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中学1年生 道徳の授業

2024/02/21

中学1年生、今年度最後の道徳の時間は、校長先生による授業でした。

「あいさつ」について、あらためて考えよう

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数年前、神戸のとあるマンションでは、住民の人たちがあるルールをつくりました。

「あいさつを(   )する」

(   )には何が入るのでしょう?

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ここには「禁止」という言葉が入ります。

・自分の子どもには、知らない人に挨拶されたら逃げるように教えているので、マンションでお互いに挨拶をしないようにしてほしい。

・マンションで挨拶をしても、相手から挨拶が返ってこないので気分が悪かった。だから、マンション内ではお互いに挨拶をやめよう。

住民からの上記のような意見から、このマンションでは挨拶が禁止となったようです。

この2つの意見について共感できるかできないか、中1のみんなに聞いてみました。

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学校という場所では
「挨拶をしない」というルールをつくるべきなのか?
「挨拶をしなければいけない」というルールをつくるべきなのか?
それともそういったルールをつくるべきではないのか?
みんなはどう考えるでしょうか。


一方、あいさつしなくても不自然ではない場所もありますね。
例えばお店を利用する時。
店員は「いらっしゃいませ」と声をかけますが、利用している側は「いらっしゃいませ」に返事を返すことはほとんどありません。

あいさつをしなくても不自然ではない理由として、日本の伝統的な接客の仕方である、「利用者は立場が上、従業員は立場が下」という上下関係のような考え方が一つの解釈の仕方です。

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それから、「いらっしゃいませ」に対して返す言葉がないという考え方もあります。


「おはようございます」
「こんにちは」
このような挨拶であれば、同じように
「おはようございます」
「こんにちは」
と返すことができますね。

このことから「いらっしゃいませ」をやめた飲食店が登場しました。

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それは牛丼チェーンの吉野家です。

「『いらっしゃいませ』だとお客様は返事のしようがないが、『こんにちは』だと返事をしやすい。そこで会話やコミュニケーションが生まれることもある。」と、吉野家ホールディングスの河村泰貴社長は語り、吉野家では2019年から「いらっしゃいませ」ではなく挨拶でお客様をお迎えしているそうです。


「あいさつ」について、どう感じたでしょうか?
色々な角度から考え、自分なりに「あいさつ」の在り方を考えてみましょう。

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今日の一コマ

高校マラソン大会の動画を公開しました

2024/02/19

2024年2月15日に行われた高校マラソン大会のダイジェスト動画を

逗子開成シアターにて公開しました。

生徒達の生き生きとした姿がカメラに収められましたのでぜひご覧ください。

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学校学年行事

【松坡文庫研究会】第8回講演会「大橋康邦と田辺松坡」

2024/02/18

松坡文庫研究会の第8回講演会をご案内いたします。明治~昭和に鎌倉に住み、鎌倉の風景を中心に多くの作品を残した画家・大橋康邦と田辺松坡に関する講演会です。奮ってご参加ください。

日時:令和6年(2024年)4月14日(日) 14:00~16:00
講師:袴田潤一(はかまだ じゅんいち)(松坡文庫研究会代表)
場所:鎌倉市中央図書館3階 多目的室(248-0012 鎌倉市御成町20-35)
定員:申込先着 30名 入場無料

 講演会の申込開始は、3月1日(水)より。参加申込方法、会場地図、問い合わせ先等につきましては、以下のチラシファイルをご確認ください。

20240414 大橋康邦と田辺松坡フライヤー.pdf

*なお、新型コロナウイルス感染症の感染防止にご協力ください。また、感染拡大による社会状況の変化によりましては、中止の場合もございますこと予めご了承ください。

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松坡文庫研究会

校史余滴 第十七回「『新版 レミは生きている』(平野威馬雄)を読む」

2024/02/17

校史余滴第十七回「『新版 レミは生きている』(平野威馬雄 筑摩書房)を読む」

著者の平野威馬雄さんは、明治33(1900)年生まれ、詩人・評論家として知られています。今回ご紹介する『レミは生きている』は、昭和34(1959)年に第六回産経児童出版文化賞に選ばれた自伝的小説です。

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平野威馬雄さんの父は、フランス生まれのアメリカ人、母は日本人です。祖国はどこなのか?そんな思いを持ちながら生きてきたことを赤裸々に語られています。本書を読むことで、出自を理由とする壮絶ないじめや社会からの排除を感じながら生きてこられた平野威馬雄さんの人生を知ることができます。

「平野威馬雄」という名前にピンとこなかったとしても、シャンソン歌手であり、料理愛好家として有名な平野レミさんをご存知な方は多くいらっしゃるのではないかと思います。レミさんは、威馬雄さんの娘さんにあたります。

すでに校友会のホームページにその紹介がありますが、平野威馬雄さんは、逗子開成に通った時期がありました。2022年に「新版」がちくま学芸文庫で刊行されました。また、2024年2月12日に放送されたNHK総合「だから、私は平野レミ」という番組では、レミさんが威馬雄さんの日記を読み上げるシーンが登場していました。

今回の校史余滴では、『新版 レミは生きている』に登場する逗子開成について、本文を引用させていただきながら、平野威馬雄さんの視点でみた逗子開成イメージをご紹介したいと思います。今回二つのイメージをとりあげておこうと思います。まずは、引用から。


                                                   
「そこで、とうとう、東京や横浜の学校ではいれてくれないというあきらめから、いなかの学校をえらぶことにした。それも、みすみす、五年生から一年損をして、逗子の開成中学の四年に、やっとのことで入れてもらったのであった。ちょうど、葉山の堀内海岸に別荘があったので、毎日、そこから、てくてく四キロメートルの道を歩いてかよった。この小さな中学校は、白い砂地の上にたっていた。岸べのあしをかりとるための平べったい小船が、ふかいみどりの水草の間に、ちらちらと見えかくれして、そのあたりは、ほんとにしずかな川口のながめだった。春から夏にかけては、がまの花がにおい、水ぜりの葉が、かわいいつゆを、きらきらと反射させていた。校舎ぜんたいが、まわりの田園風景とひとつにとけあって、まことにものさびしいところであった。質素な木造平家だての教室には、とても、東京の学校のような、しゃれたつくえや、まどかけなどのぞめなかったが、一日じゅうきこえてくる波の音は、からだじゅうから、都会のほこりや雑音をあらいおとしてくれた。まえにいたフランス学校のような、ゴシック式の講堂もなければ、つくえのひとつひとつにガスをとりつけた理化学の実験室もなかったが、校庭のまつ林をわたる潮風は、心をなごやかにしてくれた。浪子不動の岩間には、うろこがきらめき、なぎさには、赤や黄色の海そうがゆれていた。学校からほど近い田越川のあさせには、あの有名な、「ましろき富士のね、みどりの江の島」の歌でみんなの知っている、この学校のせんぱいたちがそうなんしたボートの破片が、白々とペンキのあとをとどめていた。すべてが、のびのびとしていて楽しかった。けれども、この学校は、もともと、海軍のえらい将軍が建てたのだそうで、いまでも、なんとなく、ぶこつな風俗がのこっていて、さかんに、すもうだの、剣術だのをしていた。」(154頁)



少々長くなってしまいました。小説の中での記述ですので、すべてが正しいわけではないでしょう。あくまで、これらの記述は平野威馬雄さんを通してみた「逗子開成イメージ」であり、小説の中の記述であることには注意が必要です。しかしながら、平野さんを通してみた大正時代当時の「逗子開成」の立地した景観についての記述は、大変貴重だと思われます。東京・横浜からみた、三浦半島に位置する、自然に恵まれた逗子開成の雰囲気を読み取ることができます。

一方で、小説には、もう一つ注目したい視点があります。それは、逗子開成が立地する「逗子」という土地が、「静養」する場所として描かれる点です。平野さんは、やんちゃだったからこその転校とご自身で記しているのですが(詳細は書籍を是非お読みください)、「静養」目的で逗子開成に来た生徒を物語の中で登場させています。

小説のなかで、加藤という人物を登場させ、その加藤について、「つきあえばつきあうほど、かれのよさが光ってくる。」と記した上で、加藤自身に次のような言葉を語らせています。



「ぼくはね、岐阜の山の中で生まれたんだ。そして、名古屋の中学にいたんだけれど、文学を勉強するのに、すこしでも東京の近いところに住みたいと思ってね。・・・・・それに、あまり、からだがじょうぶじゃないものだから、この、空気のいい海べの学校にきたのさ。まだ、きてから一年にしかならないんだよ。」(176頁)

また、平野の別荘があったという葉山において、逗子開成の生徒ではないものの、近藤くんという人物も登場させています。

「ところが幸運なことに、ぼくの住んでいた葉山の家の近くに、近藤くんという文学ずきの少年が住んでいた。からだが悪くて、東京の学校を休んで、静養にきていた。」(178頁)



逗子ではなく、葉山のイメージになってしまいますが、気候が良いからこそ「静養」する場であることが示されています。「静養地」としての逗子や葉山のイメージについては、『逗子市史』にもその紹介がありますし、徳冨蘆花の『不如帰』で描かれる逗子のイメージを考えていただいても良いかもしれません。自然環境の良い「静養地」としての逗子に、逗子開成は立地していたことがよく分かります。

以上、二つの視点を、平野さんの小説からご紹介しました。紹介させていただいたような記述を、当時の写真、絵画や日記などと比較検討していくとより豊かな校史や地域史が描けるのではないかと思います。

最後に別の史料から歴史的事実を確定しておきます。平野さんは、学校に残る資料より、大正6年10月2日~大正7年9月30日まで在籍していました。資料上は、「第三學年」に入学し、「第四學年」で退学したことになっています。(小説とは一学年ズレることになります。)また、大正7年12月4日に復校し、12月11日付で「私立名教中學校へ轉校願出」「許可」とあり、転校しています。このあたりについては、改めて別の機会にご紹介したいと思います。

最後になりますが、友だちとして登場する「加藤」は「加藤鐐造」にあたり、学内の資料には、「私立正則英語学校普通科四学年」を修業の後、大正7年4月6日に「第四學年」に入学し、翌年の大正8年5月1日に「第五學年」を退学しています。加藤鐐造は、後に岐阜県選挙区から出馬し、衆議院議員を戦前・戦後にわたり五期務めている方です。

校史編纂委員会では、今後も逗子開成の歴史の掘り起こしを進めていきたいと思います。資料や情報等をお持ちの方がいらっしゃいましたら、本校校史編纂委員会までお知らせください。

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校史余滴

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2024/02/08

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