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愛情あふれる手紙 三男定への松坡先生の手紙

2021/12/20

松坡文庫研究会の活動  愛情あふれる手紙 三男定への松坡先生の手紙

 田辺松坡先生が移住先ブラジルの三男定(さだむ)に宛てた心温まる手紙があります(国立国会図書館憲政資料室 ブラジル移民資料)。松坡先生には三人の男子がいます。長男は哲学者で文化勲章を受章した元、次男は黒田清輝門下で東京美術学校教授の至で、両名とも著名な人物ですから多くの資料もあります。1927(昭和2)年にブラジルに移住し、生涯をそこで送った三男定について語られることは殆どありません。

 定は1904(明治37)年、新之助・鍈の三男として東京小石川に生まれました。長兄元は20歳、次兄至は19歳でした。県立厚木中学校に入学しますが、1921(大正10)年4月逗子開成中学校4年生に転入し(1920年4月、松坡先生は自ら厚木中学校の大屋八十八郎校長を訪ねています、定の学業のことなどを相談したと思われます)、1923(大正12)年に卒業しました。その後、1924(大正13)年、志願兵として騎兵第一連隊入隊、1927(昭和2)年父の友人青柳郁太郎の紹介で海外興業株式会社嘱託員となり、ブラジルに渡りました。定24歳でした。ブラジルでは種畜牧場勤務を経てモジ・ダス・クルーゼス・コクエーラ植民地に入植し、文具・日伯書籍などを扱う店を経営、戦後はモジの認識運動に挺身、日本に救援物資を発送、日本との輸入杜絶期間に図書クラブを組織するなどブラジルにも母国日本にも大きな貢献をしました。

 その定に宛てた「七月三十一日」の日付のある手紙です。冒頭に、

  去五月廿七日結婚相済候由大慶之至ニ御座候

とあります。定から「5月27日に結婚しました」との来信があり、それへの返書だと判ります。松坡先生の「辛未新年」(辛未は1931年)と題された詩の一句に「眷属今茲一口加(眷属今茲に一口加わる)」とあり、自注に「三男在南米、去夏娶妻」とあることから、この手紙が1930(昭和5)年のものであることも判ります。手紙は次のように続きます。

  今後ハ今迠より責任重き御體ニ相成候間益々用意周密にして健康ハ勿論一擧一動ニ注意を要し候
克く々々先輩の意見を徴し輕率の事無之様被致度候

父であり教育者でもあった田辺新之助先生の子への誡語です。「辛未新年」詩には「不歎萍迹尚天涯(萍迹 尚お天涯にあるを歎かず)」ともあります。萍迹は浮草の跡、あちこちさまよって一定の所に住まないたとえ、天涯は空の果て、故郷を遠く隔たった地のことです。27歳になって結婚したとは言え、異郷に暮らす子のことを思う気持ちが溢れています。

 鍈さんの思いも記されています。

母は貴様の身上ニ付不一方心配致居候暮々も無理之事をせぬ様被致度候

「不一方(ひとかたならず)」は尋常一様でないということです。短い言葉の中に思いが籠められています。

以下、手紙は結婚に当たっての手続きに触れ、結びは「餘ハ後便可申入 以上」。

 この手紙を含む資料群は国立国会図書館がブラジルで移民関係の資料収集に当たっている折、1985年に定本人から寄贈されたものです。定がこの手紙を長く大切に保管し、貴重な資料として国会図書館に寄贈した思いも伝わります。

 定とその妻亀子の間には結婚の三年後1933(昭和)年に力(つとむ)が生まれました。その力さんが奥様の麻子さんと地球の裏側から祖父新之助・祖母鍈の墓参に訪れたのは2007(平成19)年5月終わりのことでした。

田辺新之助書簡.jpg

田辺定宛田辺新之助書簡

(国立国会図書館憲政資料室所蔵 田辺定関係資料より) 

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