2017年1月 - 逗子開成ニュース

七里ヶ浜ボート遭難事故追悼集会

2017/01/31

1月23日、体育館において七里ガ浜ボート遭難事故追悼集会が開かれました。この日は、逗子開成生徒にとって特別な日です。

受験を目前に控え、家庭学習期間中の高校3年生を含む、全校生徒・全教職員が参列します。この追悼集会は、1910年1月23日のボート遭難事故で亡くなった12名(本校生徒11名とその小学生の弟1名)と、1980年12月に起きた山岳部の八方尾根遭難事故で亡くなった6名(5名の高校生と顧問1名)の御霊を慰めるとともに、2度とこのような

悲しい出来事が起こらないように誓いを新たにするために、毎年行われているものです。

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本年は、校史編纂に携わっている教員より、ボート遭難事故の内容・教訓について話がありました。亡くなった方々の遺影等、スライドを通じて紹介されました。また、生徒会長より「八方尾根遭難」の経緯について話がありました。多くの生徒が七里ヶ浜ボート遭難事故については知っていても、八方尾根遭難については事故の経緯をあまり知らないのではないか、との提案から一昨年より実施されています。

講話のあとに、吹奏楽部による演奏のもと、全校生徒・全教職員で黙祷を捧げました。

そして、集会後には、学校長、生徒代表、吹奏楽部が、学校を代表して校内にある「ボート遭難の碑」「いのちの碑」に献花を行いました。

また、稲村ヶ崎の「ボート遭難の碑」にも献花を行いました。

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語り続けていくことの大切さを改めて考えさせられます。

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学校学年行事

逗子開成高2生徒×日本学術会議公開ワークショップ

2017/01/24

1月23日(月)に日本学術会議公開ワークショップ
「Future Earth と 学校教育:Co-design/Co-productionをどう実践するか」
が開催され、高校2年生7名が参加しました。

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前半は6名の先生方の発表を聞き、後半はその先生方とディスカッションを行いました。
わが国でも一流どころの先生方が周りを囲んでいるので、
少々緊張していたようですが、4つの質問をぶつけることができました。
普段の学校生活とはちょっと違い、自分だけを考えるのでなく、
自分をも含めた人類の未来のことを真剣に考えた有意義な時間でした。

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学習活動

高校3年生激励会PTAご報告

2017/01/24

1月10日、高校三年生の激励会が体育館にて行われました。
和太鼓部の素晴らしい演奏の後、
荏柄天神社にて合格祈願のご祈祷を受けた合格鉛筆が鉄田PTA会長より高校三年生に贈られました。
高校三年生の皆さん全員が実力を大いに発揮して
空前絶後の~!結果が出ますように!

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PTA活動報告

1月21日は「土曜講座の日」

2017/01/21

1月21日(土)は「土曜講座の日」でした。

「土曜講座の日」は、多くの講座が設定されています。

中1~高2までが自由に選択しています。

以下のような多彩な講座が実施されていたのでした♪

「大人は知らない税金教室」

「犬と触れ合ってみよう」

「歌留多であそぼう」

「数学を楽しむ」

「ウルトラ警備隊はレーザでバルタン星人を倒せるか?」

「バックパッカーが見た世界遺産」

「英語で新聞を読もう」

「七福神めぐり~鎌倉編~」

「イラスト・マンガ講座Ⅱ ペンを使って描く」

「マアジとカタクチイワシの解剖を通じて、魚と海について考えてみよう」

「液体窒素を使った低温実験」

「合気道入門」

「心肺蘇生講習会」

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(写真は、「七福神めぐり~鎌倉編~」江ノ島弁財天前より)

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(写真は、「犬と触れ合ってみよう」 本校海洋センターにて)

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土曜講座報告

校史余滴 第十回 三船久蔵と高野佐三郎

2017/01/20

校史余滴
 第10回 三船久蔵と高野佐三郎

大寒、寒稽古の時期です。寒稽古は、寒の時期に武道や芸事の修練を行い、技術の向上と共に、寒さに耐えながら稽古をやり遂げることで、精神の鍛錬をするという目的を持つものです。本校でも、武道が正課とされ、更に必修科目となった時期(大正末から戦前)に柔道部・剣道部を中心に寒稽古が行われ、寒稽古明けに義士祭を行っていました。
退役海軍少将岡田三善が第6代校長に就任し、文芸・講演・剣道・柔道・庭球・競技の六部から成るクラブの連合組織である「修養会」を発足させると、校長自ら柔道部の寒稽古に参加し、生徒に芋や蜜柑を出したといいます。
この時期の修養会の活動で特筆すべきことは、柔道の三船久蔵、剣道の高野佐三郎の指導を得たことです。
三船久蔵(1883~1965)は明治から昭和にかけての日本を代表する柔道家。後進の指導にも積極的で、東京大学・明治大学・日本大学その他多くの大学・高専などの柔道師範をも務めました。1923(大正12)年には七段に昇り、講道館指南役となります。色白で小柄な体格でした。小さい者が大力の巨漢に勝つ合理的な研究を一生追求し続けた点で、師の嘉納治五郎と共通するところが大でした。その研究と鍛練とにより隅落(空気投)・大車・踵返・諸手刈・三角固・球車などの妙技を創出したことでも知られます。1945(昭和20)年には講道館柔道十段。
本校柔道部の歴史を綴った貴重な資料である松本信彦(1918年 第12回卒 1920年より本校教諭)の「我が校の柔道部史」(『校友會雜誌』第十三号)に三船師範による指導のことが記されています。

暑中稽古も終つて涼しい風の立つた十月(1921年)、斯界の第一人者三船先生を我が校に聘し、柔道の大講演を二時間にも渡つてとかれ且つ実地練習、業の変化等を習ひ、終わつたのは五時頃でした、日本一の大先生の事ですが、この大熱心と論理の徹底、技の妙とに職員始め生徒は実に驚き入つたのでした、この刺激によつて吾々生徒全部は柔道の偉大なしかも神秘的な事を知り教員室の先生方で稽古しようと云ふ方もありました、部員は柔道の真価を悟り、稽古に対し趣味と豊富と自信が出て参りました。...(中略)...十二年一月から七段三船先生を我が師範として御招きする事が出来ました、先づ中学校校に於て、三船先生の如き大家を師範として戴く学校は東京以外他府県には絶対にないのであります、先生は来られる度毎に暗くなる迄熱心に稽古をされる事は我が校の誇りとする所であります、この寒稽古は九十五名程ありまして、前年よりも約三十名の多数の皆勤者がありました。

高野佐三郎(1862~1950)は明治から昭和時代にかけての剣道家・剣道教育家で、剣道の指導者養成にも大きな足跡を残しました。大日本帝国剣道形制定の主査委員を務め、剣道形の普及と近代剣道の完成に力を注ぎ、近代剣道界に多大な貢献をなし、昭和の剣聖ともいわれた人です。
剣道部史のようなまとまった記録がないので高野佐三郎が指導を始めた時期は判然とはしませんが、『校友會誌』の年表記録には、1926(大正15)年6月24日に「高野佐三郎講演」という記録があり、三船師範と同じころから逗子開成中学校で指導にあたったことが推察されます。
柔道・剣道における当時の日本を代表する二人が並んで写った本校所蔵の写真は、非常に貴重なものです。
この時期の十数年間、柔道はほとんど毎年全国中等学校の覇権を握り、開成の柔道は全勝横綱の貫禄を示しました。剣道も甲信越及び全国対抗に参加し優勝旗をもって帰って来たこと数回に及ぶほどの強剛ぶりでした。

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  右:三船久蔵  左:高野佐三郎

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校史余滴

新聞博物館にて新聞製作体験!

2017/01/16

1月14日、土曜講座「そうだ!博物館へ行こう!!」第6回が実施されました。今回の訪問先は新聞博物館でした。目的は、新聞製作体験、2016年報道写真展の見学、リニューアル後の常設展示の見学と盛りだくさん。

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9:45に現地集合しスタートです。今回は中1から高1まで16名が参加しました。まずは、新聞製作体験。見出しと90文字の原稿を考え、フォーマットに打ち込みます。個人記念写真を撮影していただいて、一枚の新聞が完成します。生徒たちは、身近な部活、遠泳や開成祭といった学校行事、学年の先生、自分自身の趣味などについてまとめていました。全員終了後に、新聞社OBの博物館スタッフの方に講評をしていただきます。

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講評では、新聞の見出しとと90文字をまとめることの難しさを実感します。

タイトルの正確さはどうだろう?
主語は?主体は?
詳細は具体的に書いた方が良いよ。
用語の使い方としてどうだろう?
読者全員がわかる言葉として適切だろうか?

作文とは違うことを痛感します。限られた文字数でどのように表現するのか、事実を伝えるのに必要な情報は何か、などアドバイスをいただきました。

その後、2016年報道写真展の自由見学です。報道写真がそれぞれに切り取った瞬間の力強さに圧倒されます。自然災害や都心の幻想的な風景、オリンピックなど昨年一年間を写真で振り返ることで、さまざまなことを考えます。

ある生徒は、東日本大震災を振り返る展示のうち被災者の5年間を示す写真をみて、「復興もまた大きく進んだように感じる僕だが、進んだのではなく「とりあえずどうにかして一歩は終わった」という5年なんだと再認識した。」と当日課題のなかに書いていました。
一方、オリンピックの感動を振り返った生徒は、北島康介選手が「プールに一礼」の写真を取り上げて次のような感想を書いていました。「僕は水泳部であり練習前、練習後には必ず礼をするが、北島選手の礼は、またそれとは違う感じがした。北島選手は自分の生涯をかけた水泳の感謝や、もう引退することを決意して、自分の結果に納得しているようにも 見えた。そんな北島選手がとてもかっこよく見える感慨深い一枚だった」

参加生徒それぞれの視点で写真を読み解き、 文章にまとめてくれました。

企画展見学後は、常設展示の見学です。情報社会におけるさまざまに発信される情報の見極め方について、新聞の特徴や新聞製作について、記者の仕事についてなどをそれぞれの視点で学びました。リニューアルしたばかりの展示を十二分に楽しんでいるようでした。

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時間が足りない生徒もいたようですが、12:30に現地で解散しました。
新聞博物館でしか学べないことを文字通り体感する一日となりました。ご対応いただきました新聞博物館ご担当者の皆さんありがとうございました。

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土曜講座報告

「第2回保護者セミナー」ご報告

2017/01/16

12月3日(土)海洋センターで、本校カウンセラーで関東学院大学教授の青戸泰子先生をお迎えして、「第2回保護者セミナー」を開催いたしました。
今回は、第1回目のセミナーに引き続き応用編となります。
テーマは「子どもへの関わり方 注目の力に注目する、認知行動療法マニュアル」でした。
昨年と同様に、1グループ6名のワークショップスタイルをとり、各グループに役員やPTAのОBが進行役として加わりました。
最初は緊張されていた参加者でしたが、それぞれの子育てに対する想いや悩みを打ち明け、語り合ううちに、打ち解けて和やかな雰囲気となりました。
他の保護者の方と語り合うことで、共感したり、新しい発見があったりと、有意義なセミナーとなったのではないでしょうか?
又、青戸先生が「注目の力」を利用した、思春期の子どもへの効果的なかかわり方をわかりやすくお話してくださり、充実した時間となりました。
来年度も、保護者セミナーは開催予定です。応用講座につきましてはワークショップ形式の為、人数を制限させていただいております。人数が多い場合には、抽選させていただいております。
ご趣旨をご理解のうえ 次回も保護者の皆様のご応募をお待ちしております。

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PTA活動報告

PTA講座「クレイ・フラワー」ご報告

2017/01/11

11/8(火)第2回PTA講座「クレイフラワーのクリスマスアレンジメント」を開催しました。講師は在校生のお母様で「DECOクレイクラフトアカデミー」講師をされています。
講師の親切な指導のもと、参加者は童心に戻りマシュマロのような触感の粘土を用い、好みの色に配色した粘土をこねて花びらを作り、それらを重ねて一輪のバラの花を作っていきます。講師の「クリスマスだけじゃもったいない。1年中飾って欲しいからお正月、普段用の3wayで使えるように!」という粋な計らいで、様々な手作り装飾パーツを準備していただき、各々製作したバラの花とあわせて、花器に盛り・・素敵な作品の完成です。全て並べて写真撮影した時の華やかさは言葉では言い表せません。
参加者は皆、「世界に1つだけの作品」に大満足でした。

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PTA活動報告

2017はじめての全校集会と高3激励会

2017/01/10

1月10日(水)本日、2017年はじめての全校集会が行われました。

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生徒たちは、冬休み明け最初の登校日とあって、開会前から楽しそうです。

毎年、集会第二部では全校生徒で高3激励会を行います。

開始早々、和太鼓部の激励の意を込めた力強い演奏が体育館内に響きました。

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その後、全校生徒で折った折り鶴を高3へ贈呈。

生徒会長が、「折り鶴」の歴史を振り返ったうえで、高3代表生徒に手渡しました。

そして、PTA会長より励ましの言葉が続きます。

変化の時代について分かりやすくお話しいただき、受験と向き合う

生徒たちを励まし、高3生徒267名全員分の合格鉛筆を贈呈していただきました。

最後に高3生徒が、受験を目前に控えた心境を素直にまとめてくれました。

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*全校集会第一部表彰は以下の通りです。

【文化部】
・将棋部

 

幸村 歩夢

米田 宇迪
野村 涼太

第23回神奈川県小中学校将棋団体戦 上級戦二組の部 第3位

【運動部】
・中学サッカー部

団体 

神奈川県中学校サッカー大会逗葉三浦地区予選 優勝

・高校バドミントン部 

団体 

神奈川県新人バドミントン大会横須賀三浦地区予選            

男子学校対抗の部(※同 県大会ベスト16進出) 優勝

小室 航平  
神奈川県新人バドミントン大会横須賀三浦地区予選

男子シングルスの部(※同 県大会ベスト8進出) 優勝


多田 淳平
小室 航平
神奈川県新人バドミントン大会横須賀三浦地区予選                    

男子ダブルスの部(※同 県大会ベスト16進出) 優勝

団体 

横須賀・三浦地区総合体育大会 男子学校対抗の部 優勝

以上

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学校学年行事

校史余滴 第九回 橋健三先生

2017/01/08

校史余滴
 第9回 橋健三先生

「第二開成中学校創業費並特別経費」(田辺文書所収 鎌倉女学院所蔵)には明治36年2~3月、東京開成の首脳陣が足繁く逗子・鎌倉に通い、第二開成設立の準備に追われていたことが示されています。主要メンバーは東京開成の共同校主だった先生方で、第二開成の初代校長となる田邊新之助、第二開成教員となり、後に平塚育英学校を開いた太田澄三郎、そして、橋健三らでした。
橋健三は1885(明治18)年より東京開成で漢文・倫理を教え、第二開成が分離独立後、東京開成の第5代校長となり、1928(昭和3)年までの長きにわたって校長を務めました。今回は橋健三について紹介します。
 橋健三は万延2(1861)年、加賀藩士瀬川朝治の二男として加賀国金沢に生まれました。幼少より加賀藩学問所壮猶館教授の橋健堂に学び、12歳の時には学才を見込まれて健堂の三女コウの婿養子となって橋健三と名乗りました。その後、健堂の漢学塾「集学所」を受け継ぎ、教授となります。14、5歳にして、養父の橋健堂に代わって前田土佐守家前田直行(1866~1943)に講ずるほどの秀才だったといいます。
 1884(明治17)年、コウとの間に、長男の健行が誕生しますが、廃藩置県により覚束なくなっていた「集学所」をたたみ、妻子と共に上京、小石川に学塾を開きました。共立学校(開成中学校)に招かれて漢文・倫理を講ずるようになったのは1888(明治21)年のことでした。共立学校の設立者佐野鼎と橋健堂は加賀藩学問所壮猶館で深い親交があったからでしょう。妻の死に伴い、1890(明治23)年には、健堂の五女トミ(つまりコウの妹)を後妻とし、雪子・正男・健雄・行蔵・倭文重・重子の三男三女を儲けることになります。
 1894(明治27)年には開成中学校の共同設立者に加わり、第二開成中学校設立に奔走したことは既に述べたとおりです。東京開成中学校校長としては、学校の移転拡張を図るため、学園組織を財団法人とし、理事長に就任したこと、日暮里への移転を果たしたことが特筆すべきことです。三校主(橋健三、石田羊一郎、太田澄三郎)が学校の動産及び不動産の全部を寄付し財団法人の財産とすることが定められました。「この三校主の勇気決断は、この学校の出身者の特に肝に銘記しなければならないことである」と東京開成の学園史に記されています。
 1928(昭和3)年、校長辞職後は、夜間中学開成予備学校(昌平中学)の校長として、勤労青少年の教育に尽くしていましたが、太平洋戦争中の1944(昭和19)年、その職を四男行蔵に譲り、故郷の金沢に帰り、同年12月5日に亡くなりました。84歳でした。
 雪の如き白色の長髯と炯々たる眼光は教育界の名物で、祝祭日の儀式で賀表を朗読する最後に、名前を「けんそう」と濁らないで発音するのが生徒間の話題だったそうです。
 ところで、次女「倭文重(しずえ)」は1924(大正13)年に農商務省事務官(東京開成中学校、第一高等学校、東京帝国大学法学部卒)の「平岡梓」と結婚し、翌年長男「公威(きみたけ)」を生みます。公威は長じて小説を書き、作家「三島由紀夫」となります。橋健三は三島由紀夫の外祖父に当たるのです。
 昨年末、休みを利用して私は橋健三墓の掃苔に赴きました。金沢市中心部から南約4キロのところに野田山墓地があります。標高約180mの野田山山頂から山腹に広がる総面積43万㎡(東京ドームの約10倍)の広大な墓地です。山頂近く、前田家墓所の西の「平成墓地乙」墓域に橋家の墓があります。中央に橋一巴(健三の祖父、健堂の父)の墓、向かって左に健三の、その右に小さな橋健秀(不詳)、一番右に橋健行の計四基の墓があります。(橋健堂の墓はありません。) 健三の墓は正面に「橋健三墓」、右側面に「健住院釋清和 昭和十九年十二月五日没 八十四才」、左には「昭和廿七年十月十日建之 正雄 健雄 行蔵」と刻まれていました。


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   橋家の墓(金沢野田山墓地)
   一番左が橋健三墓

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