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シネマ倶楽部『ダンボ』鑑賞文

2020/01/21

中学1年生と2年生がダンボを鑑賞しました。

<物語概要>

サーカスに愛らしい子象が誕生した。「大きすぎる耳」をもった子象は「ダンボ」と呼ばれ、ショーに出演しても観客から笑いものに。ある日、ダンボの世話を任されたホルトの子供たちが、悲しむダンボを元気づけるため遊んでいると、その「大きな耳」でダンボが飛べることを発見する。「空を飛ぶ子象」の噂は瞬く間に広がり、ダンボで金儲けを企むものによって、ダンボは愛する母象ジャンボと引き離されてしまう。母を想うダンボに心を動かされたホルトの家族とサーカス団の仲間は力をあわせ、ダンボの捕らわれた母を救い出す作戦が始まる――!

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ダンボ01.jpg

【注意】鑑賞文は時に映画の重要な内容や結末に触れる場合がありますので、お気を付け下さい。

中学1年 Tくん

僕は、「ダンボ」を見て、勇気の形について考えました。一言に勇気と言っても各人によってその勇気の形は違うと思いました。

 例えば、「ダンボ」の中では、子象のダンボは母親を助けるためにサーカスで飛んでいます。また、ダンボが耳で飛べることを知ったミリーはダンボが母親に会うのをサポートするために勇気を出して自分が出来る精一杯の努力をしていました。僕はそんなミリーのダンボのために自ら危険に飛び込んでいく姿をみて、人のために勇気を出して努力するのは大変なことだが、それを乗り越えればさらに強い絆が得られると思いました。実際、「ダンボ」の中でも、ミリーやサーカスの皆がダンボを支えて助けていくうち、ダンボもミリーたちと心が通じ合ったのか、助けてくれるようになっていました。

 僕が「ダンボ」を見て思ったことはもう一つあります。それは、自分は人のために勇気を出して行動することがあるかということです。現実では僕の周りではミリーのように人の命に関わるような大きな事件はおきていませんが、一つの小さな行動によって多くの人のためになる、ということは少なくないと思います。しかし、そのような日常的なことで勇気を出せずにいると、ミリーのように多くの人の命がかかっている場面に出会った時に勇気を出して行動することなど絶対にできないと思います。そう考えてみると、僕は家族や友達、他人との間でも勇気を出して行動する場面が少ないかもしれないと思いました。

 僕も「ダンボ」を見て学んだことを活かし、今後は勇気を出して人のためになることをしたいと思います。

中学2年 Oくん

僕は今回この映画を見て、人間というものについて考えさせられました。象のダンボは話の中で何度も辛い思いをしましたが、これは全て人間のせいではないかと思います。

 まず、その人間の一人目はサーカスの団長であるマックスです。彼はダンボの巨大な耳を見た瞬間に絶望しました。つまり彼はダンボを一目見た外見だけで判断したということです。これは決して象であっても相手を少しずつ理解しその個性をどう活かせるかを考えるべきであり、何かを外から見えるもののみで決めつけてしまうのはあってはならないことだと思います。ダンボは彼によって自分の耳をコンプレックスとして捉えてしまいます。

 次にダンボを苦しませる原因となった人間は、ルーファスという象の調教師です。彼はダンボと、母親のジャンボを別れさせた一番の要因です。その彼がとった行動は、サーカスで観客にものを投げられていたダンボの方へわざとジャンボを誘い暴れさせたというものです。先程と同じようにこれは象だとしてもやってはいけない行為だと思います。ルーファスは相手の弱みを突き、冷静さを失わせるといった道徳的に最悪なことをしたと僕は思いました。

 最後のダンボの敵となった人間は、「ドリームランド」の経営者、バンデバーです。ついにダンボに再会できたジャンボを、彼はダンボの芸の練習に害が及ぶとして処分しようとしました。この、自分の利益のためなら他人の家族など関係ないという彼の考えに僕は驚いてしまいました。頼りにしているものの家族を何のためらいもなく殺そうとする彼の思考は僕にとって、理解し難いものでした。

 このように、象のダンボは人間の固定観念や卑怯さ、自分勝手さなどによって悩み苦しまされました。自分自身はこんな人間にならないように意識して生活しようと思います。

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