘を受けたのは作業中の人々の表情だった。彼らは皆、笑顔だった。このことから言えるのは、中村医師が難民に与えたのは、治療や水ではなく、正に命を灯す希望であったのだ。彼は平和を望み、その手助けをする中で、人々に希望を与えつづけていた。彼は何者かの凶弾に倒れ、今はもうこの世にいない。しかし、今も尚あのアフガンの土地が多くの緑で茂っているのは、用水路によるものだけではなく、彼が守った灯と人々に与えた希望に応えようとする、アフガンの人々のレクイエムではないかと私は思うのだ。

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【シネマ倶楽部】『さかなのこ』鑑賞文

2023/06/28

6月9日に中学1,2年生が『さかなのこ』を鑑賞しました。


(作品概要)

お魚が大好きな小学生・ミー坊は、寝ても覚めてもお魚のことばかり。他の子供と少し違うことを心配する父親とは対照的に、信じて応援し続ける母親に背中を押されながらミー坊はのびのびと大きくなった。高校生になり相変わらずお魚に夢中のミー坊は、まるで何かの主人公のようにいつの間にかみんなの中心にいたが、卒業後は、お魚の仕事をしたくてもなかなかうまくいかず悩んでいた...。そんな時もお魚への「好き」を貫き続けるミー坊は、たくさんの出会いと優しさに導かれ、ミー坊だけの道へ飛び込んでゆくーー。

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※生徒の鑑賞文には映画の内容も含まれますのでご注意ください。

(中2G Mくん)

僕はこの映画を鑑賞して、好きなことを続けることで、人生が豊かになるのだなと思った。正直、今の自分は圧倒的にこれが好きで熱中している、という物は全くない。ただ、たとえ周りからずれていても、それは必ずしも悪いことというわけではなく、むしろ幸せなことなのだろうと思った。もちろん周りをまきこんで迷惑をかけたりするのはよくない。それでも、一つのことに夢中になっている人はうらやましいなと思った。また、一つのことに夢中になることは、支えてくれる他者とのつながりが不可欠だと思った。支えてくれる人達がいるからこそ、自分はなにかに没頭できる。なので、自分は没頭できる物を持ってはいないが、誰かを支えたり、力になったりすることはできるのではないかと思った。さらに支えている側も、だんだん没頭していることに影響をうけ、同じように一つのことに没頭するということがおきる可能性もあり、そして輪が広がっていくということもあるのではないかとも思った。

 この作品は、ユーモア、感動、学べることが全てあり、内容、映像ともに非常に美しい作品でもう一度見たいほどである。もしも周りとは異なる趣味や思考を持っている孤独な存在だったとしても、自分自身を受け入れ、自分の熱中することに没頭することは大切なことだし、幸せなことだと思い、また、それを支えてくれる人もいるのだと思って自分らしく生きるということが大切なのではないだろうか。

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【シネマ倶楽部】『戦火のランナー』鑑賞文

2022/11/08

10月25日26日に中学1~3年生が『戦火のランナー』を鑑賞しました。


(作品概要)

戦争の続くスーダンはどこもが戦場で、子どもはさらわれ、家は燃やされていた。8歳のグオル・マリアルの命を守るために、両親は苦悩の末、彼を村からたった一人で逃すことにした。戦場をさまよい歩くグオルはやがて武装勢力に捕まってしまう。「逃げよう」。彼は夜明け前、走って逃げることに成功する。幸運にも難民キャンプで保護された彼は、アメリカへ移民するチケットを手にする。「もう逃げなくていい」。高校に入学した彼は、走ると他を圧倒。初めて走ったマラソンで2012年ロンドン五輪出場資格を得る。まるで走ることが彼の運命だったかのように――。

しかし、南スーダンが建国されたのはロンドン五輪開催の一年前。国内オリンピック委員会がなく、代表する国がなかった。出場が危ぶまれたが奇跡が起こる。国際オリンピック委員会(IOC)が「国のない男」といわれた彼の個人参加選手としての出場を認めたのだ。そして彼は、祖国南スーダンの人々の期待を背負い走り、完走する。

祖国のため、不屈の精神で走り続けるグオルの人生に感動せずにはいられない。難民からオリンピック選手になったグオルの感涙のドキュメンタリー!

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※生徒の鑑賞文には映画の内容も含まれますのでご注意ください。

(中1D Kくん)

彼は、とても強い人だと思った。私も約一年間ではあるが陸上部長距離ブロックに所属している身として、走るという行為の苦しさや楽しさをある程度理解しているつもりだった。しかし、この映画の主人公、グオル選手は、私が陸上競技に対して思っていることがそもそも無い。私たちにとって走ることは趣味であり、スポーツであるが、彼にとっては略奪や襲撃から逃げるための手段でしかなかった。この事実に、私は強く衝撃を受けた。紛争で何千、何万の人が犠牲になっていることは何となく知っていたが、ここまで人の生き方や考え方を変えてしまうものだとは思ってもいなかった。グオル選手は、「平和」の祭典オリンピックと未だ「紛争」が続いている祖国南スーダンとの間で、民族や考え方の違いに揉まれながら生きていく。どんな問題にぶつかっても、祖国の誇り、民族の誇りのために諦めない姿に、私は感動せずにはいられなかった。私は、この映画は、グオル選手個人のドキュメンタリーであると共に、人間の持つ「誇り」に関するドキュメンタリーでもあるのではないかと思った。誇りとは、時に人を輝かせ、強くする一方で、時に個人や民族間の対立を招くものだ。この映画でグオル選手が祖国や民族の誇りのために走っている陰で、その行きすぎた誇りが国や民族間の対立を招き、紛争にまで発展している様子を観てそう思った。しかし、祖国のために陸上競技を続けるグオル選手は本当にかっこよかった。私も、自分の国に誇りを持って生きていきたいと思った。

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【シネマ倶楽部】『ディア・エヴァン・ハンセン』鑑賞文

2022/10/11

9月27日(火)に中学3年生・高校1年生が『』を鑑賞しました。


(作品概要)

エヴァン・ハンセンは学校に友達もなく、家族にも心を開けずにいる。ある日、自分宛に書いた「Dear Evan Hansen」(親愛なるエヴァン・ハンセンへ)から始まる手紙を、図らずも同級生のコナーに持ち去られてしまう。後日、校長から呼び出されたエヴァンは、コナーが自ら命を絶った事を知らされる。悲しみに暮れるコナーの両親は、手紙を見つけ息子とエヴァンが親友だったと思い込む。彼らをこれ以上苦しめたくないエヴァンは思わず話を合わせてしまう。そして促されるままに語った「ありもしないコナーとの思い出」は人々の心を打ち、SNSを通じて世界中に広がり、彼の人生は大きく動き出す――。

2016年ブロードウェイで初上演以来、チケットは連日完売し、トニー賞・グラミー賞・エミー賞など数々の賞に輝いた大ヒットミュージカルを映画化。『ラ・ラ・ランド』『グレイテスト・ショーマン』を手がけた音楽チームが贈る感涙間違いなしの本作品、音楽はもちろんのこと、SNSが身近にある学生たちの等身大の姿に、きっと心揺さぶられるだろう。

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※生徒の鑑賞文には映画の内容も含まれますのでご注意ください。

(高1A Wくん)

 私はこのディア・エヴァン・ハンセンを見て思ったことがある。初めにエヴァンがウソをついたのはエヴァンの遺族への優しさだと思っていたが実はこれは自分自身を助けるためだと思った。友達という存在がいなかったエヴァンはコナーを友達とし安心していたのだ。そしてエヴァンのコナーの追悼スピーチが成功したときも一人じゃないという自分のメッセージを伝えることができたもののまだコナーの存在に頼っていると感じた。また私はこの時ギプスが区切りだと考えた。ギプスをしている間はコナーとの偽りの関係がありギプスの中に閉じこめているようだったがケガがなおりギプスを取ったとたんにこれまで封じてきたウソが全て解き放たれたと解釈した。そしてウソがバレるという時に自分の口から真実を伝えることはとても難しいだろう。エヴァンはコナーの自殺で誹謗中傷に苦しむコナーの家族を守るために真実を話した。最初彼は彼の優しさをウソをつくことで、後半は真実を話すことで活かしたのだ。またそれに加え彼はコナーをほとんど知らなかったがウソだとバレてから自分の力でコナーのことをしろうとしたのはとても大きな進歩だと考えられる。またウソがわかる前にゾーイとお互いに好意を持っていたため二人が付き合うというシーンが一番幸せなように思えるが最後の果樹園で一人でこれからの人生ウソをつかず自分らしく生きると以前まで優柔不断で自分で決断することがなかったエヴァンが自分自身で決めたところには心を動かされた。

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【シネマ倶楽部】『イン・ザ・ハイツ』鑑賞文

2022/07/21

7月5日(火)に高校2・3年生が『イン・ザ・ハイツ』を鑑賞しました。


(作品概要)

ワシントン・ハイツ――祖国を遠く離れた人々の暮らすその街は、いつも歌とダンスであふれている。故郷に帰る夢と恋に悩むウスナビ、デザイナーを夢見るヴァネッサ、仕事と恋を追い続けるベニー、名門大学への進学に悩むニーナ――夏の夜に起こった大停電をきっかけに、仕事や進学、恋につまずきながら夢に踏み出そうとする4人の若者の運命が大きく動き出す。

トニー賞4冠、さらにグラミー賞を受賞した傑作ブロードウェイミュージカルを、『クレイジー・リッチ!』のジョン・M・チュウ監督が映画化! 全米の名だたるメディアがこぞって「今年最も見たい映画」に挙げる全世界注目の話題作がついに逗子開成に上陸! 胸をつくパワフルなナンバーと、1シーン540人のダンサーで贈る圧巻の群舞、ほとばしる熱狂と魂を揺さぶるメッセージに、君たちの心も大解放すること間違いなし! 音楽の感動と熱い夢に今こそ酔いしれよう!!

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※生徒の鑑賞文には映画の内容も含まれますのでご注意ください。

(高2B Hくん)

 ミュージカルを映画化しただけあって、作中で何度も歌とダンスのシーンがありましたが、ほぼ全ての歌が明るく、陽気で楽しい雰囲気があるものでした。しかし、よく注意して歌詞を聞いたり、スクリーンを見たりすると、所々にどこか暗いような、特に前半の部分で歌われていたものは、なにかしらの暗い気持ちを前述したような明るい陽気な歌でごまかしているような、抑えこんでいるような印象を受けました。どうしてこのような、まるで闇を抱えているような印象を受けたのか、それを解き明かすためのヒントは実はこの映画の様々な場面にありました。それは彼らが「移民」であるということです。この映画の主人公であるウスナビは故郷であるドミニカ共和国に戻り、両親のバーを継ぐことを夢にしていたことから分かるように、この映画で登場した大体の人達は故郷からアメリカに移住したその人またはそれの子孫です。過去のアメリカで起きた移民差別、例えば中華系移民や日系人への差別などから分かる通り、移民というものは得てして差別されがちな事柄の1つであり、彼らも同じように差別を受けていたと考えられます。事実、作中でニーナが父親に「大学で差別を受けている」といったことを話している場面があります。これが歌の場面でどこか暗い印象を受けた理由だと思われます。この映画は若者が自らの夢、または未来に向けて今を必死に生きている、というのがテーマであり、そこに明るいミュージカルを入れることで希望あふれる楽しい雰囲気を出していますが、その裏には移民差別といった暗いテーマもあるというのがこの映画の良い所ではないのだろうか、と私は思いました。

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【シネマ俱楽部】『グレタ ひとりぼっちの挑戦』鑑賞文

2022/06/28

6月9日(木)に中学1・2年生が『グレタ ひとりぼっちの挑戦』を鑑賞しました。


(作品概要)

2018年8月。15歳の少女グレタ・トゥーンベリはスウェーデン・ストックホルムにある国会議事堂前で学校ストライキを始めた。気候変動対策を呼びかけるため、1人で座り込み、自作の看板を掲げてリーフレットを配りながら通行人の質問に答える。毎週金曜日に行われるストライキは次第に注目を集め、世界中の若者たちがグレタの考えに賛同していった。強いメッセージと行動力で、環境活動家のリーダーとして若者から熱烈な支持を受ける一方で、反感や偏見を持たれることも少なくない。

グレタの素顔を知ることができる本作は、2020年のヴェネチア国際映画祭やトロント国際映画祭などで高く評価され、コロナ禍の世界20カ国以上で公開された。環境問題、SDGsへの関心が高まる中、今観てほしい注目のドキュメンタリー映画!!

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※生徒の鑑賞文には映画の内容も含まれますのでご注意ください。

(中2F Yくん)

私が、「グレタひとりぼっちの挑戦」を鑑賞して最も印象的だったことは十五才で子供と大人の境目であるグレタが気候変動という果てしない環境問題についての考えを世界中に訴え続けたことだ。

 グレタは最初、気候変動が夢のようだと思っていたり、学校に座り込んでストライキを起こしていたので、少し変わった少女なのかと思ったが、環境問題を訴え続けるうちに、国から世界へとグレタの訴えが伝わりサミットや国際連合会議、首相の元にも呼ばれ、遂には各国で抗議が起きるようになり、グレタの訴えがどれだけ壮大なものであるかが分かった。また、グレタが食事よりも訴えを優先したり、フランス語に訴えを翻訳したり、抗議中に泣き出したりする行動を見ると、グレタが必死になって訴えていると感じ、自分も私たちのために何か行動しなくてはと思わされる。

 私の経験でも、この数年で気温が平年に比べると高かったり、集中豪雨が度々おそってくるという点で気候を身近に感じる。ニュースでも不漁が続いていることや北極と南極の氷がとけることによる海面上昇など気候変動を報道している。私も気候変動の地球温暖化に対しては懸念を持っていて、積極的に言葉を対策に移していくべきだと考える。私は家庭内で使用する電気は最低限にして節電することや自分で植物を育てるといった行動をとっている。

 そして私は逗子開成の百二十周年プロジェクトの中の気候変動チームに所属している。この映画でグレタが言っていた「自分のためではなく、私たちのために」ということを念頭におきながら気候変動、環境問題について考えていきたい。

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【シネマ倶楽部】『行き止まりの世界に生まれて』鑑賞文

2021/10/25

9月28日(火)に中学3年生、29日(水)に高校1年生が『行き止まりの世界に生まれて』を鑑賞しました。


(作品概要)

ラストベルト――鉄鋼や石炭、自動車などの産業が衰退し、アメリカの繁栄から見放された「錆びついた工業地帯」。トランプ大統領誕生に大きな影響を与えたエリア――。そのエリアでも「アメリカで最も惨めな町」といわれるイリノイ州ロックフォードに暮らすキアー、ザック、ビンの3人は、幼い頃から、貧しく暴力的な家庭から逃れるようにスケートボードにのめり込んでいた。スケート仲間は彼らにとって唯一の居場所、もう一つの家族だった。いつも一緒だった彼らも、大人になるにつれ、少しずつ道を違えていく。ようやく見つけた低賃金の仕事を始めたキアー、父親になったザック、そして映画監督になったビン。ビンのカメラは、明るく見える3人の悲惨な過去や葛藤、思わぬ一面を露わにしていく――。ビンが撮りためたスケートビデオと共に描かれる12年間の軌跡に、誰もが胸を打たれ、3人を応援せずにはいられないだろう。

 アカデミー賞、エミー賞Wノミネート、サンダンス映画祭をはじめ59の賞を総なめにした傑作ドキュメンタリー。主人公たちの等身大の物語を通して、未来のアメリカが見えてくる。

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※生徒の鑑賞文には映画の内容も含まれますのでご注意下さい。

(高1B Sくん)

私は「行き止まりの世界に生まれて」を鑑賞して大人になるとは何かということを考えさせられた。キアー、ビン、ザックの三人が、少年時代から年を重ねるにつれて、それぞれの問題に悩む姿を見たからだ。ザックの「大人になるには何かが欠けている。」という言葉には、自分と境遇は違えど、共感できるところがあると思った。また、似たような境遇にあった三人がそれぞれの道に歩んでいくのを見て、それぞれの問題に対して見方を変えてみるのも、問題の解決に近づけるものだなと感じた。映画の表現技法に関しても興味深い部分が多くあった。ビンがキアーやザック、二ナにインタビューをして、また、自らの問題に向き合っていくという構図がおもしろかった。ドキュメンタリーの映画だったが、まるで台本があるかのように感じ、アメリカは自由の国でもあるが、こういった厳しい現実も実際にはあるのだと実感させられた。三人とも親からの愛情に飢えていて、同情してしまう部分もあったが、ザックは自分を変えようとしているが暴力的になってしまうのを見て何とも言えない残念な気持ちになった。今回、この映画を鑑賞して、私が大人になったらもう一度見てみたい作品だなと感じた。それは、この作品が、「子供から大人になるときの自分のあり方の変容」と「親からの愛情の影響」の二つのテーマがあるように感じた映画であるからだ。その他にもアメリカの経済格差の問題も密接に関係していると感じたのでまた見たいと思った。

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【シネマ倶楽部】『風をつかまえた少年』鑑賞文

2021/07/19

中学1年生は7月6日(火)、中学2年生は7月7日(水)に『風をつかまえた少年』を鑑賞しました。


(作品概要)

2001年、アフリカの最貧国のひとつマラウイを大干ばつが襲う。14歳のウィリアムは飢饉による貧困で学費を払えず進学を断念するが、図書館で1冊の本と出会い、独学で風力発電のできる風車をつくり、乾いた畑に水を引くことを思いつく。いまだに祈りで雨を降らせようとする村で、最愛の父でさえウィリアムの言葉に耳を貸さない。それでも家族を助けたいという彼のまっすぐな想いが、徐々に周りを動かし始める。
 当時人口のわずか2%しか電気を使うことができない環境で、自分の頭脳と手だけを頼りに発電することに成功したウィリアムは、その後大学へ進学し、2013年にタイム誌の「世界を変える30人」に選ばれた。この現代の奇跡に感銘を受けた、『それでも夜は明ける」の名優キウェテル・イジョホーが、10年の歳月をかけて初監督作品として映画化。本作品は23カ国で翻訳され世界を感動で包んだベストセラー小説の映画化でもある。2019年、サンダンス映画祭、ベルリン国際映画祭と立て続けに公式上映され、NYのプレミア試写会では、国連難民高等弁務官事務所特使を務める、名女優アンジェリーナ・ジョリーからも絶賛された。

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※生徒の鑑賞文には映画の内容も含まれますのでご注意下さい。

(中1F Uくん)

私たちの暮らしの中には、様々な道具が存在している。それらは私たちの生活をより便利に、豊かにしてくれるものだ。長年様々な道具を使ってきたが、私はほとんどのものの仕組みを知らないし、知ろうと思うことはない。
 だが、本作の主人公、ウィリアムは、その道具達の仕組みを学び、町を救ってみせた。ウィリアムの住む所は日本等に比べると発展はしておらず、高度な電子機器は存在しない。しかしウィリアムは、電子の分野において高い技術を持っている。それはラジオを修理したり、廃品をいじったりなどの日常のシーンで表れている。ウィリアムの家は学費を払うことができずに中学校を退学となってしまったが、それでもウィリアムは、「学ぶ」ことをやめようとはしなかった。私は「学ぶ」とはすなわち学校に通うことだと思っていたため、このウィリアムの行動にはおどろいた。
 ウィリアムは自分で考え、行動し、作物がとれず荒れた故郷を救うために風力発電のシステムを作りあげた。ウィリアムの勇気と強い信念を見て、私は「学ぶ」ということは、自らの意欲と努力によって知識を手に入れ、それを活かせるようになることだと考えた。
 私は今まで学校では教師から知識を受け取ることしかしていなかった。だが、それはただ話を聞いているだけであると気付いた。これからは、この映画を経て考えた「学ぶ」ということの意味を意識し、自分のためにも、他の人のためにもなる力を学んでいきたいと思う。

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【シネマ倶楽部】『僕たちは希望という名の列車に乗った』鑑賞文

2021/06/30

高校2年生は6月10日(木)、高校3年生は6月11日(金)に徳間記念ホールで

『僕たちは希望という名の列車に乗った』を鑑賞しました。


(作品概要)

1956年、東ドイツの高校に通うテオとクルトは、列車に乗って訪れた西ベルリンの映画館でハンガリー の民衆蜂起を伝えるニュース映像を目の当たりにする。クラスの中心的な存在であるふたりは、級友たちに呼びかけて授業中に2分間の黙祷を実行した。それは自由を求めるハンガリー市民に共感した彼らの純粋な哀悼だったが、ソ連の影響下に置かれた東ドイツでは「社会主義国家への反逆」とみなされる行為だった。やがて調査に乗り出した当局から、一週間以内に首謀者を告げるよう宣告された生徒たちは、人生そのものに関わる重大な選択を迫られる。大切な仲間を密告してエリートへの階段を上がるのか、それとも信念を貫いて大学進学を諦め、労働者として生きる道を選ぶのか・・・・・・。

 過酷な現実にさらされた彼らの、人生のすべてを懸けた決断とは? 希望を追い求めた若者たちの「小さな革命」を未来へと続く「列車」とともに描き上げた感動の実話!

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※生徒の鑑賞文には映画の内容も含まれますのでご注意下さい。

(高3H Oくん)

正直に言うと、私が今までに観た映画の中で一番複雑な映画だった。しかし、一番惹かれる映画でもあった。冷戦を題材にした映画ということだったので歴史を学ぶ感覚で観ていた。始まってすぐは、主人公たちが暮らす旧東ドイツに漂う薄暗い雰囲気に息苦しさを覚えるも、「今の日本とは関係ないから」と他人事のような気持ちでぼんやりと眺めていた。ところが、物語が展開していくうちに、この映画が過去の物語でも、異国の物語でもないことに気付き始めたのだ。

 「君たちは自分の頭で考えて行動しなければならない」

 作中、ある高校生の叔父が主人公らに言ったセリフだ。何も過ぎ去ったセリフではない。むしろ今日の私たちに求められていることではないだろうか。日々与えられた課題のみをこなし、新たに学ぼうとはしない私達と、日々与えられた情報のみを信じて疑わず、外界を知らずに働き続ける当時の人々の状況は何も変わっていないのかもしれない。

 作中で高校生たちが自分の信念に従って生きる姿は、自分なりに何か行動を起こせないかと考えるきっかけを私に与えてくれた。例えば、現在コロナウイルス収束が求められており、今後の歴史の教科書に載るかもしれないほどの未曾有の出来事であるはずなのに、実際の生活において私たちの危機感は全く欠如している。それは皆が、映画を観る前の私のように他人事だからなのだと思う。つまるところ、全員がこの映画に出てくる高校生のように自分の頭で考えて行動すれば、コロナウイルス以外にも様々な問題が解決に向かうと思うのだ。彼らの勇気を見習い、私たちも出来るところからアクションを起こすべきである。そういった意味でこの映画は、未来を担う私たちの「希望」であり続ける。

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【シネマ倶楽部】 ビッグ・リトル・ファーム鑑賞文

2021/02/16

2021年1月19日(火)に中学1年生が入学後初めて徳間記念ホールで映画鑑賞を行いました。

当日は感染症対策で、1席空けて鑑賞しました。

(作品概要)

殺処分寸前で保護した愛犬トッド。その鳴き声が原因で大都会ロサンゼルスのアパートを追い出されたジョンとモリー。料理家の妻は、本当に体にいい食べ物を育てるため、夫婦で郊外へと移り住むことを決心する。しかし、そこに広がっていたのは200エーカー(東京ドーム約17個分)もの荒れ果てた農地だった――。時に、大自然の厳しさに翻弄されながらも、そのメッセージに耳を傾け、命のサイクルを学び、愛しい動物や植物たちと未来への希望に満ちた究極に美しい農場を創りあげていく――。自然を愛する夫婦が夢を追って奮闘する8年間の軌跡。

 トロント国際映画祭2018観客賞第3位、サンダンス映画祭2019フェスティバルフェイバリット賞第2位、ミルバレー映画祭2018観客賞・銀賞など、世界各国の数々の観客賞を受賞した感動のドキュメンタリー。映像の美しさにも注目してください。

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※生徒の鑑賞文には映画の内容も含まれますのでご注意下さい。

(中1C Mくん)

今回、「ビッグ・リトル・ファーム」を鑑賞して、緑の形もない荒れはてた土地から多くの緑と自然を再生するために1年近くかかりそこから完全に再生するためには7年もかかっていたので、そこまで続けた努力と気持ちがすごいなと思いました。

いつも頼っていた大切な人が亡くなった後やなかなか自然のサイクルがうまくいかなくなったときなども、仲間達と犬などの自然に生きる動物をよく観察し、閉じた道を開いていたので、どんなときも仲間は大切だと思いました。

自然と共存するためには、何年もの歳月をかけていきながら、その環境に合った答えを導き出さなければいけないという、自然のきびしさや難しさを感じました。

飼っていた家畜が殺され、その天敵が出てきたとしても、その動物にもなにかしらの役割があると考えて、また被害に遭うかもしれないのに、殺さずに利用法を考える発想力と行動力が仲間全員にあったからこそ、一人が自分勝手な行動に出るなどということがなく、20万米もの敷地を自然でいっぱいにすることができたのではないかと思いました。

今回鑑賞してみて、テーマは共生だったけど、その中にはチームワークや行動力、発想力、あきらめない気持ちが全員にあったからこそ20万米もの荒れはてていた土地をわずか7年もの間に主人公が夢見ていた完全な自然へと再生できたのではないかなと思いました。

たとえ、周りの人々に実現不可能な夢と言われたとしても、今回みたいに、行動してみないとなにが起こるか分からないので、あきらめずにまずは行動してみようと思いました。

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シネマ情報

【シネマ倶楽部】 イエスタデイ鑑賞文

2020/12/24

2020年12月10日(木)に中学2年生が映画『イエスタデイ』の鑑賞を行いました。

(作品概要)

ジャックが夢をあきらめたその日、12秒間、世界規模で謎の大停電が発生。交通事故に遭ったジャックが目を覚ますと・・・あのビートルズが世の中に存在していない! 世界中で彼らを知っているのは、ジャックひとりだけ!? ジャックがビートルズの名曲を歌うと、ライブは大盛況、SNSで大反響、マスコミも大注目! するとなんと、その曲に魅了された超人気ミュージシャン、エド・シーラン(本人が本人役で登場)からツアーのオープニングアクトを任されることに。エドも嫉妬するほどのパフォーマンスを披露すると、ついにメジャーデビューのオファーが舞い込んでくる――。

ジャックの驚き、戸惑いや葛藤、そして喜びがビートルズの珠玉の名曲とともに語られていく。ビートルズを知らない君たちでも、上映後はきっとビートルズの曲を口ずさみたくなる・・・そんな至福の音楽体験をお楽しみに!!

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※生徒の鑑賞文には映画の内容も含まれますのでご注意下さい。

(中2D Nくん)

僕はこの映画の中で最も妙に感じたところをこの感想文に書きたいと思います。それはジャックが悩みの末に、ジョンのもとへ行きそこで様々なことを学ぶというシーンです。 

初め僕はこのシーンが何を意味しているのかわかりませんでした。しかしジョンの「愛する人に愛を伝え嘘をつかずに生きなさい。」というメッセージに強い感銘を受けました。現実には40年前にこの世を去ったジョンレノンですが、彼の名曲「ゴット」にもあるように生涯を悔いなく生きたことを彷彿とさせるものでした。この時のジャックはエリーに愛を伝えられず、かつ自作の曲であるという偽りもしていたため、このシーンでそれらの悩みが解決し希望を見出すのは痛快でした。

そして、もう一つこの映画で非常に強く印象に残ったシーンがあります。それは、ジャックがビートルズの曲を歌っていることを知っている二人が、彼の楽屋に訪れるシーンです。僕はジャックが訴えられてしまうのではないかと、ハラハラしていたので、二人が「ありがとう。」と言ったシーンはとても意外でした。そして僕はこのシーンをみて、大切なもの(ビートルズの曲)は個人の利益などと言うような狭い範囲を超越し、広い世界の文化として残すべきだというメッセージを伝えたいのだと思えました。もしそうならば、僕は深く共感できます。現実ではビートルズやコカコーラがなくなったりということはありません。しかし、今も世界のいたるところで文化が継承されているのは事実です。誰かが大切にしてきたものがある以上、それを受け継ぐのは義務なのだと再認識させられました。

このようにこの映画では沢山のメッセージを散りばめていて、非常にリアルな人間社会を描いています。登場人物それぞれの言葉に厚みと温かみがあり、なぜか清々しささえ与えてくれる映画でした。


(中2E Nくん)

私は「イエスタデイ」を鑑賞して、「成功と幸福」について考えた。

作中でジャックは、一度スターになったが、幼なじみのエリーと暮らすことで幸せな人生を送った。つまり、一般的な大成功と、幼なじみでは、ジャックは幼なじみを選び、幸福を得たのである。そう考えると、成功を収めなくても幸福を得ることはできる、ということになり、成功と幸福は対照的な関係になる。

確かに、成功を得れば同時に幸福も得られるかもしれない。しかし、成功をして得られるものは、富や名声で、幸福を直接得ることはできない。また、富や名声を得たからといって、それが幸福を得ることにつながるわけでもない。

今度は、逆に、幸福を得れば同時に成功も得られるのか、考えてみた。この映画では、ジャックはエリーと暮らして幸せな人生を送っていた。この幸福を得るという行為自体を成功と捉えてみてはどうか。一般的には成功とはいえないかもしれないが、幸福を得た人からしてみればこれは十分、成功といえるのではないか。 

このように、私は「成功と幸福」について、一般的な成功と幸福とは対照的な関係にあるが、幸福を得るという行為は成功になると考えた。このことから、成功だけを追い求めるのではなく、人生の本質的な幸福を得れば、成功も得ることができるということが分かった。私も、常に成功よりも幸福を得られるように行動し、「幸福を得る」という大成功を得られるようにしようと思う。

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【シネマ倶楽部】 ハリエット鑑賞文

2020/11/20

2020年11月6日(金)に中学3年生が映画『ハリエット』の鑑賞を行いました。

(作品概要)

アフリカ系アメリカ人として、史上初めて新しい米ドル紙幣に肖像が採用され、アメリカでは誰もが知る実在の奴隷解放運動家、ハリエット・タブマンの激動の人生を描いた話題作。奴隷として生まれた女性が、たった一人で自由を目指して逃亡し、家族や仲間を助けたい一心から組織の一員として活躍するようになる。そして、いつしか彼女は、奴隷制度そのものを撤廃するために命をかけ、南北戦争では黒人兵士を率いて戦う「英雄」になっていた。

崇高な使命のために命をかけて戦うハリエットを演じるのは、ミュージカル『カラー・パープル』の主人公セリー役でブロードウェイ・デビューを果たしてトニー賞主演女優賞、グラミー賞、エミー賞ほか、数々の賞を総なめにした実力派スター、シンシア・エリヴォ。映画出演たった3作目の『ハリエット』で初主演を務め、第92回アカデミー賞において主演女優賞と、自ら歌うテーマ曲『スタンド・アップ』が歌曲賞に、ダブルノミネートされるという快挙を遂げた。世界有数の映画賞で絶賛されたシンシア・エリヴォが紡ぐ魂の演技と歌に注目しよう!!

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※生徒の鑑賞文には映画の内容も含まれますのでご注意下さい。

(中3A Fくん)

「ハリエット」は、黒人奴隷であったハリエット(ミンティー)が自由を求めて厳しい生活から抜け出し、アメリカ北部へ逃亡した後、家族や友達、他の黒人奴隷にも自由な暮らしを与えるために助け出そうと奮闘する映画だった。今年の社会の授業でアメリカの奴隷制について学んだが、黒人奴隷の生活がどのようなものなのかは知らなかったので、今回映画を見て、家族と離ればなれにされたり暴行を加えられたりと黒人奴隷の辛過ぎる生活を知り、衝撃を受けた。辛い生活から逃れるためには自由か死しかないということを残酷に感じた。自由を求めてアメリカ北部へ逃げるのも命がけなのだ。

ハリエットは初め、たった一人で160キロ走り北部へ逃亡した。距離は長く、奴隷主の追跡もあるので逃亡することは困難で勇気がいると思う。しかし、ハリエットは自身の逃亡時に危険な思いをしたにも関わらず、一年後、家族や友達にも自由を与えるために南部へ戻ったのだ。自分も含めて多くの人は、家族や友達に自由を与えてあげたいと思いながらも、命を危険にさらすことを恐れて行動に移すことが出来ないだろう。誰も家族や友達を助けてくれる人がいないなら自分の力でどうにかする、というハリエットはとても強い人だと思った。「地下鉄道」の一員として何人もの黒人奴隷を助けていくハリエットはだんだん自信がついているように感じられた。

自分もハリエットを見習おうと思った。自分で行動を起こすことが大切だと思う。その中で自分に自信をつけ、生きる道を見つけていければ良いと思った。


(中3G Mくん)

僕はこの映画を見て人間の存在意義について考えさせられました。初めの場面で、どれだけ自分が本気でお願いしても、悩まれもせずあっけなく申し出を拒否され親子と何百キロも離れた地に売り飛ばされてしまうという奴隷の虚しさを知りました。少し誇張している部分もあると思いますが、それでもひどい仕打ちだなと思いました。また、途中主人公が追い詰められた時に「生きるか死ぬか」で毎回冗談抜きで死ぬ覚悟をしていて本当に生き延びるのに必死なことが伝わってきました。主人公は読み書きができませんでした。それでも神に頼りながら勇敢にも一人で仲間の奴隷解放に力を注いでいたのはものすごい強い意志を持った英雄だなと思いました。どれだけ賢くてもどれだけ運動ができてもこの主人公のようなことはできないと思います。この映画の積極性は生死に関わるようなスケールの大きいことです。しかしスケールを小さくすれば今の社会にあてはまる気がします。最近の人達は問題を発見したり、困っている人がいたり、助けを必要としている人がいたりしますが、それを発見しても自分から助けに行かず、他の誰かに任せている人がほとんどだと思います。国民のほとんど全員が自分から積極的に困っている人を助けない限り、平和で居心地の良い国は永遠に作られないと思います。この映画の終盤で、協力者が少しでも自分の意にそぐわない行動をすると当たり前のようにその人物を射殺するというシーンがみられました。その行動とは、自分の私利私欲のためなら他人などどうでも良いという考えの象徴だと思います。その正反対の行動をしているのが主人公だと思います。僕も主人公までとは言いませんが、誰かのために積極的に行動を起こせる人になりたいなと思いました。

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シネマ倶楽部『チア男子!!』鑑賞文

2020/03/10

2月13日(木)、中学1年生と2年生が『チア男子!!』を鑑賞しました。

<物語概要>

道場の長男に生まれ、幼い頃から柔道を続けてきた晴希。しかし、連戦連勝の姉・晴子と比べて自分に才能がないことに悩んでいた。怪我をきっかけに柔道から距離を置いていた晴希に、幼なじみで親友の一馬は「一緒に新しいことを始める」と宣言する。なんと、それは前代未聞の"男子チアリーディング部"の創設だった――!

 直木賞作家・朝井リョウが、早稲田大学に実在する男子チアリーディングチーム"SHOCKERS"をモデルに書き上げ、2011年にコミカライズ、2016年にアニメ化&舞台化など様々なメディアで取り上げられた話題の作品。W主演となる横浜流星、中尾暢樹を筆頭に個性豊かな7人が、男子チアリーディング部"BREAKERS"を体当たりで熱演!

3ヶ月間徹底的にトレーニングした本格パフォーマンスは俳優の域を超えています。

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【注意】鑑賞文は時に映画の重要な内容や結末に触れる場合がありますので、お気を付け下さい。

中学1年C組 Wくん

 ぼくは朝井リョウさんの作品で見たことあるものは『桐島、部活やめるってよ。』だけなので『チア男子!!』を見るのは初めてでした。ぼくがこの『チア男子!!』を見て一番面白く感じたのはキャラクターです。この話に出てくるキャラクターは一人一人がとても個性的でそれぞれ違うコンプレックスや性格や過去から生じてしまう問題点があるところにとても現実味が感じられました。この話はこういったコンプレックスや問題点を仲閒で協力しあって克服していくのが一番重要な部分だと思いました。もう一つこの作品で重要だと思った部分は男子チアのチーム名だと思います。生徒会などがすすめるビルダーズとは違い、破壊などを意味するブレイカーズです。命名の時にカズがチームメイトのみんなに話していた男子がチアをやるのはおかしいという固定概念をぶっ壊したいという発言がぼくの心にはひびきました。この発言は現代社会にも通ずるものがあると思います。今の世の中、固定概念や周囲の人の意見や世間の風潮などが確立されていると人は一人で新しいことにチャレンジをするというのは非常に難しくて大変なことだと思います。ぼくも周りの多数派の意見に流されがちな時もあるので自分の意見を一つは持って行動したいと思います。そしてぼくの意見と周りの人の意見をしっかりと交換して、意見を共有するべきだと思いました。『チア男子!!』を見てぼくが一番思ったのはもし苦手でできないことがあってもチャレンジすることが大切だと思いました。

中学2年B組 Tくん

 僕は『チア男子!!』を見るまで、男子がチアをやるなんて面白くなさそうだし、少し痛いな、と思っていました。案の定、最初は周りの人達だって乗り気じゃありませんでした。けれど、大広間でみんなの前でチアをしたことによって、興味を持ってくれた人が増えました。僕はこのシーンを見て、勇気を少し出せば、無理だと感じたことも少しずつ実現していくんだと感じました。僕の場合、あまり私生活で勇気を出せなくて、後悔することが結構あります。そんな後悔をこれから、減らしていきたいと思います。

 僕はこの映画を見て、もう一つ感じたことがあります。それは仲閒の心強さです。この映画で言うならば、カズがおばあちゃんの容態が悪化して、チアをやめると言い出した時ハルが「自分が居るから、カズは一人じゃない。」と言ったシーンです。僕もそうだし、絶対に苦しいことが無い学生生活なんて無いと思います。そんな時、助けてくれたり、悩みを聞いたりしてくれる仲閒が居る、ということがありがたいことなんだな、と思いました。校長先生の全校集会でのお話で、「信頼できる、友人、仲閒を作りなさい。」とおっしゃっていた通り、僕も今いる友人達を信頼し、大切にしていきたいと思ったと同時に、そんな友人が困っている時や、道を踏み外してしまいそうな状況になってしまっていたら、友人として、助け合っていきたいと思いました。

 この映画を見て、大きく二つものことが学べたので、他の映画もたくさん観て、勉強以外のたくさんのことを学んでいきたいです。

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シネマ倶楽部『ダンボ』鑑賞文

2020/01/21

中学1年生と2年生がダンボを鑑賞しました。

<物語概要>

サーカスに愛らしい子象が誕生した。「大きすぎる耳」をもった子象は「ダンボ」と呼ばれ、ショーに出演しても観客から笑いものに。ある日、ダンボの世話を任されたホルトの子供たちが、悲しむダンボを元気づけるため遊んでいると、その「大きな耳」でダンボが飛べることを発見する。「空を飛ぶ子象」の噂は瞬く間に広がり、ダンボで金儲けを企むものによって、ダンボは愛する母象ジャンボと引き離されてしまう。母を想うダンボに心を動かされたホルトの家族とサーカス団の仲間は力をあわせ、ダンボの捕らわれた母を救い出す作戦が始まる――!

 ディズニー・アニメーションの不朽の名作『ダンボ』を『チャーリーとチョコレート工場』の鬼才ティム・バートン監督が奇跡の実写化! コリン・ファレルをはじめとする豪華キャスト陣にも注目!

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【注意】鑑賞文は時に映画の重要な内容や結末に触れる場合がありますので、お気を付け下さい。

中学1年 Tくん

僕は、「ダンボ」を見て、勇気の形について考えました。一言に勇気と言っても各人によってその勇気の形は違うと思いました。

 例えば、「ダンボ」の中では、子象のダンボは母親を助けるためにサーカスで飛んでいます。また、ダンボが耳で飛べることを知ったミリーはダンボが母親に会うのをサポートするために勇気を出して自分が出来る精一杯の努力をしていました。僕はそんなミリーのダンボのために自ら危険に飛び込んでいく姿をみて、人のために勇気を出して努力するのは大変なことだが、それを乗り越えればさらに強い絆が得られると思いました。実際、「ダンボ」の中でも、ミリーやサーカスの皆がダンボを支えて助けていくうち、ダンボもミリーたちと心が通じ合ったのか、助けてくれるようになっていました。

 僕が「ダンボ」を見て思ったことはもう一つあります。それは、自分は人のために勇気を出して行動することがあるかということです。現実では僕の周りではミリーのように人の命に関わるような大きな事件はおきていませんが、一つの小さな行動によって多くの人のためになる、ということは少なくないと思います。しかし、そのような日常的なことで勇気を出せずにいると、ミリーのように多くの人の命がかかっている場面に出会った時に勇気を出して行動することなど絶対にできないと思います。そう考えてみると、僕は家族や友達、他人との間でも勇気を出して行動する場面が少ないかもしれないと思いました。

 僕も「ダンボ」を見て学んだことを活かし、今後は勇気を出して人のためになることをしたいと思います。

中学2年 Oくん

僕は今回この映画を見て、人間というものについて考えさせられました。象のダンボは話の中で何度も辛い思いをしましたが、これは全て人間のせいではないかと思います。

 まず、その人間の一人目はサーカスの団長であるマックスです。彼はダンボの巨大な耳を見た瞬間に絶望しました。つまり彼はダンボを一目見た外見だけで判断したということです。これは決して象であっても相手を少しずつ理解しその個性をどう活かせるかを考えるべきであり、何かを外から見えるもののみで決めつけてしまうのはあってはならないことだと思います。ダンボは彼によって自分の耳をコンプレックスとして捉えてしまいます。

 次にダンボを苦しませる原因となった人間は、ルーファスという象の調教師です。彼はダンボと、母親のジャンボを別れさせた一番の要因です。その彼がとった行動は、サーカスで観客にものを投げられていたダンボの方へわざとジャンボを誘い暴れさせたというものです。先程と同じようにこれは象だとしてもやってはいけない行為だと思います。ルーファスは相手の弱みを突き、冷静さを失わせるといった道徳的に最悪なことをしたと僕は思いました。

 最後のダンボの敵となった人間は、「ドリームランド」の経営者、バンデバーです。ついにダンボに再会できたジャンボを、彼はダンボの芸の練習に害が及ぶとして処分しようとしました。この、自分の利益のためなら他人の家族など関係ないという彼の考えに僕は驚いてしまいました。頼りにしているものの家族を何のためらいもなく殺そうとする彼の思考は僕にとって、理解し難いものでした。

 このように、象のダンボは人間の固定観念や卑怯さ、自分勝手さなどによって悩み苦しまされました。自分自身はこんな人間にならないように意識して生活しようと思います。

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シネマ倶楽部『グリーン・ブック』鑑賞文

2019/11/25

11月8日に中学3年生、高校1年生が『グリーンブック』を鑑賞しました。

<物語概要>

時は1962年、ニューヨークの一流ナイトクラブ、コパカバーナで用心棒を務めるトニー・リップは、ガサツで無学だが、腕っぷしとハッタリで家族や周囲に頼りにされていた。ある日、トニーは、黒人ピアニス

トの運転手としてスカウトされる。彼の名前はドクター・シャーリー。カーネギーホールを住居とし、ホワイトハウスでも演奏したほどの天才は、なぜか差別の色濃い南部での演奏ツアーを目論んでいた。二人は、〈黒人用旅行ガイド=グリーンブック〉を頼りに、出発するのだが・・・。異なる世界に住む二人の壮大なズレに笑い、ツアーの本当の目的に胸を熱くし、極上のラストにスタンディングオベーション間違いなし! 痛快で爽快、驚きと感動の実話!

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【注意】鑑賞文は時に映画の重要な内容や結末に触れる場合がありますので、お気を付け下さい。

高校1年 Mくん

「本当の孤独」とは何か。私はこの映画を見ている最中、なぜかこの問いが頭から離れなかった。

 今回の映画は、裕福だが独り身のシャーリーと、生活に苦しんでいるが家族の多いトニーが中心的な登場人物であった。多くはないにしろ、作中で彼らが衝突するシーンは何度かあった。その中でも特に印象的だったのが大雨の中シャーリーが怒り、車から出て足早にその場から立ち去ろうとするシーンである。最後にシャーリーが憤怒の最中に言い放った、「私は孤独だ」という言葉が強く心に響いた。常に冷静で黒人差別にすら屈していなかったように見えた彼も、心の奥底では孤独に苦しんでいたのである。また、旅が終わり、家に帰った二人の対照的なシーンも非常に印象的であった。トニーはドアを開けると大きな歓声に包まれ、熱のこもった厚い歓迎を受ける。シャーリーはドアを開けると、静かな部屋に執事がひとり。執事が帰ると、豪華な部屋の真ん中で、一人ポツンと項垂れるのである。

 それでは、今の私たちはどうだろうか。私たちはSNSで誰とでも連絡がとれ、いつでも誰かと繋がっている感覚を覚えることができるこの時代を生きている。ふとした時に孤独を感じる瞬間は誰しも感じたことがあるはずである。

 広く浅く、数多くの人と繋がることができる現代だからこそ、最後にシャーリーを家に迎え入れたトニーとその仲間たちのように、私たちには一人一人の繋がりに向き合っていく姿勢が求められているのではないだろうか。

高校1年 Uくん

この映画を観る時、まず最初に考えたことはストーリーの意外性だった。「黒人がアメリカ南部を演奏旅行する」と聞いて、最初は「差別に苦しみながらも懸命に...」というような陳腐なストーリーだと思っていたからだ。

 だが、映画を観るにつれてそのようなものではないことに気づいた。なぜなら南部をまわるツアーは黒人ピアニストのドクター・シャーリー自身が考えたもので、しかもツアー先で彼の演奏を聴くのは白人の富裕層ばかりであるからだ。だから南部の黒人は彼の名前も、活躍もほとんど知ることは出来ないだろう。つまりは、シャーリーには人種差別に立ち向かうといった目的はないのである。

 では、なぜシャーリーは南部でのツアーを計画したのだろうか。シャーリーの運転手であり、この映画の主人公であるトニー・リップは、シャーリーの演奏仲間から理由を聞いていた。「勇気」を示すためだ、と。しかしそれはあくまでも意見であった。結局シャーリーの口からそれが語られることはないまま映画は終わってしまった。

 これはあくまでも自分の考察であるが、シャーリーは自分の居場所を探していたのではないだろうか。街の白人からはぞんざいな態度をとられ、農場の黒人からは不思議なものを見る目で見られるシャーリーは、おそらく自分の居場所がない中で、何をすればいいか分からず、必死で考えた結果が南部での演奏旅行なのだろう。

 この映画は、人種差別そのものについての映画ではなく、そこから一歩踏み込んだ、自分のアイデンティティーについて考えることをテーマにした映画であると考えている。

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シネマ倶楽部『ボヘミアンラプソディ』鑑賞文

2019/07/20

7月2日(火)に高校2年生,3年生が徳間記念ホールにて『ボヘミアンラプソディ』を鑑賞しました。生徒の鑑賞文を紹介します。

<物語概要>

レディー・ガガが「史上最高の天才エンターテイナー」と称賛。それが伝説のバンド〈クイーン〉のリード・ヴォーカル、フレディ・マーキュリーだ。彼の名前も顔も知らなくても、「ボヘミアン・ラプソディ」、「伝説のチャンピオン」、「ウィ・ウィル・ロック・ユー」などのワンフレーズを耳にすれば、誰もがたちまち心浮き立ち、思わず歌い出さずにはいられない。どうやってフレディは、世間の常識や既成概念に逆らい、従来の音楽を打ち破り、地上で最も愛されるエンターテイナーになったのか? そして崩壊寸前に陥ったバンドを立て直し、永遠のレガシーを確立したのか?

魂が乗り移ったかのようにフレディを演じたのは、『Mr.Robot/ミスター・ロボット』でエミー賞受賞俳優のラミ・マレック。監督は『X-MEN』シリーズのブライアン・シンガー。クイーンのメンバーが音楽総指揮を務め、甦った32もの不朽の名曲には主にフレディ自身の歌声が使われ、鳥肌ものの感動を呼び起こすこと間違いなし! アカデミー主演男優賞ほか受賞作品。

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【注意】鑑賞文は時に映画の重要な内容や結末に触れる場合がありますので、お気を付け下さい。

高校三年Aくん

白人でなくゲイでありゾロアスター教徒で、最終的にエイズに罹患する社会的マイノリティであったF・マーキュリーにとって、友人・家族・仲間とは一体何であったか、彼にとって音楽とは何だったかを考えることは簡単ではない。

 映画を観て初めに感じたのは、F・マーキュリーのパフォーマンスとしての能力の評価が失墜したことはほとんど無かったことだ。にもかかわらず、自身の生涯がノンフィクション映画として見応えのある一作と成り得るには、何か別の一要素が本作の主題とならなければいけない。

 それは「軋轢」であったと思う。

 主人公が最初に軋轢を生じさせたのは彼女へのマイノリティの告白である。それまで気持ちが良いほどスラスラ進んでいた物語がここで一つ変化を見せた重要な場面だった。その他にも、他メンバーがそれぞれ家庭を築いている中で孤独だった主人公が感じた軋轢であったり、重要な局面において軋轢はことごとく登場する。その後、彼はそれを理由にソロでの活動を開始する。

 彼女との、メンバーとの、社会との軋轢によって孤独であると感じていた彼は近視的になり、仕事へと注力する。しかし、彼女の「あなたは一番愛されている」という言葉で視界が晴れ、残された時間をメンバーと共に過ごすことを決意した。

 史上で最も偉大なグループの一つを作り上げたのは、軋轢を超えた音楽の力であった。メンバーは音楽という屋根の下で家族であった。

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シネマ倶楽部 『マダム・イン・ニューヨーク』鑑賞文

2019/07/08

6月13日(木)に中学3年生が徳間記念ホールにて『マダム・イン・ニューヨーク』を鑑賞しました。何人かの生徒の鑑賞文を紹介します。

<物語概要>

シャシは、2人の子供と夫のために尽くす、ごく普通の主婦。彼女の悩みは、家族の中で自分だけ英語ができないこと。夫や子供たちにからかわれるたびに、傷ついていた。姪の結婚式の手伝いで1人NYへ旅立つも、英語ができず打ちひしがれてしまう。そんな彼女の目に飛び込んできたのは「4週間で英語が話せる」という英会話学校の広告。仲間とともに英語を学んでいくうちに、夫に頼るだけの主婦から、ひとりの人間としての自信を取り戻していく。しかし学校に行っている間に幼い息子がケガを負い、彼女は母親としての自覚や責任感に欠けていた自分を責め、卒業を目前に学校へ通うことを諦めてしまう。それでも学校の仲間たちは彼女とともに卒業しようと協力をするのだが、卒業試験の日が、姪の結婚式と重なり・・・ 。

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【注意】鑑賞文は時に映画の重要な内容や結末に触れる場合がありますので、お気を付け下さい。

J3B組 Oくん

僕はこの映画「マダム・イン・ニューヨーク」を観て、人は仲間がいるからこそ成長できるということを学んだ。

映画の初めの方でシャシがまだインドにいた時は家族とはなれてニューヨークへ旅立っただけでもさびしがり、泣いていたのにもかかわらず、最後の方にはニューヨークシティのカフェで完ぺきな注文をすることができるようになったのは英会話教室の仲間のおかげであり、彼女がバスの広告を見つけられず、教室にたどりつけず、一緒に英語を学んでくれる生徒がいなければたった四週間の間で結婚式でスピーチができるほどの英語力をつける事ができなかったであろう。

この映画を観ている途中、僕は自分がアメリカに引っ越し、現地校へ行きはじめた時の事を想い出した。小学四年生の頃、学校初日の日、勇気を出して人生初のアメリカ人しかいない教室に入った事をはっきり覚えている。その日から約三、四ヶ月自分は教室で何が起こっているのかすらも分からなかった。しかし自分は孤独感を感じることはあんまりなく、半年もしたら自分のクラスに溶けこむことができていたと思う。このようなことを実現できたのはあの英会話教室にいたような、親切でとてもフレンドリーに自分を受け入れてくれた仲間がいたからだと思う。人は成長する上でこのような仲間や友達は必要であり、孤独なままでは心を開き成長するのはとても難しいと自分は感じた。

僕はこの映画を観て仲間の大切さについて学んだが、将来大学や会社でもこのような仲間を作りたいと思った。

J3C組 Wくん

この作品の中でとても印象に残った言葉が一つあります。それは、『人生は長い旅』という言葉です。なぜならばこれはこの作品の主題に深く関わっていると思ったからです。ここからは少し自分の主張がまざりますが、物語同様人生には『起承転結』があり、この作品はシャシの人生における『転』を切り取ったものだと考えられます。もっと細かく言うのならば『転』の『起承転結』。つまり彼女の人生がいかに復活し、変わったのかを伝えるものであり、映画のキャッチコピーを借りて言うならば『人生を変えるためのスパイス』についての作品でした。

しかしこの作品で注目すべき点は内容だけでなく、演出にもあります。まずインド系作品特有のダンス要素はもちろんのことですが、もっともさえていた演出は物語の始まり方です。彼女が生まれる瞬間ではなく、かといって夫と出会う場面でもない、ごく普通の朝という始まり。なにがすごかったかというとそれだけで人生の途中ということが伝わってくるだけでなく主人公が自分達と近しいこと。つまりは映画を見終えた時『あなたにも起こるかもしれないこと』と実感させられるからです。そしてこれは始まりが最も目立っているというだけであり、作品の終わりがたったの一言であることです。そしてこのセリフが日常の中にでてくるかもしれない言葉、つまり先ほどと同じことを伝えると共に自分で伝えられるようになった、自分を再発見できたという彼女の成長をさりげなく描写し名言を出すわけでもなくあっさりと終わる。これも普通の人生であること、このあとも彼女の人生は続いていくことを示していて驚かされました。

この作品を通し、僕は多くのことを学ばされました。ここには書き切れないほどのものを。この作品に出会えたということに感謝します。

J3E組 Mくん

私は「マダム・イン・ニューヨーク」を見て、人間関係のあり方について考えさせられた。人間関係は人が生きていく以上必要で有り、それを避けるには山に小屋を立てて窓にカーテンを引き、世と隔絶しなければならない。しかしそうしていても得るものは何も無い上、生きていく意義さえ見失ってしまう。シャシでいう所の、ラドゥを作る技術さえ知られていない状況だ。「君はラドゥを作る為に生まれて来た人だ。」と夫に言われるシャシが、それすら人に認知されずに生きていくのはつらいだろう。人間関係を拒絶した当初は安心を覚えるかもしれないが、やがてはその事に気付き悲しくなる。人はやはり、人間関係なしには生きていけない生物なのだ。

では人間関係はどのようにあるべきなのだろうか。例えば、シャシの娘はシャシを傷つけてしまったが、何がいけなかったのだろう。シャシは敬意を払うことが必要といった。これは何に対する敬意だろうか。やはり、長年人生を歩んで来たことへの敬意ではないのか。家族に限らず、先輩や上司、見知らぬ老人への敬意もそういうことではないだろうか。それも自分を育ててくれたとしたらなおさらである。プライドの高いシャシの娘はそれを忘れ、但英語が話せない、学力のない母親が恥ずかしいと思い、母親の長年の人生、自分を育ててくれた努力に対する敬意を表さなかったのだ。もちろんシャシの娘はまだ小学生であるから、過ちを咎めることはできない。但、自分を変えて家族に認めてもらおうと努力したシャシの存在に感謝すべきだ。おかげで娘も自分の過ちに最後に気付いたようだ。娘はそこで成長できたのだ。シャシは「自分を愛することを知れば、古い生活も新鮮に見えてくる」といったが、果たして成長した娘はどの様に見えたのだろうか。

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映画『こんな夜更けにバナナかよ 愛しき実話』鑑賞文

2019/03/22
中1・中2の生徒が鑑賞しました。
難病を患い、人の助けなしでは生きられないにも関わらず、医師の反対を押し切って、
自立生活を送っていた鹿野靖明さんとボランティアスタッフとの交流を描いた作品です。 【注意】鑑賞文は時に映画の重要な内容や結末に触れる場合がありますので、お気を付け下さい。

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中1S君

 僕は、この映画を見る前、タイトルがくだけた感じで、笑える映画なのだと思いました。案の定コメディ映画のように笑わせてくれる作品でした。また、笑いとともに人の生き方について深い洞察をくれる作品でした。  この作品で最も印象に残ったのは、鹿野の「思い切って人の助けを借りる勇気も必要」というセリフです。人は、他の人の助けを借りるのは意外と難しいものだと思います。気を遣ったり、申し訳なさがあり自分も「人の助けを借りる勇気」はないと思います。筋ジストロフィーである主人公の鹿野はなおさらだと思います。しかし、鹿野は筋ジストロフィーだからこそ「人の助けを借りる勇気」を大切にしています。だからこそ生きていけています。このセリフは鹿野と同じような境遇の人たちに勇気を与えたと思います。  もう一つ印象に残ったセリフがあります。 「本音で話せよ。正直にいきているか?」というセリフです。これは、田中という「自分の思いを表にださず、他の人の顔色を伺いながら言葉を選ぶことが多い人」に対しての言葉です。僕は、人間のほとんどが田中のような生き方をしていると思います。しかし、このセリフからは田中とは逆に自分のやりたいことに対して実直である鹿野の生き方が感じられました。 「強く生きる」というのはこういう「鹿野」のような生き方なのだと学ばせてもらいました。鹿野の姿を見て、言葉を聞くと、人生の意義を思い出させてくれます。鹿野の言葉を自分自身に当てはめてみて、責任や勇気、夢など今一度自分の心に聞いてみることが必要だと思いました。



			
			
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映画『ワンダー 君は太陽』 鑑賞文

2019/03/22
中1・中2の生徒が鑑賞しました。生まれつきの障がいにより人とは違う顔の10歳の少年が、
初めて通う学校でいじめに会うが、少年の行動によって同級生たちが少しずつ変わっていくという、感動作です。 【注意】鑑賞文は時に映画の重要な内容や結末に触れる場合がありますので、お気を付け下さい。

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中2 М君    僕は「ワンダー君は太陽」という映画を観た。そこにあったのは外見によるいじめについての問題であった。  この映画のストーリーは遺伝子の疾患によって普通の子には見えない、主人公オギー・プルマンを中心に描かれたものだが、それだけではなく、オギーの姉ヴィアやその友達であるダニエルなど、各登場人物の世界観が表されているのも見どころだと思う。作中でもあったようにオギーという太陽の周りを回っている惑星というのがキーポイントだと感じた。もちろんオギーを取り巻く様々な人間ドラマが共感を呼び、感動が止まらなかったのだが、僕はそれよりもオギーの周りにいる人、家族や親友であるジャックなどの絶妙な距離感に注目してしまった。特に姉のヴィアや親友のジャックはとても複雑だった。  オギーの姉であるヴィアは両親から「世界一手のかからない子」と呼ばれているほどで心配をかけるようなことは何一つ話さない。本当は自分にも注目してほしいけれども、絵本のイラストレーターと美術の先生になる夢をあきらめた母に、甘えることができなかった。そんな彼女の心の支えとなったのがヴィアのおばあちゃんであるソニア・ブラガだった。しかしおばあちゃんは亡くなり、幼馴染で大親友のミランダからも距離をおかれ、悩んでいた。しかしそこで演劇クラスのジャスティンという魅力的な男の子から声をかけられ、またいつもの自分になることができた。  次にオギーの親友ジャックだが、出会いは学校の紹介の時である。最初は母に優しくしてやれといわれて仲良くしていたが、理科の小テストで答えを教わったことをきっかけに、二人は意気投合した。オギーの自宅に招かれ、息子の初めての友達を大歓迎する家族とともに仲良くなっていく。しかしハロウィンの日にクラスの中心であるジュリアンにオギーの悪口を言っていたのを聞かれてしまい、距離をとられてしまう。それはジュリアンにオギーとの関係を知られたくないためのうそなのだが、それを知らないオギーは激怒する。その後オギーをいじめるジュリアンを殴るなどの勇姿を見せるなど、オギーもジャックのことを認め直し、劇的な仲直りを果たす。複雑な環境にいながらも、オギーの魅力に気づいてかばうなどの彼の行動はとてもかっこよかった。  この映画でも沢山の名言があったが、僕の心に一番響いた言葉はオギーの通う学校のトゥシュマン校長のセリフであった。「彼の見た目は変わらない。変えられるのは我々の見る目。」このセリフから、いろいろなことをありのままに受け入れる柔軟性と強さ、そして優しさの大切さが分かる。そして今、私たちに一番必要なのは、ズバリこれなのではないだろうか。

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映画『ウインストン・チャーチル/ヒトラーから世界を救った男』鑑賞文

2018/11/30
中3と高1の生徒が鑑賞しました。第二次大戦時に英国首相に就任し、ヒトラーの脅威に敢然と立ち向かったウィンストン・チャーチルの物語です。

チャーチル-1.jpg【注意】鑑賞文は時に映画の重要な内容や結末に触れる場合がありますので、お気を付け下さい。

中3М君
 私はこの映画を見て、自分の正しいと思ったことをつらぬく姿勢というのがものすごい力を発揮するということを感じとることができた。 ウィンストン・チャーチルという男は、英国紳士とはお世辞にも言えないような人で、作中のさまざまなシーンで彼の怒りっぽさや荒い言動などが描かれていた。
彼が首相になったときも政党内からの不信感は大きく、いわゆる嫌われ者のような立ち位置だった。
しかし彼は、ドイツとの和平交渉をするかしないかの選択を迫られているときに、一貫して和平交渉をしないという姿勢をつらぬいていた。
普通だったら、政党の中で和平交渉のムードが漂っていて、かつドイツから大きな打撃も受けている中で和平交渉をしないという決断は保てないはずだ。
しかし彼は自分の選択を信じつづけ、結果的に国民の支持を得て国全体のことを救うことができた。
 この話から、自分の一度決めた選択を曲げないという力はものすごく重要だと思った。
今の日本でも、「同調圧力」によって自分の考えを変えたり、その場のノリで物事を決めたりするが、それは正しい判断なのだろうか。
私はそうは思わない。チャーチルのように一度自分で決めたことを突き通す方がより良い結果を生み出すことができると思う。  私は、現在の人々に、こういった自分の決めたことを突き通す力が少し欠けていると思う。
だからこそ、こういった歴史を自分の糧にして行動していくことが必要なのである。
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映画『グレイテスト・ショーマン』上映会

2018/09/30
19世紀半ばのアメリカで、サーカスの興行を始めたP・T・バーナムの人生を、歌と踊りで描いたミュージカル映画です。
この作品はいつもの上映会と異なり、放課後鑑賞を希望する生徒が、学年は関係なく自由に鑑賞できる上映会として開催されました。
多くの生徒が入場し、「音楽が、どれも素晴らしかった」「サーカスやダンスシーンが迫力があり、すごいと思った」と口々に感想を述べていました。

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映画『ファウンダー ハンバーガー帝国のヒミツ』鑑賞

2018/06/30
中3の生徒が鑑賞しました。
片田舎の小さなハンバーガー・ショップを、世界的大企業「マクドナルド」に急成長させたビジネスマンの人生を描いた問題作です。 ファウンダー1.jpg【注意】鑑賞文は時に映画の重要な内容や結末に触れる場合がありますので、お気を付け下さい。


中3K君
 この映画を見て、一番最初に思ったのは、主人公クズだなと思いました。
会社を乗っとったあげく、約束を破る人間のくずだと思います。
しかし、あんな男を信用したマクドナルド兄弟も考えが浅はかだったと思います。
しかし、レイは合理的な考え方をもっているのも事実で、大きな野心と、先を見とおす目をもっているのもまた事実だと思います。 レイはミキサーを売っている中年の男性でしたが、その野心と、行動力で、世界でもかなり規模のでかい会社の社長になりました。 彼はその過程で、たくさんの物や人を犠牲にしたと思いました。
例えばマクドナルド兄弟。彼らは自分たちが苦労して作り上げたシステムやノウハウを全てとられ、
マクドナルドという店もとられて、紳士協定もなかったことにされてしまいました。
そして、妻もその1人だと思います。
全々家にも帰ってこなく、いっしょに料理に行く約束を破られ、浮気され、最終的に離婚されてしまいました。
 たしかに彼は人間のクズですが、世界中に安く、早く食べれる、ファーストフードを広めました。
これは凄いことだと思います。実際マックは便利でおいしいのでたまに行きます。
彼はその点すごいと思います。しかし、クズです。

これから思ったことは、物事には二つの側面があるということです。
どんな人でもいいことも悪いことをしてると思います。
彼は正しいこともいっていてやってることも合理的だと思います。
しかしそこまでして金と名誉がほしいのかとは思いました。
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映画『ドリーム』鑑賞文

2018/05/10

中1中2の生徒が鑑賞しました。NASAで初期の宇宙開発計画を陰で支えた3人の黒人女性数学者の、知られざる活躍を描いた作品です。

【注意】鑑賞文は時に映画の重要な内容や結末に触れる場合がありますので、お気を付け下さい。

中1T君

 僕は「ドリーム」という題名を聞いて、「見る人に夢や感動を与える映画なのだろうな」と予想していましたが、予想以上に感動的な映画でおどろきました。

舞台は1961年のアメリカのNASAで、まだ黒人差別が残っている時代でした。

 優秀な黒人女性で主人公のキャサリンは、同僚のメアリー、ドロシーと一緒にロケット打ち上げのための計算係の仕事をしていましたが、3人に対する差別は、僕にとって信じられないものばかりでした。

 黒人を含む非白人は、白人用トイレを使用することができず、800mも離れた有色人種用トイレに行かなければならない上、共用自転車を使えず徒歩で往復しなければならないことやコーヒーポットさえ人種分けされているのを見て、驚きというよりか、「なぜこれほど意味のない馬鹿げたことをするのだろう」と思いました。

 僕は1862年にリンカーンが「奴隷解放宣言」をしたことは伝記を読んで知っていたので、これから約100年後のNASAという先進的な職場で、トイレやポットだけでなく、重要な会議には男性しか参加できないとか、エンジニアになるための学位を得るための大学に黒人女性が通うことができないなど肌の色や性別だけで優秀な人の能力を活用できなかったことは、もったいないし、馬鹿らしいと思いました。

 ただ、僕にとって印象的だったのは、差別的な言動よりも、この時代では、黒人と白人であらゆるものが別々になっていることをみんなが普通のことと思って生活していることでした。

 今の僕たちから見ると異常な時代ですが、たった50年ほど前の時代には差別のある社会が当たり前だったなんて本当におどろきです。

この話が実話はなんて、信じられないくらいでした。

 キャサリンたちが、差別について、上司のハリソン本部長に訴えた時、ハリソン本部長は「NASAでは小便の色が誰でも同じだ」と言って白人用トイレの表示をハンマーで壊すシーンがあり、そこは少し感動しましたが、後から考えると、ハリソン本部長は差別をなくそうとしたわけでなく、キャサリンが優秀で部下として必要だったので、単にトイレが近くにあった方が良いと思っただけだったのかもしれません。

 映画の中でキャサリンが、ある人から「君のような女性がNASAで仕事をしているなんてすごいね」と言われて、「私がこの仕事をできているのは黒人女性だからではなく、メガネをかけているからよ」と切り返しました。

 人種差別ではなく、能力があるから仕事をしていると言いたかったのだと思いますが、うまいことを言うなと思いました。

 最後に、マーキュリー・アトラス6号いうロケットを打ち上げた時、キャサリンが正確に計算をして、着地も成功し、ハッピーエンドでよかったなと思いました。

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シネマ倶楽部『シング・ストリート 未来へのうた』鑑賞文

2018/04/11

中3の生徒が鑑賞しました。1985年、大不況にあえぐアイルランドの首都ダブリンを舞台に、

家庭にも学校にも居場所を見つけることのできない14歳の主人公が、恋や音楽に次第にのめりこんでいく姿を、

80年代のヒットナンバーに乗せて描いています。

【注意】鑑賞文は時に映画の重要な内容や結末に触れる場合がありますので、お気を付け下さい。

中学3年 T君

 僕がこの映画で心が動かされた場面は、主人公が兄に「お前は俺の切り開いた道を通ってきた」と言われている場面です。

僕は末っ子なので、「切り開いた道」という言葉を聞いた時に、自分もその道を辿るようにして生きてきたことを思い知らされました。

両親や兄姉のしていることを真似して、上手く物事が進んでいくことを当たり前とするように生きてきた面が僕にはあります。

その意識自体を僕は悪いこととは考えていないし、むしろ良いことであると考えています。

ですが一方で、「切り開く」側の人間も大勢いて、その人達が苦労をしている現実を僕は軽く見ていました。

僕もいつかは、自ら新しい道を切り開くような立場になるということを考えつつ、先人の知恵に感謝することが大切なことであると思いました。

 主人公は、バンド活動や恋愛を通じて作詞の才能を磨き上げたり、嘲笑されても彼自身の考えを曲げない心の強さを確立したりできました。

その結果彼は、兄を越える、音楽での表現力を身につけることができました。

「切り開く」側の人間になったのです。恋愛とバンド活動は、どちらも自分と相手(仲間)との触れ合い、価値観の共有が必ず行われます。

このことが、他人とは違う個性を生んでいくのだと、映画を見て実感できました。

 主人公は兄の「カバーバンドはやめろ」という知恵と、バンド仲間そして恋人との価値観の共有によって彼自身の道を開拓していきました。

主人公のように、すでに出来ている道を辿る生き方から道を作っていく生き方へ変えていきたいです。

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シネマ倶楽部『バーニング・オーシャン』鑑賞文ご紹介

2018/03/06

中1、中2の生徒が鑑賞しました。2010年のメキシコ湾原油流出事故をモチーフとした災害パニック映画です。

【注意】鑑賞文は時に映画の重要な内容や結末に触れる場合がありますので、お気を付け下さい。


中2 K君

 今回、鑑賞した「バーニング・オーシャン」は私の中ではこれまでの学校での映画鑑賞で一番面白かったです。ノンフィクションでここまで激しい映画は初めて見ました。この映画の中で印象に残ったシーンは2つありました。1つ目は事故が起きてしまった理由に関わるシーンです。石油掘削計画は予定よりも遅れていました。そこで幹部は、安全点検を十分にしないという強行策をとりました。私はこの点が事故を引き起こした一番の要因だと思います。会社としては利益を最優先したいところだったと思いますが、危険が伴う作業だからこそ万が一の事も考えておく必要があったと思います。また、幹部という人を操る立場だからこそ1人1人の作業員の命があり、家族などの背負っているものがあるということを忘れてしまってはいけないのではないかと思いました。
 2つ目は脱出のシーンです。幹部は作業員よりも自分が先だと逃亡していきました。一方、作業員達は被害を食い止め、1人でも多く救助しようとしました。私はこのシーンで最後まで働いた作業員たちはすごく周りが見えていて、自己犠牲の精神はすごいなと思いました。一方、幹部は1つ目のシーン同様、視野が狭く、自己中心的だなと思いました。私は部活でよく「アンテナを張れ」ということを言われます。正確に言うと視野を広く持って周りを気遣うということです。そういうことができるように冷静になって、視野を広く持ち、アンテナを高く張っていきたいと思いました。

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映画「この世界の片隅に」鑑賞文

2018/01/06

映画「この世界の片隅に」鑑賞文
高2高3の生徒が鑑賞しました。戦時中の広島・呉に暮らす人々の日常を描き、昨年高い評価を受けたアニメーション作品です。

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【注意】鑑賞文は時に映画の重要な内容や結末に触れる場合がありますので、お気を付け下さい。

高3 T君

 「この世界の片隅に」という名前は、この映画にふさわしいものだと感じた。誰もが苦しい生活を強いられた戦中の日本においても、その「片隅」にはごくあたり前の日々の生活が存在していたことを感じることができたと思う。今を生きる私たちにとっては、イメージのしにくい時代だが、豊かな色彩で表現された世界は、不思議な程に違和感もなく私の目と頭に入っていった。
 色彩に加え、もう一つ美しいものがあった。それは人々、即ち日本人だ。今の私たちも同じ日本人だ。しかし、この映画に描かれた人々は明らかに今と違うと感じた。作品の中で人々は決して恵まれた生活をしてはいなかった。だが、それは問題ではない。ただただ「生きたい」という思いで、明日も見えない日々を、ひたすらに屈することなく逞しく生きていたのだと私は強く感じた。それに加えて、家族や大切な人との絆や愛。これらの姿は本当に「美しい」と感じた。と同時に、これらは今の日本人から欠落してしまったのではないかと感じざるをえない。今の私たちに、日本人として、人間としてどう生きるべきかというメッセージを送っていると私は思った。
 最後に、やはり戦争は何の意味もない悲惨なものだという思いを抱く。作品中に、二人の印象的な少女が出てきた。一人は主人公の義理の姉の娘だ。不幸にも不発弾の犠牲となった。また、もう一人は終盤に、原爆で母を失った子。二人とも、現代であれば何不自由なく生きられるが、戦争の惨禍に巻き込まれたのだ。そう考えれば、現代は比較にならないほど平和で、豊かな日々だ。だが、私たちはそれに決しておごることなく、一日一日を大切に、感謝して、有意義なものにしていくべきではないだろうか。それが、今を生きる私たちに求められている事と強く思った。


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映画『PK ピーケイ』鑑賞文ご紹介

2017/10/09

映画「PK ピーケイ」鑑賞文

中3・高1の生徒がインド映画「PK」を鑑賞しました。地球を偵察しにやって来た宇宙人PKは、目にするもの全てが新鮮。中でも「宗教」や「神様」の存在に大きな疑問を抱きます。

【注意】鑑賞文は時に映画の重要な内容や結末に触れる場合がありますので、お気を付け下さい。

高1 Y君
 
 僕も「宗教なんて」と口にしたことが人生で数回はある。うそっぱちだとか、一番稼ぎやすい職業だとかいうことだ。
 この映画の監督もまた、僕と同じように宗教について考えたことがあるのだろう。「かけ間違い」や「恐怖ビジネス」なんて言葉をうまく使って、宗教の嘘とも言うべき部分を示していた。率直にそんな所はおもしろい。
 だけどこの映画はそれだけで終わらなかった。PKの「兄弟」は、宗教を守ろうとするテロリストにより死んでしまう。
 無闇に宗教を否定するだけでは間違いなのだ。どうしても頼るものがなくなって、宗教にしか頼れなくなった人達だっている。そういう人達の宗教を取り上げるようなら、それはそっちの方が悪なのだ。PKはそれを理解した上でこう続ける。人に頼られるはずの宗教でも、それが間違った方向に人々を動かしてしまうなら、「かけ間違い」のイタズラの所為で、くだらない理由でジャグーとサルファラーズの間が引き裂かれてしまう
のなら、そんな宗教は「消えろ」と。
 宗教の良い所も悪い所も映した映画だと思った。頼られることはあっても、人々をおびやかすようなことを宗教がしてはならないのである。これからも世界に宗教は残りつづけるだろうけど、くだらないことで「クツしか残らない世界」になってしまわないよう、ジャグーとサルファラーズやジャグーのお父さん、そしてPKの間の様に、宗教なんかに呑まれることのない強い愛に溢れた世界になるようにしたいと思った。


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映画「帰ってきたヒトラー」鑑賞文ご紹介

2017/04/09

映画「帰ってきたヒトラー」鑑賞文

2月に、中3の生徒が鑑賞しました。ヒトラーが現代のベルリンに甦り、モノマネ芸人として大ブレイクするのですが、いつしか再び大衆の支持を集め始めてしまう・・・という内容です。出だしはコメディーですが、ラストは辛辣です。

【注意】鑑賞文は時に映画の重要な内容や結末に触れる場合がありますので、お気を付け下さい。中3 I君  「今、この映画の危惧している事が起きている。」僕はこの感情を一番に感じた。  この映画は1945年に死んだはずのヒトラーが現代のドイツに戻ってくるという設定の物語である。テレビ会社を解雇された記者のザヴァツキの推薦でテレビ番組に出演し、人気を集めるが、犬を撃ち殺した映像を取り出されクビになってしまう。そんな時でもドイツ全国を回って、人々の不満を聞いていく。この場面では実際に普通の民間人の意見なのでとてもリアルであり、こんなに不満を持っている人がいるのかと驚いた。さらに不満の多くは外国人の流入についてであった。これこそがヒトラーにとって一番不満をあおりやすいポイントである。僕が「この映画の危惧している事が起きている。」と感じるのはこの外国人流入の不満をあおっていくやり方をアメリカ大統領のトランプ氏が現実に行っているからである。  映画の最後の台詞「好機到来だ」にはぞっとした。トランプ大統領にとって今はまさに「好機到来だ」なのだろう。  しかしそれよりもっと恐ろしいと感じるのはそのような人物を指導者に指名してしまう国民である。映画の中には「私を選んだのは国民たちだ。私は人々の一部分なのだ。」というヒトラーの言葉がある。この言葉に含まれているメッセージは、不満をあおりさえすればいつの時代でもヒトラーのような人物が出てくることができるということだと僕は思う。  そして映画全体のメッセージでもあると思う。だからこそ簡単に自国第一主義や排外主義をとってはいけないと思う。

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映画「オデッセイ」鑑賞文

2016/12/24

11月11日に、中1・中2の生徒が鑑賞しました。宇宙飛行士である主人公は、不慮の事故で火星にたった一人、取り残されてしまいます。地球からの救援を待つのに手持ちの食料は不十分で、どう考えても絶望的な状況です。しかし主人公は持ち前の明るさを武器に、サバイバルに果敢に挑戦し続けます。そして...
監督はリドリー・スコット、主演はマット・デイモンです。


【注意】鑑賞文は時に映画の重要な内容や結末に触れる場合がありますので、お気を付け下さい。

中2 W君

 僕がオデッセイを見て思ったことは、人間の力はすごい、ということと、仲間というのは素晴しい、ということです。
 主人公の、マーク・ワトニ―は事故で火星に独りになってしまいます。次に人が火星のもとに行くには、一年以上かかります。当然そこまで食料は無く、火星にも何もありません。そんな絶望的な状況の中、マークは自分の頭、科学の力を駆使して、食料の生産に成功します。地球との交信にも成功し、生還の可能性が出てきます。しかし、アクシデントがさらに起き、食料を作ることができなくなってしまいます。それでもマークはあきらめず、自分のできることをやりました。一方地球のNASAでも、彼の救出に力を注いでいました。彼の食料が尽きるのは時間の問題となった時、急いで物資を送るも失敗。そこで他の国と協力して、彼の救出へ彼のクルーを向かわせました。そうして、マークは宇宙空間で無事助けられました。
 僕はこのことから、人間のすごさを知りました。信じられないくらい遠い場所の一人を助けることはほぼ不可能だと思いましたが、それを可能にしてしまう頭脳を持っています。科学の力はすごい、とよく言いますが、それを作りだしたのは人間なのです。
 マークを助ける、となった時、彼の仲間たちは全員が行く、と言いました。それぞれに大事な人がいるのにもかかわらず、しかも死ぬ可能性が高いというのにむかっていく姿には感動しました。仲間というのはすばらしいと思いました。
 科学の力はすごい反面、その使い方に十分気を付けるべきだと思います。皆が良いことに使っているわけではありません。僕はそういう人たちのそういう考えがなくなり、人間というもののすばらしい知恵を、人助けなどに使ってほしいと思います。

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映画「ブリッジ・オブ・スパイ」鑑賞文

2016/11/21

9月26日に中3・高1の生徒が鑑賞しました。米ソ冷戦時代に実際に行われた、スパイ交換をめぐる驚愕の実話です。監督はS.スピルバーグ。主演はトム・ハンクスです。


【注意】鑑賞文は時に映画の重要な内容や結末に触れる場合がありますので、お気を付け下さい。
 

高1 O君

 僕はこの映画を見て、とても興味深く感じた。なぜなら、鑑賞している人を引き込ませ、考えさせる為の工夫がたくさん仕掛けられていたからだ。

 まず、この映画の展開の速さには驚きである。最初は主人公であるジム・ドノヴァンが弁護士として、ソ連スパイを死刑から減刑、そして無罪にまでさせる為に戦うはずが、裁判は早々に終わり、米ソ間での捕虜スパイの交換を交渉するという壮大なストーリーに発展して、鑑賞者は気を抜いていると置いていかれそうな勢いである。そして早いだけでなく、スパイ交換のシーンなどの緊張する場面では逆にゆっくりと進み、見ている側をドキドキさせるのである。

 次に我々が引き込まれる要素は、所々に出てくる、ある2者間での対比だ。1つ目として上げられるのは、アメリカの中での平和と当時ソ連側にあった国々の荒廃した姿の対比である。数あるそのような対比の中で一番印象に残ったのは、"壁"のシーンである。ドノヴァンは、東独と米にて列車に乗り、その中から壁を乗り越えようとする人々の姿を見る。一方は、必死になって越えようとして軍隊によって射殺され、もう一方は無邪気に遊びながら壁を越える子供の姿であった。この描写はとても平和の大切さを訴えかけてくる。もう一つの対比として忘れてはいけないのが、アメリカとソビエトの対比である。両国は経済主義のみで比較されるのではなく、国内情勢や治安などのあらゆる面で対照的であった。基本的には、アメリカが良く見えて、ソビエト連邦が悪く見えてしまう。ただここで忘れてはならないのが、この映画がアメリカの映画ということである。つまり、少なからずとも誇張等が存在するのである。僕はこの映画だけで、冷戦を判断せず、ソ連側の目線からも見たいと思う。

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映画「黄金のアデーレ」鑑賞文ご紹介

2016/09/15

映画「黄金のアデーレ」鑑賞文


7月7日に高2・高3の生徒が鑑賞しました。82歳の老婆マリアが駆け出し弁護士ランディと共にオーストリア政府を相手に裁判を起こします。それは戦時下にナチスに略奪された、マリアの叔母をモデルに画家クリムトが描いた名画"黄金のアデーレ"の返還要求でした。奪われた名画が辿った数奇な運命を描いた、実話を基にした感動のドラマです。

【注意】鑑賞文は時に映画の重要な内容や結末に触れる場合がありますので、お気を付け下さい。
 

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高3 A君

 冒頭の二人が出会うシーンでマリアが言った言葉が印象的だった。
「過去を忘れさせたくないの。みんなすぐに忘れるから。若い人は特に。」
 この言葉にマリアが絵を取り戻す理由が詰まっていると思った。マリアにとって、姉やアデ―レ、両親たちとオーストリアで暮らした過去は、懐かしく、美しい思い出であったとともに、ナチスの台頭によるアメリカへの亡命のために打ち切られ、両親と別れざるをえなかった悲しい記憶でもあった。しかし、マリアは思い出したくない過去に踏み込むことを決意し、絵の返還を求めた。彼女にとって絵を取り戻すことは、絵を元の所有者に戻すことではなく、彼女がオーストリアで両親や叔母たちと過ごした美しい記憶を甦らせるということだったと思う。
 マリアに協力したランディも、過去を見つめ直し、記憶を甦らせることを動機として行動を起こし始めたのだと思う。オーストリアで彼は、ナチスに迫害されて殺害された人々に思いをはせ、絵の返還へ向けて全力を尽くすことを決意した。彼が調停の場で語った言葉も、マリアの冒頭の言葉に通じるものがあった。彼は調停の場で、不当に回収された絵の返還を求めるとともに、ナチスに加担し、ユダヤ人の迫害に手を貸してしまった過去を見つめ直し、過去の罪を認め、償いをすることを選択するよう語った。「過去を忘れさせず、記憶を甦らせる」という信念が印象に残る映画だった。

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映画『あん』鑑賞文紹介

2016/07/01

映画「あん」鑑賞文

6月8日に中1・中2の生徒が鑑賞しました。どら焼き屋を営む男性と、粒あん作りの腕を買われて働くことになった老女との、心の交流を描いた作品です。

【注意】鑑賞文は時に映画の重要な内容や結末に触れる場合がありますので、お気を付け下さい。
 

中1 S君

 逗子開成中学に入って初めての映画鑑賞。作品名は「あん」だった。
 この作品は、あるどら焼き屋に、一人の老女がやってくるところから始まる。そのどら焼き屋の店長、千太郎や、店の常連の中学生、ワカナの人生はその老女、徳江と出会って大きく変わっていく。そんなストーリーだ。
 最初、この映画を見る前、僕はつまらないだろう、途中で寝ようなどと考えていた。しかし、いざ蓋を開けてみると、作品で映し出されていた情景に、現実で起こっている社会問題の深刻さを教えられたような気がした。それは、世間において忌み嫌われた病の患者であり、前科を持つ者であり、大人に権利を奪われた者であった。その姿に、僕は心を打たれた。
 僕は、この作品から、「生命は尊い」というメッセージを伝えられたような気がした。作品中にこんな台詞があった。
「人は世界を見るため、聞くために生まれてきた。だから、何もしなくても、私たちには生きる意味があるのよ。」
この台詞に、あのメッセージが込められていると僕は思う。「だから、生命を大事にしないといけない」と、伝えたいのだと思った。
 実際に、徳江や千太郎、ワカナが何を考えているかなど分からない。分かるはずがない。だが、推測することならできる。例えその予想が間違っていたとしても、それは人の心に蓄積され、やがて血となり肉となる。その経験を積み重ね、人は成長していく。その過程で、智恵を身に付けることで、世間から弾かれた人々を救うことができる慈悲深い人間になれるのだと思う。僕は、そんな慈悲深い、優しい人間になりたい。

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映画『ふたつの名前を持つ少年』鑑賞文

2016/03/24

2月10日に中3の生徒が鑑賞しました。ユダヤ人強制居住区から脱走した8歳の少年が、ナチスの執拗な追跡から懸命に逃げ延びる姿を描く、実話に基づいたドラマです。

【注意】鑑賞文は時に映画の重要な内容や結末に触れる場合がありますので、お気を付け下さい。
 

中3  N君

 僕は主人公の少年をかわいそうに思った。それは、ユダヤ人が迫害される様子があまりにも残酷だったからである。もちろん、僕は生まれてから今までそんなに残酷な目に遭ったことはなく、聞いたことはあるが、今日のように映像で見たのは初めてだった。だからこそ、今日の映画は新鮮に感じた。
 残酷な行為を繰り返したというと、ユダヤ人迫害が真っ先に思い浮かぶので、どうしてもドイツが悪いという先入観がある。しかしよく考えてみると、イギリスでも同じような人種差別をしていたことを思い出した。また日本でも戦時中に虐殺を行っていたらしい。他にも同じような事がたくさんあったのだろうと思う。そう考えると、ドイツに限らず世界の各地で差別、偏見はあり、時代とともに薄れていったのだと思う。僕はこれらの問題について詳しくないので、想像になってしまうが、問題の解決には被差別者の努力があったのだろうと考えた。今回の映画でも、話の途中で主人公を孤児院に送った人物も、「我々には君が必要だ。」と言っていたことから、ユダヤ人の差別解放に努めていたのではないだろうか。
 今となっては差別で苦しむ人々も当時に比べたらはるかに減少したのではないだろうか。この減少の裏に彼らの努力があることを決して忘れるべきでないと思う。また、自分が将来、人を傷つけたり、苦しい思いをさせたりせず、困っている人を救っていける人になりたい。

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映画『幕が上がる』鑑賞文ご紹介

2015/12/19

11月19日に、中1・中2の生徒が日本映画『幕が上がる』を鑑賞しました。弱小演劇部員の少女たちが、新しく赴任してきた教師の指導で生まれ変わり、全国大会を目指すという青春ドラマです。

【注意】鑑賞文は時に映画の重要な内容や結末に触れる場合がありますので、お気を付け下さい。


中2  T君

 映画を作る人にとって「俳優をいかに魅力的に見せるか」という課題はとても大きなものだと思う。僕は『幕が上がる』という作品の作り手はこの課題を完璧にクリアしていると断言する。主人公達を演じるのはももいろクローバーZというアイドルグループのメンバー達。僕はこれまで、このグループについてほとんど何も知らなかった。ところがこの作品を観ただけで、ももクロのメンバーの魅力に一気に引きこまれた。この場合の「魅力」とは何も顔のかわいらしさだけではない。部活に一生懸命打ちこむひたむきさ、会話をしている時に見せる喜怒哀楽の表情なども全て含めて「魅力」なのだと思う。実はこれらの「魅力」をももクロから引き出すために作り手側は様々な工夫を凝らしている。
 例えば、本作の前半部分にある主人公のナレーション。一見説明しがちに聞こえるが、主人公の高橋は最初、思っていることをなかなか口に出せないキャラなのだ。つまり表情などで心情を表現しなければならない。このような演技はとても難しいので、ナレーションで説明するというような工夫は観客にも演じる側にとってもプラスに働いている。
 また、高橋と中西がショッピングモールで会話をするシーン。二人の距離が縮まる重要なシーンだ。ここで高橋は汗だくでジャージ姿でリュックを背負っているのに対し、中西は清楚な服を着て、落ち着いている。このままでは二人の距離は縮まらない。ところが、高橋が出した演劇の大会のチラシを見て、中西が思わず高橋の飲み物を手元に持ってくる。この一連のシーンはとてもさりげない行動の連続だが、中西が飲み物を手に取ることで、高橋に心を開いたという意味を持つのだ。
 このように細かい演出や工夫を凝らすことで主人公達のキャラに奥行きが増し、一気に観客は主人公達に感情移入できるのだ。
 これまでチマチマしたことばかり並べてきたが、本作の素晴らしさを雄弁に物語っているのは、「ももクロの魅力に初めて気付いた。」と言う事実だ。とにかく主人公の5人が最高だ。映画を観ているうちにどんどん彼女達に惹かれていき、最後に文字通り「幕が上がる」瞬間に彼女達を応援したくなってしまうほどだ。それだけももクロのメンバーや本作の作り手には人々を虜にする力があるのだと思い知らされた。そして、ももいろクローバーZがなぜこれほど人気があるのかという理由も何となく分かった気がした。

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『SESSION』映画鑑賞文ご紹介

2015/11/10

9月25日に、中3・高1の生徒がアメリカ映画『セッション』を鑑賞しました。音楽大学を舞台に師弟の激しいぶつかり合いを描いた本作は、第87回米国アカデミー賞で助演男優賞を含む3部門を受賞した、評価の高い作品です。

【注意】鑑賞文は時に映画の重要な内容や結末に触れる場合がありますので、お気を付け下さい。


高1  M君

 今回私たちの見た『セッション』という映画は主人公ニーマンが大学の鬼教師フレッチャーの指導を経て、最終的に二度と生まれることのないであろう最高の演奏を成し遂げるという物語だった。
 今回の映画を見て、私はある高校野球の監督の話を思い出した。その人は毎年甲子園に出場するような強豪校の監督で、その監督は全国的にみてもトップクラスのハードな練習を課すことで有名な人物であった。その人はあるテレビ番組の中で次のように話していた。「私は選手を誉めて延ばすようなことはしません。誉めることで延びたと錯覚するのは本当の強さではないからです。本物の選手はきびしい練習の中でもがきながら耐えた者をさし、そのような選手だからこそ私も試合で安心して起用することができるのです。」と。私は今回の映画を見てまさにその話の通りだと思った。今回の映画で教師のフレッチャーは生徒であるニーマンに厳しい試練を与え続け陥れるようなことをしていた。だが映画の最後のシーンではニーマンはフレッチャーをも唖然とさせるような才能を開花させ、二人で最高の音楽を創り上げていった。映画のラストシーンでフレッチャーもニーマンもお互いに笑顔だったのは、前にも書いたように厳しい試練にニーマンが耐えたことでフレッチャーとの間に絶対にゆらぐことのない、絆が生まれたからではないだろうか。
 真の信頼関係を築くことは簡単ではなく難しいことだが、今回の映画を見て、その一つの方法に気付かされたように思う。とても興味深い映画だった。

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映画『壬生義士伝』鑑賞文ご紹介

2015/09/15

映画『壬生義士伝』鑑賞文ご紹介

7月8日に、高2・高3の生徒が日本映画『壬生義士伝』を鑑賞しました。この作品は架空の新撰組志士・吉村貫一郎を主人公に、幕末の動乱を描いた感動作です。

【注意】鑑賞文は時に映画の重要な内容や結末に触れる場合がありますので、お気を付け下さい。

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高3  C君
 義士伝という名の通り義を貫く侍の物語、かと思っていたが、義の話が出てくるのは映画の後半。前半で描かれる主人公吉村貫一郎はずいぶんとお金に執着する、武士のイメージとはかけ離れた男だ。
 しかし、それは彼の家族を思う故の行動であった。全体を通して感じるのは、貫一郎の家族に対する強い思いだ。家族を守るためには脱藩という藩・藩主に対する不義もいとわなかった。そして、これまた、命や家族に執着せず義を貫くべしである侍とはかけ離れた思いだ。ここまでは貫一郎は全く武士らしくない男だと思っていた。
 しかし、だからこそ、故郷南部盛岡で武士の心を説いてきた貫一郎は、もうこれ以上不義はすまいと一途に突っ走ったのだろうか。鳥羽伏見の戦い、幕府側の圧倒的な不利の中で、それでもひとり突き進んだ彼は、まぎれもなく侍の義を貫いたのだった。映画前半の、ぺこぺこと頭を下げお金をせびる姿からは想像できぬ男らしさに胸を打たれた。どの姿も貫一郎の真の姿であるから、その純真さと奥にある本物の侍の心に、初めは彼を嫌っていた斎藤も惹かれていたのだろう。
 ここで終わりかと思いきや、なんと貫一郎は生き延びて親友である大野次郎右衛門を訪ねていたのだった。正直、侍として義を貫いた貫一郎が一度裏切った藩に戻ったことには違和感があった。しかし最後に彼を動かしていたのは、故郷への思い、そしてやはり家族への思いだったのだろう。いつの時代も家族を思う気持ちは変わらないのだと思った。

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映画『トンマッコルへようこそ』鑑賞文ご紹介

2015/07/12

6月10日に、中1・中2の生徒が韓国映画『トンマッコルへようこそ』を鑑賞しました。この作品は、朝鮮戦争の時代に、敵対する兵士達が山奥の村で出会い、最初は争っていたのですが、のんびりした村人の姿に次第に人間らしさを取り戻していくという内容です。

【注意】鑑賞文は時に映画の重要な内容や結末に触れる場合がありますので、お気を付け下さい。

中2 U君

 僕が今回の「トンマッコルへようこそ」を観て一番心に残ったシーンは、一番最後の爆弾が投下されたときのシーンです。そこのシーンまでは一度も笑うことがなかったピョ少尉のあの笑顔はとても格好よく、感動しました。僕は、あの笑顔には安堵の他に、「やりとげた」という喜びの感情が含まれていたと思います。これ以上トンマッコルの人々に迷惑をかけてはいけない。ここで逃げたら後悔しか残らない。ここで逃げてきた人生に方をつける。そういう気持ちがあったのだと思います。そのような意味では、彼らはもう軍人ではなく軍人という肩書きを持ったトンマッコルの住人だったのだと思います。しかし、最後に5人とも死んでしまったのは、これが戦争というものなんだと痛感させられました。そういう戦争の重さというものをしっかり描いていたのがとても良かったなと思います。 
 僕が一番不思議に思った点はトンマッコルの存在そのものです。「いくら山奥の情報が入りにくいような村でも銃も知らない、戦争が始まったことさえ知らない村があるか?」と最初は思っていました。トンマッコルが子供みたいに純粋な村という意味にも納得できました。でもだからこそ彼らは必死になって村を守ろうとしたのだと思います。
 しかし、トンマッコルはこの後、最初に出てきたような理想郷ではなくなったはずです。理想郷を否定し、つぶしていく戦争のむごさに今回の映画を通して改めて気づかされました。

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映画『LIFE!』鑑賞文ご紹介

2015/07/11

2月12日に、中1・中2の生徒がアメリカ映画『LIFE!』を鑑賞しました。この作品は、雑誌社のネガ管理室という日陰の職場で働く妄想癖のある主人公が、紛失したネガを探すうちに世界中を冒険することになるという内容です。画面いっぱいに広がる雄大な景色が印象深い映画でした。

【注意】鑑賞文は時に映画の重要な内容や結末に触れる場合がありますので、お気を付け下さい。

中1 T君
 人には様々な生き方がある。それは学校の、クラスの中でも面白い様に見てとれる。授業中、一生懸命ノートを取り教材を調べている者、必要最低限の内容しか書きとらない者、隣の奴との雑談に異常な熱意を注ぐ者、必死で内職に励む者、まさに多種多様である。生き方というものは、産まれながらに定着してしまっているものなので、変えたくてもなかなか変えられない。テスト前、勉強しないとと、強く思っているのに自習室で遊んでしまった経験は、共感できる人が多いかもしれない。
 この映画の主人公、ウォルターは平凡な暮らしをくり返していた。しかし、妄想の中の世界に入ると彼は180度人間が変わる。勇敢で創造性に富んでいる冒険家へと変身する。私は、この映画において一番ここが共感できた。情けない話だが、私も妄想が好きで存在しない世界に入り浸っている時間はまさに至福の一時であった。
 しかし、ここでLIFE社のスローガンが出てくる。「世界を見よう」この言葉には色々な意味が込められていると私は思う。自分の殻に閉じこもっているウォルターに対する苦言であることはもちろんのこと、ヘリから飛び下りたりサメと格闘したり火山活動に巻き込まれたりと、世界には魅力が詰まっている。その魅力に気付く為に、また啓発する為にショーンは世界中を遊し、シャッターを押し続けたのだろう。写真の中のカメラマンがウォルターに手招きしたシーンには、そんな真意が込められていたのではないだろうか。
 そして、歴代の表紙が飾られているシーンで、一枚だけ存在し得ない表紙がある。ウォルターが宇宙服を着ている写真だ。つまり、外の世界(宇宙)への探求心を示しているのであろう。そして最後は、誰よりもLIFE誌を理解していたウォルターが表紙になる。地味な仕事ではあるが、社の誰よりも真面目に働き縁の下を支えていたネガ管理社員を、ショーンは見抜いていたのだろう。だからこそ、表紙の中のウォルターは新参者のやり手よりよっぽど輝いていた。
 この作品を通じて視聴者に伝えたいのは、広い広い世界を見渡し様々なLIFEを送ること、自分に嘘をつかないで懸命に生きることであろう。自分にも、学業、部活、友人関係など、様々な問題が付きまとっている。しかし、恐れず問題を直視し、挑戦し探求する、それこそがLIFEの真髄なのだと思う。

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映画『標的の村』鑑賞文ご紹介

2015/01/26

中3高1の生徒が、映画『標的の村』を鑑賞しました。この映画は沖縄にある米軍基地への、オスプレイ配備やヘリパッド建設に反対する東村・高江の住民たちの姿を追ったドキュメンタリーです。生徒たちは新聞テレビで知っているはずの問題を、新たな視点で見直すことができたようです。

【注意】鑑賞文は時に映画の重要な内容や結末に触れる場合がありますので、お気を付け下さい。

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高1 M君
 スクリーンに映し出されていたのは、圧倒的なリアルだった。これまでの映画鑑賞で観てきた映画とは一線を画す、ドキュメンタリー形式であるが故の、いっそ暴力的ともいえるリアル。スクリーンから片時も目が離せなかった。登場するのは架空の人物や出来事ではない。現実に起こったこと、現実に生きている人々、その中に演技は一切含まれていない。紛れもない「沖縄の現実」が、私たちの視覚と聴覚に訴えかけてきた。
 オスプレイの配備や、普天間基地の移転等、沖縄の米軍基地に関する問題は知識として知っていた人も多いだろう。私自身もニュースの報道等で度々目にし、状況はある程度把握しているつもりでいた。しかし、現実はそう生易しいものではなかった。想像してみてほしい。自分が住んでいる町が、「軍隊」に囲まれるのだ。彼らは訓練と称して町の上空を飛び回るのだ。オスプレイという名前の「兵器」に乗って。しかもあろうことか、彼らはあなたの住んでいる町を、自分たちの「標的」だと想定して訓練しているのだ。そんな状況に耐えられるだろうか。
 沖縄の人々は抵抗していた。実際にメディアで報道されたのは氷山の一角に過ぎなかったのだと痛感した。と、同時にショックを受けた。そこにあったのは、同じ沖縄県民同士、同じ日本人同士の争いだった。私たちが作り上げた日本政府の暴力に懸命に抵抗する、私たちと同じ日本国民の姿だった。そこに武器は無かった。けれども間違いなく、それは「戦争」だった。日本という国で起こった「内戦」だった。
 これを間接民主主義制の多数決主義による、ただの少数派の排除だと考えていいのだろうか。私たちは沖縄の現実を殆どなにも知らされないまま、ただ政府の決定を受け入れるだけだった。沖縄県民以外の日本国民全員が沖縄の状況を知っていたとしても、事態は同じように進行しただろうか。今の日本の政治は、政界の上層部の一部の人々によっていいように動かされている節がある。集団的自衛権の一件にせよ、消費税増税の一件にせよ、これからの日本の政治の在り方について、今一度考えなおす必要があるのかもしれない。

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『そして父になる』鑑賞文ご紹介

2014/11/17

本年度の高2・高3生徒は『そして父になる』を鑑賞しました。

とてもテーマの重いこの作品。どのように読み解いたのでしょうか?鑑賞文は様々でしたが、一作品をご紹介します!

【注意】鑑賞文は時に映画の重要な内容や結末に触れる場合がありますので、お気を付け下さい。

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高3 A君

 この映画のタイトルは「そして父になる」だが、自分が男性だということもあってか、久しぶりに見る前から興味を持つことのできる作品だった。初め想像していた内容は、病院で子供を取り違えるという事故から始まる話というものだったが、実際はそれが故意に行われていたというものだった。そのようなことが許されて良いはずはないのだが、犯人は法で裁かれることはなかった。そして、そういった事件に巻き込まれた二つの家族はとても対照的なものだった。生活だけではなく、考え方までもが異なる二つの家族、そしてその家族の中心にいる「父」という存在。その「父」がどう変わり、家族の形はどう変わっていくのか。そういった作品だったのだろう。

 まず一つ目の大きなテーマは、親子という関係で最も重要なのは「血縁関係」なのか、「一緒に過ごした時間」なのかというものだろう。確かに、親子なのだから血縁関係が重要だろうという考え方も分かるが、私は、一緒に過ごした時間が大切なのではないかと思う。長い間一緒にいることで愛情も湧くだろう。それに、よく言われているのが、「子は親を見て育つ」というもので、やはり子供にとっての親というものは、目の前で見て、触れることのできる存在なのではないだろうか。この作品の中でも、親がストローを噛んでいると、子供も同じことをしていた、なんてシーンもあったくらいだ。

 そして二つ目は、子供を金で買うことができるのか、ではないだろうか。一般に考えると、それはおかしい考え方だろう。しかしこの作品の主人公はそれができると思っていた。この考え方が変わっていくのも、大事な流れの一つだったように思われる。

 本物の父親というものがどういったものであるかは私には分からないし、この作品の中に出てくる二人の父親のどちらが正しい父親なのかということも分からないが、子供にとって父親の存在はとても大きいものなのだろう。

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映画鑑賞『そして父になる』

2014/09/24

9月24日(木)高2・高3生徒全員が、映画『そして父になる』を鑑賞しました。

第66回カンヌ国際映画祭審査員賞受賞作としても有名です。

映画チラシには印象的なコピーが。

「6年間育てた息子は他人の子でした」

「愛した息子を"交換"できますか?」

「6年間育てた息子は、病院で取り違えられた他人の子だった。

 家族に起きた〈事件〉を通して、その愛と絆を描いた衝撃の感動作。」

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高2・3生徒はどのような感想を抱いたのでしょうか?

後日ご紹介します♪

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映画『麦子さんと』鑑賞文ご紹介

2014/09/19

中学1・2年生が鑑賞した映画『麦子さんと』の鑑賞文をご紹介します。

【注意】鑑賞文は時に映画の重要な内容や結末に触れる場合がありますので、お気を付け下さい。

中1 T君

 のんびりした映画だなあ。「麦子さんと」を見終わった後に思ったことだ。派手な銃撃戦も爆発もない。映像ものどかな田舎の風景ばかりだ。主人公の住んでいる場所は東京だが、美しい夜景も超高層ビル群も少ししか出てこない。また、ストーリーも淡々としている。感動作であるが、泣けるような場面はそんなに多くはない。つまり非常にあっさりとした映画なのだ。
 しかし、よくよく考えてみるとハッとするようなことがある。それは、麦子さんが始まりと終わりで大きく成長しているところだ。変化ではなく、成長したのだ。周囲の環境によって、主人公達が変化しても、主人公達が人間的に成長しなければ何の意味もない映画になってしまう。
 では、麦子さんはどこが成長したのか。まず冒頭、駅員に「どこかで見たことがあるなあ。」と声をかけられる。この時、麦子さんは無愛想に返事をするだけである。しかしラスト近く、もう一度同じ言葉をかけられると、今度は微笑んで返すのである。ここでは麦子さんに相手の気持ちを考えるという成長が生まれているということを表している。
 また、自分の兄が母親と和解できず、母の葬式で孤独に涙を流しているところを麦子さんは見てしまう。だからこそ、母の故郷へ戻った際に、宿の女将に暴力を振るい、金をせしめる女将の息子に強烈なビンタをかますのだ。兄のように悲しい思いをしてほしくないという、思いやりの精神が麦子さんに生まれたのだ。これも大きな成長である。
 このようにこの映画の根底には深いテーマが流れているのだ。それらを穏やかな画面の中で表した本作は紛れもない傑作だと思う。

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映画『舟を編む』鑑賞文ご紹介

2014/07/17

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【注意】鑑賞文は時に映画の重要な内容や結末に触れる場合がありますので、お気を付け下さい。
 
高1生徒 Yくん

 今回観た映画は、辞書を作る仕事を取り上げた物だった。当然、この仕事はそれ程人気のある物でもないし相当マイナーな職業であることは確かだろう。しかし、この映画にはだからこその良さがあったように思う。
 辞書はきっと大半の人が使ったことがあるだろう。最近は電子辞書が普及してきたものの紙の辞書がやはりベーシックに尚普及している。やはり昔から使っている物を次の代へうけ継ぐ人間の性質による物だろうが、これは辞書を作る側の人にも言えると映画を見て思った。人気のない仕事ながら、昔からのその仕事をひたむきにこなし、次の世代へと受け継がれていく。この仕事にただ一所懸命にうちこむ人々の姿は美しかった。表に出ることもなく目立たない仕事かもしれない。しかし我々にはなくてはならない仕事である。こうした小さな仕事の上に自分らの生活は成りたっているのである。
 私達はもう高校生になった。大学受験のことを考える時期である。大学と就職は切れない関係にあるから即ち大学受験を考えるのは職業を考えることにもなってくる。正直、ある程度興味のある職業はあるものの、これだと確信をもてる物がない。いや、どちらかといえば"知らない"と言うべきかもしれない。自分は仕事について知らなさすぎるのだ。だが前述の通りこの世は様々な仕事で溢れている。その中から自分に見合う、そして一生うちこめる自分なりのやりがいのある仕事を、――それこそこの映画の主人公のように――見つけられたらいいなと思った。
 だからこの映画に登場している人に少し憧れたのだ。自分の仕事を見つけてそれに打ち込んでいる姿が美しかった。自分もいつかああなりたい。そしてこの世は仕事で溢れている。道は無限にあるのだ。自分の事だからここからは自分で調べて自分で歩む。そんなことを考えさせられた映画だった。

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映画鑑賞『麦子さんと』

2014/07/09

7月9日(木)中1・2生徒全員が映画『麦子さんと』を鑑賞しました。

映画チラシには、次のようにあります。

「あなたのこと、母親だと思っていないから―

 私たちを捨てたお母さんが突然死んだ。

 私とお母さんの物語はそこから始まる―。」

「声優をめざすアニオタ女子、という現代っ子を演じた堀北真希。

 親に無関心だった麦子が母の青春に巻き込まれ、やがてひとりの女性として

 成長していく道のりを等身大で演じる。」

本作品をみた本校中1・2男子生徒たちは、どのようなことを考えたのでしょうか。

また、自分自身の母親や家族に対して思いをはせることはあったのでしょうか。

彼らが書く感想文がとても気になります♪

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映画鑑賞「舟を編む」

2014/06/11

本日、中3・高1生徒が映画「舟を編む」を鑑賞しました。

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本校生徒は、必ず毎年2本の映画を鑑賞します。

放課後にも上映されますので、他学年の生徒もみることができます。

DVDなどを通じて簡単に映画を鑑賞することのできる時代ですが、

映画館のスクリーンで作品の世界に没頭することの大切さや

鑑賞後に同年代の生徒と意見交換をすることによって得られる気づきは、

何事にもかえられません。


本日鑑賞した生徒はどんなことを考えたのでしょうか?

いずれ感想文もご紹介します♪

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2月の映画 [鑑賞文]

2014/03/15

映画「飛べ!ダコタ」 生徒の鑑賞文

【注意】鑑賞文は時に映画の重要な内容や結末に触れる場合がありますので、お気を付け下さい。
 
中2F 榊 健汰

 私は『飛べ!ダコタ』を見て、半年前まで敵だったイギリス兵に手を貸し、村に住む人全員でピンチを乗り切ろうとする高千村の人々の精神に感動した。なぜなら、もともと敵である人々に手を貸すということはとても難しいことだと思ったからだ。敵に手を貸すということは、身内を殺されたことへのうらみや憎しみを乗り越え、さらに殺されてしまうかもしれないという恐怖にもうち勝つということである。もし自分の父親が海外の兵士に殺されたとしたら、その国の兵士を絶対に許せないと思う。だから身内を殺した国の兵士に手を貸すという行為ができる高千村の人々の精神に感動した。

 そしてイギリス兵の日本人に対する優しさにも感動した。戦地に行って死んでしまったかもしれない息子をもつ母親への態度や、怖がっていた子供にアメをあげるという心づかいは、日本人にはあまりない思いやりだと思った。宿を貸してくれたり、協力してくれた人々に対して戦争の勝者だといばらずに、しっかりとお礼をしたことは当たり前ではあるがとても良いことであると思う。

 この作品は日本人とイギリス人のいい所をしっかりとえがき、見ている人々に感動をあたえてくれるとても良い映画であったと思う。もしもう一度この映画を見る機会があれば、今回以上にもっと深く考えながら見てみようと思う。 

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2月の映画 「飛べ!ダコタ」

2014/02/15

2月の映画 「飛べ!ダコタ」(日本映画)

監督:油谷誠至

出演:比嘉愛未、窪田正孝、柄本明

物語:終戦間もない佐渡島の小さな村で起きた実話の映画化。1946年1月、高千村の海岸にイギリス軍の要人機「ダコタ」が不時着する。わずか5ヵ月前まで敵国だったイギリス兵に対し、村人たちは葛藤を抱きながらも、村長の「困った者を助けるのが佐渡の精神だ」という言葉に、村を挙げて温かくもてなすことに決めるのだが・・・

 

2月12日(水)に、中1中2の生徒が鑑賞しました。 

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11月の映画 [鑑賞文]

2014/01/05

映画「きっと、うまくいく」 生徒の鑑賞文

 

【注意】鑑賞文は時に映画の重要な内容や結末に触れる場合がありますので、お気を付け下さい。

 

高1B 高橋洋仁  

 私は「きっと、うまくいく」を見て、気持ちがとてもポジティブになりました。私は今まで、「努力してもどうせ成功しないだろう。」などと考え、努力せずに楽な方に逃げてしまうことがよくありました。しかし、この映画の作中で、ランチョーが「心は弱いから麻痺させることが必要だ。」と言っておまじないの言葉、「うまくいく(All is well)」と胸に手を当てながら唱えているのを見て、「自分だけじゃない、みんな怖いけど頑張って努力しているのかな。」と思えました。そう考えると何故か、気持ちが軽くなり、「頑張ってみようかな。」と思えるようになりました。

 また、将来についても考えさせられました。映画を見たとき、私は進路のことで悩んでいました。しかし、またランチョーが、「好きなことをやった方がいい。」とファルファーンを説得し、夢をかなえさせるシーンを見て、私もそう思いました。しかし、映画だから上手くいっているのであって、現実ではあんなに上手くいかないことはわかっています。努力しても成功しないかもしれない。それでも上に書いたように、頑張ってみようかなと思えました。

 私はこの映画を今の時期に見れてとても良かったです。この映画のおかげで頑張ろうと思えたり、進路についてよく考えさせられました。これからは、失敗ばかりを恐れ楽な方に逃げたりせず、頑張りたいです。また進路も将来後悔しないよう考えたいです。

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11月の映画 「きっと、うまくいく」

2013/11/29

11月の映画 「きっと、うまくいく」(インド映画)

 

監督:ラージクマール・ヒラニ

出演:アーミル・カーン、R・マドハヴァン、シャルマン・ジョシ、カリーナ・カプール

 物語:エリート大学の学生ランチョーは、天才肌の自由人。学歴偏重社会に反旗を翻して、2人の親友と共に学園生活を謳歌するが、ある日対立する学長の娘ピアと出会って恋に落ちてしまう...。

 

11月22日(金)に、中3高1の生徒が鑑賞しました。

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9月の映画 [鑑賞文]

2013/10/21

映画「ライフ・オブ・パイ/トラと漂流した227日」生徒の鑑賞文

【注意】鑑賞文は時に映画の重要な内容や結末に触れる場合がありますので、お気を付け下さい。

高3D 西田白峰

 正直な気持ちを吐露するならば、はじめ見終わったときには、取り留めのない話だとしか思えなかった。辛うじて神への信仰は伝わってきたが、魚を殺したときのほかは特にいのちを貴ぶような様子もみられず、奇特な人物というわけでもない。自分の神に対する価値観とも相容れず、神の名を叫ぶことで神の押し売りをされている気さえした。  しかしほかの人の話を聞いてみるとどうも、ただのぱっとしない「トラとの漂流記」ではないようなのだ。「そもそもトラとの話はパイの作り話で、ふたつ目の内容こそが本当にパイが経験したものなのではないか」という意見さえあり、僕もその意見に従いたい。そもそもあらすじを知った際に、何故わざわざ第三者に対して主人公が語るという興ざめな形式をとる必要があるのかと憤慨を覚えていたのだが、その理由さえもここに収斂してしまうのだ。つまり、語り・騙りという行為を通してパイの嘘から本質を見抜くことこそがこの話の主題なのだ。そこへの大きな足がかりとしてパイの語ったふたつ目の話と、小説家の洞察のことばは用意されていた。  「トラとの話のほうが良い話だ」と小説家が述べた折、パイはその同意に感謝を示した。彼には動物に仮託した物語としてそれを語りたい気持ちが強くあったのだ。  「トラ」が小説家の言ったようにパイ自身の投影であるならば、彼は生命の危機に瀕し顕露させてしまった内に秘めたる猛獣を、神への信仰という理性、そして神の助けによって飼いならしたが、危機が去れば猛獣もまた風のように去ってしまい、それを彼は惜しんでいた、と考えることができる。彼の見た「トラ」こそ、彼の本質たるものだったのだ。自らの内奥に潜むものをも引き括めてこそ自身の姿なのであり、それを掴めなかったことは、自らを見失ったにも等しい。  彼がトラの寓話を練り、語り始めたのは多くの事実を受け入れ難かったからなのかもしれないが、年月を経てなお同じ話を繰り返すうちには、明らかな心情の変化を窺える。トラという仮の姿を与えることによって、彼は本当の自分を、自分の弱さを知り得た。そしてその弱さを受け容れることこそが彼の望んだ「ハッピーエンド」なのだ。小説に仕立ててもらう心構えでいたのも、彼がいまだその「トラ」を希求し続けているからなのかもしれない。

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9月の映画

2013/09/24

9月の映画 「ライフ・オブ・パイ/トラと漂流した227日」

監督:アン・リー

出演:スラージ・シャルマ、イルファン・カーン、アディル・フセイン

物語:インドで動物園を営む家庭に育ったパイ少年。彼が16歳の時に、一家はカナダに移住することになったが、乗り込んだ船は嵐に遭遇し沈没。残されたのは救命ボートに乗り込んだパイとベンガルトラだけだった。そこから長い漂流生活がスタートする...。

9月20日に、高2高3の生徒が鑑賞しました。 

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7月の映画 「最強のふたり」

2013/09/02

7月の映画 「最強のふたり」
監督:エリック・トレダノ、オリヴィエ・ナカシュ
出演:フランソワ・クリュゼ、オマール・シー
半身不随の大富豪と、その介護をすることになった貧しい黒人青年の、心の交流を描いた物語。

生徒の鑑賞文(鑑賞文は時に映画の重要な内容や結末に触れる場合があります。ご注意ください)

中2 松下恭輔

 最初は静かな雰囲気で始まったので、しんみりとした感じの映画なのかなぁと思った。しかし、その直後に黒人のドリスが急にスピードを出し始め、あろう事かスピード違反で捕まえようとした警官をだまし逃げてしまう。そうか、これはコメディー映画だったのか、そう思って観始めた。
 この瞬間に僕は、見事に監督の作戦に引っ掛かってしまっていたのだろう。なぜならこの映画は、基本的にはコメディータッチだが、片や元無職の青年、片や半身不随の大富豪、と立場の違う二人がいろいろなハプニングを乗り越える事で、友情を育んでいくというかなり深い物語だったからだ。とても感動する作品だった。
 フィリップは障碍者だからと言って、同情されるのがとても嫌だった。けれども、最初は落とされるために来たドリスは、そんな事もお構いなしにフィリップに接していたため、二人は「最強」の関係を築けたのだと思う。しかし、ドリスが意識してこの様に接していたら、「最強」にはなれなかったはずだ。ドリスが、根が真っ直ぐでそういう性格だった為に、「最強の二人」となれたのだろう。
 例えば、フィリップのサプライズパーティーの時には、フィリップはクラシックを好きなのに、自分のお勧めと言って、アース・ウィンド・アンド・ファイヤーの「ブギーワンダーランド」を流し、皆に踊るように言う等、随分と勝手な事はしている。しかしそれが、結果的に良い方向に転がる。僕はドリスのそういう所が大好きだ。
 僕は、半身不随の人を相手に「同情なし」で接する事ができるだろうか。「大変だな、可哀相だな」と思うことが同情だとしたら、そう思わずに接することは難しいだろう。また、僕はよく他人から、優しい、とか面倒見がいい、とか言われるが、例え自分では同情しているつもりが無くても、優しくして面倒見をよくしたら、同情と受け取られてしまうのだろうか。どこまでが同情でどこまでが相手の望む介助なのだろう?僕には相手の尊厳を傷つけず、介助する事ができるのだろうか。そんな事も考えさせられる映画だった。
 

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6月の映画 「天地明察」

2013/07/01

6月の映画 「天地明察」

監督:滝田洋二郎

出演:岡田准一、宮崎あおい

江戸時代に実在した数学者・天文学者である安井算哲の人生を描いたドラマ。

生徒の鑑賞文(鑑賞文は時に映画の重要な内容や結末に触れる場合があります。ご注意ください)

高1 大西峻介

 私は天地明察を見て、江戸時代の人々の丁寧を感じた。今まで江戸時代の人々は暦なんて気にしてないと思っていたし、ハイレベルな数学の問題を解いているとも思っていなかった。北極星の位置を測るときも近代的な器具を使っていた。この点では全く現代にひけをとらないと思う。しかし、現代と江戸時代で大きく異なる点は丁寧に自らの手によって観測している所だ。現代では自動車・新幹線を使えば全国を容易に回れる。そして機械を使って北極星の観察ができる。さらには、インターネットを使って情報が何でも手に入れられる。それに比べて江戸時代は全国を回るには徒歩しかない。そして地道に観測するしかないのだ。だから重みがある。  これは全ての物事に言えるかもしれない。現代は確かに技術は進歩したと思う。でも、機械がなんでもこなしてくれる世の中で一つの事にかける重みや正確さが欠けてきてるのではないかと思った。  この映画では、目標に向かって努力し続ける場面もあった。一人では成しとげられないことも、力を合わせてみんなでやれば成しとげられるということも分かった。もし、成しとげられなくても力を合わせるという事にも意味がある。力を合わせる事でかけがえのない仲間に出会うことができるからだ。  私も一生懸命に何事にも取りくんでいきたい。もしできなくても、できるまで続けるくらいの意志の強さが欲しい。  日本は今、元気が無くなってきているが、日本は得意とする丁寧さ、正確さ、そして協調性を持って力を合わせ取りくむことが必要だ。だから物事が便利で楽なものになっていくにつれて、なまけるのではなく、全てのことに真剣にけじめをつけて行動し、精進しなければならない。  

 

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3月の映画 「レ・ミゼラブル」

2013/03/12

 小学生のころ、図書館で借りた「ああ無情」の物語を夢中になって読んだ。ジャン・バルジャンに次々と降りかかる運命の苛酷さに、時代背景も、大人社会の事情も、何も分から
なかったけれど、読み終わって激しい怒りの感情に駆られたことを、今でも憶えている。
 19世紀前半のフランスが舞台。フランス革命後に訪れた産業革命により、都市化と工業化が急速に推し進められ、富める資本家と低賃金で雇われる労働者との貧富の格差が大きくなっていった時代。
 主人公のジャン・バルジャン(ヒュー・ジャックマン)は、貧しさにあえぐ子どもたちのために、たった1本のパンを盗んでしまい、逮捕、投獄され、その後19年もの長きにわたり監獄生活を送ることになる。
 監督官のジャベール(ラッセル・クロウ)から仮釈放されたバルジャンの心は、労役に打ちひしがれ、抜け殻のようになっていた。教会の司教が手を差し伸べるのだが、バルジャンは銀の食器を盗んでしまう。それでも、広やかな司教の心に許されたことで、はじめて自分を取り戻すバルジャン。その後は事業を興して身を立て、その人徳からやがて市長の地位にまで上りつめる。彼の人生は好転したかに見えた。
 ある時、ファンテーヌという娼婦(アン・ハサウェイ)と出会い、その窮地を救った彼は、里親のもとで虐げられている彼女の娘コゼット(アマンダ・セイフライド)の救出をも約束する。しかし、バルジャンに危機が襲う。仮釈放の身の彼に逮捕状が出され、まったくの別人が誤認逮捕されてしまったのだ。正直に名乗り出たバルジャンだったが、服役すればファンテーヌとの約束を守ることができなくなってしまう。バルジャンの逮捕を目指すジャベールの追手を逃れ、彼はコゼットに会いにゆくことにする。そして、運命の糸は、さらにもつれ、からまりあってゆく。
 ミュージカル映画の日本での興行収入が、「オペラ座の怪人」を抜き、現在も最高記録を更新し続けている「レ・ミゼラブル」。大河ロマンと呼ぶにふさわしいジャン・バルジャンの壮大なドラマを、美しいメロディーと歌声、そして俳優たちの素晴らしい演技で綴ってゆく。
 シネマ倶楽部として最後の上映となるこの話題作を、どうぞ徳間記念ホールでご覧ください。スタッフ一同心からお待ちいたしております。
(トム・フーパー監督作品/2012年イギリス/2時間38分)

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12月の映画 「一枚のハガキ」

2012/12/07

 太平洋戦争末期、敗色濃厚な時局に徴集された100人の中年兵たち。彼らの運命は、あろうことか上官の引くくじで決まっていった。

 その結果、国内に残留することになった松山啓太(豊川悦司)は、仲間の森川定造(六平直政)から一枚のハガキを託される。それは、定造の妻・友子(大竹しのぶ)の、愛する夫の不在を嘆いた短い手紙だった。定造はくじでフィリピン行きが決定し、もう生きて妻には会えないと覚悟していた。自分の死後、啓太に友子のもとを訪ねてもらい、そのハガキを確かに読んだと伝えてほしいという。啓太は請け合った。友子の独特な文面が、どこか啓太の心にとまったのかもしれない。

 日本は負けた。啓太が生き残り、定造は死んだ。啓太は自分の家に帰宅するが、妻がいなくなっていた。妻は啓太が戦死したと思い、啓太の父親と家を出てしまったのだ。くじのために生き延びたことが皮肉にも思え、いたたまれなくなった啓太。その後、気の抜けたような孤独な生活を送っていたが、ある時、あの手紙が出てきた。

 啓太は友子を訪ねた。彼女は戦争で夫を失ったのち、遺された夫の家族との暮らしを受け入れ、気丈に生きてきた。しかし、今はすべてを失ってしまっていた。くじで生かされた男と、戦争に運命を狂わされた女。一枚のハガキが、戦争で深く深く傷ついた、ふたりの人間の魂を癒す「奇跡」を起こしてゆく。

 

 99歳にして映画を撮るということは、それこそ奇跡に近いことだ。新藤兼人監督の「一枚のハガキ」は、これだけは映画にしておきたいと長い監督生活にわたって温め続けてきた、自身の徴兵体験をもとに、戦争の非道と運命に翻弄される人間の悲しみと強さを描いた、日本映画にとって、まさに珠玉の作品である。

 作品のテーマとなっているこのハガキは、戦争中に監督自身が実際に目にしたものだという。その短い文面は、寂しさと切なさにあふれた、美しい一篇の詩のように感じられる。新藤監督も引いたくじ引きで生き残ったのは、100人のうち、彼も含めわずか6人だったという。

(新藤兼人監督作品/2011年近代映画協会/1時間54分)

2012年度上映作品
No.251 2012 6.10-11 ヘルプ~心がつなぐストーリー~(アメリカ) 中3高1映画鑑賞
No.252 2012 7.8-9 ステキな金縛り(日本) 中1中2映画鑑賞
No.253 2012 9.17-18 サラの鍵(フランス) 高2高3映画鑑賞
No.254 2012 11.11-12 テルマエ・ロマエ(日本)

No.255 2012 12.09-10 一枚のハガキ(日本) 中3高1映画鑑賞

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11月の映画 「テルマエ・ロマエ」

2012/11/09

 古代ローマ帝国は「浴場都市」(?)と言ってもいいくらい、公衆浴場(テルマエ)がけっこうあったそうだ。日本の「浮世風呂」ではないけれど、古代ローマでも風呂場談議や裸の付き合いはあったのかもしれない。

 主人公の古代ローマの浴場設計技師ルシウス(阿部寛)は、職人肌で生真面目な性格が災いしてクビになってしまうのだが、ひょんなことから、我ら日本が誇る公衆浴場、そう、現代の「銭湯」にタイムスリップすることになる。そこで彼は日本の風呂文化の奥深さに触れ、すっかり魅入られてしまうのだ。

このすばらしい風呂を、なんとか我がローマの人びとにも味わってもらいたい。ルシウスは、過密スケジュールで世界を渡り歩くエリート・ビジネスマンのように、古代ローマと現代日本を行き来して、日本の風呂文化を、ローマのテルマエの中に取り入れようとして奮闘するフだった。 やがて、押しも押されぬ技師となった彼に、皇帝ハドリアヌス(市村正親)から浴場設計の依頼がくる。そして......。

 物語は、その後、時空を超えてしまってもう大変なことになってゆくが、そこは見てのお楽しみ。漫画大賞ほか多くの賞を受賞したヤマザキマリの原作はアニメ化されたが、今回、俳優の問題や古代ローマの再現、エキストラの多さなどで「不可能」(!)と言われていた実写版が完成した。

 ローマの人びとを、阿部寛ら、すべて日本の彫りの深い、「濃い」顔の俳優陣が演じているのが大きな見どころ。イタリアでの巨大セットによる撮影や1000人のエキストラを動員した迫力ある映像など、大型歴史大河もかくや、と思わせる出来ばえなのだ。奇想天外な壮大なお話を、これだけ大真面目に映像化した日本映画の実力と、懐の深さに拍手! ぜひ、徳間記念ホールの大画面で味わってください。


(武内英樹監督作品/2012年東宝/1時間48分)  

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