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シネマ倶楽部『グリーン・ブック』鑑賞文

2019/11/25

11月8日に中学3年生、高校1年生が『グリーンブック』を鑑賞しました。

<物語概要>

時は1962年、ニューヨークの一流ナイトクラブ、コパカバーナで用心棒を務めるトニー・リップは、ガサツで無学だが、腕っぷしとハッタリで家族や周囲に頼りにされていた。ある日、トニーは、黒人ピアニス

トの運転手としてスカウトされる。彼の名前はドクター・シャーリー。カーネギーホールを住居とし、ホワイトハウスでも演奏したほどの天才は、なぜか差別の色濃い南部での演奏ツアーを目論んでいた。二人は、〈黒人用旅行ガイド=グリーンブック〉を頼りに、出発するのだが・・・。異なる世界に住む二人の壮大なズレに笑い、ツアーの本当の目的に胸を熱くし、極上のラストにスタンディングオベーション間違いなし! 痛快で爽快、驚きと感動の実話!

グリーンブック01.jpg

【注意】鑑賞文は時に映画の重要な内容や結末に触れる場合がありますので、お気を付け下さい。

高校1年 Mくん

「本当の孤独」とは何か。私はこの映画を見ている最中、なぜかこの問いが頭から離れなかった。

 今回の映画は、裕福だが独り身のシャーリーと、生活に苦しんでいるが家族の多いトニーが中心的な登場人物であった。多くはないにしろ、作中で彼らが衝突するシーンは何度かあった。その中でも特に印象的だったのが大雨の中シャーリーが怒り、車から出て足早にその場から立ち去ろうとするシーンである。最後にシャーリーが憤怒の最中に言い放った、「私は孤独だ」という言葉が強く心に響いた。常に冷静で黒人差別にすら屈していなかったように見えた彼も、心の奥底では孤独に苦しんでいたのである。また、旅が終わり、家に帰った二人の対照的なシーンも非常に印象的であった。トニーはドアを開けると大きな歓声に包まれ、熱のこもった厚い歓迎を受ける。シャーリーはドアを開けると、静かな部屋に執事がひとり。執事が帰ると、豪華な部屋の真ん中で、一人ポツンと項垂れるのである。

 それでは、今の私たちはどうだろうか。私たちはSNSで誰とでも連絡がとれ、いつでも誰かと繋がっている感覚を覚えることができるこの時代を生きている。ふとした時に孤独を感じる瞬間は誰しも感じたことがあるはずである。

 広く浅く、数多くの人と繋がることができる現代だからこそ、最後にシャーリーを家に迎え入れたトニーとその仲間たちのように、私たちには一人一人の繋がりに向き合っていく姿勢が求められているのではないだろうか。

高校1年 Uくん

この映画を観る時、まず最初に考えたことはストーリーの意外性だった。「黒人がアメリカ南部を演奏旅行する」と聞いて、最初は「差別に苦しみながらも懸命に...」というような陳腐なストーリーだと思っていたからだ。

 だが、映画を観るにつれてそのようなものではないことに気づいた。なぜなら南部をまわるツアーは黒人ピアニストのドクター・シャーリー自身が考えたもので、しかもツアー先で彼の演奏を聴くのは白人の富裕層ばかりであるからだ。だから南部の黒人は彼の名前も、活躍もほとんど知ることは出来ないだろう。つまりは、シャーリーには人種差別に立ち向かうといった目的はないのである。

 では、なぜシャーリーは南部でのツアーを計画したのだろうか。シャーリーの運転手であり、この映画の主人公であるトニー・リップは、シャーリーの演奏仲間から理由を聞いていた。「勇気」を示すためだ、と。しかしそれはあくまでも意見であった。結局シャーリーの口からそれが語られることはないまま映画は終わってしまった。

 これはあくまでも自分の考察であるが、シャーリーは自分の居場所を探していたのではないだろうか。街の白人からはぞんざいな態度をとられ、農場の黒人からは不思議なものを見る目で見られるシャーリーは、おそらく自分の居場所がない中で、何をすればいいか分からず、必死で考えた結果が南部での演奏旅行なのだろう。

 この映画は、人種差別そのものについての映画ではなく、そこから一歩踏み込んだ、自分のアイデンティティーについて考えることをテーマにした映画であると考えている。

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