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【松坡文庫研究会】田辺松坡「壬子晩春游東昌寺有感」

2024/04/18

本年の入学式(4月8日)は「桜」に大変恵まれました。その入学式から新年度がスタートして10日。学校周辺の桜吹雪も一区切りとなり、鮮やかな新緑が目にとまるようになりました。そのような今の時期にふさわしい玉稿を松坡文庫研究会代表の袴田潤一先生より預かりしました。逗子開成の創立記念日4月18日にあわせてお読みください。

                                             

杜甫(712~777)の作品は約1,500首が残されており、そのタイトルや内容から杜甫の年譜が作成できると言われています。松坡文庫研究会の活動の一つに、松坡先生が残した作品を集め、分析することを通じて、松坡先生の家族・交友関係・事蹟を明らかにすることがあります。これまでの調査で、新聞や雑誌に発表された作品(活字化されたもの)で約1,200首、原稿の形で残された作品で1,700首ほどを確認しています。合計2,900首に及び、杜甫の全作品数を遙かに凌ぎますので、そこから松坡先生の生涯を辿ることが可能です。尤も、タイトルは全て確認したものの、原稿の作品それ自体については、ごく一部を除いてはその内容を確認するには至っておりません。毛筆の草書体(くずし字)を読みこなすのは私たちには難しいのです。

 作品のタイトルから判断して内容の吟味が必要だろうと思われる作品を少しずつ判読しています。漢詩のタイトル(題)は雄弁です。和歌でいう詞書にあたる「引」がタイトルに添えられていることもあります。松坡先生に「記榮篇」と題された作品があります。大正11(1922)年に学制発布50年を記念して先生が教育功労者として表彰された折に詠まれたものです。詩それ自身も、五言28句の長大なものですが、タイトルが「記榮篇 大正戊戌十月三十日文部大臣挙学制頒布五十年紀年大典於東京大學」、引が「摂政殿下台臨表彰教育功労者百五十五名且賜物新亦終焉不堪感喜退私記栄」という長いものです。「記栄篇。大正戊戌十月三十日、文部大臣、学制頒布五十年紀年大典を東京大学に挙ぐ。摂政殿下台臨し、教育功労者百五十五名を表彰し、且つ物を賜う。新(新之助)亦た終る。感喜に堪えず、退きて栄を私(ひそか)に記す。」と読み下せます。これは詩の内容と併せて、松坡先生の「日記」にほかなりません。

 話は初めに戻ります。こうした事情から、松坡先生の作品を一篇でも多く読みたいと考えています。

 松坡先生に「壬子晩春游東昌寺有感(壬子晩春、東昌寺に游び、感有り)」というさっぱりしたタイトルの作品があります。壬子年、つまり明治45(1912)年の晩春に東昌寺を訪ね、感じるところがあって詠んだ作品です。東昌寺は逗子池子にある真言宗の古刹で、明治36(1903)年4月18日、第二開成学校がここで誕生しました。その9年後に先生が東昌寺を訪ねて抱いた感懐が詠まれています。

經營辛苦九星霜   経営の辛苦 九星霜

回憶當時感更長   当時を回憶すれば 感更に長し

古寺無人春寂寞   古寺 人無く 春 寂寞たり

飛花拂面有餘香   飛花面を払い 余香有り

「寂寞(せきばく、じゃくまく)」はひっそりとしてもの寂しいさまをいいます。晩春の穏やかな日、舞い散る桜の花びらが顔に触れ、ふっとその香が残る。その香とともに、学校創設までの苦労、開校後の経営上での苦労、とりわけ2年前のボート遭難事故とその事後処理のこと、等々が先生の心に髣髴と浮かんだにちがいありません。タイトルと七言絶句の僅か38文字から私たちは多くを知り、思いをめぐらせることができるのです。

 逗子開成は今年で創立121年を迎えます。これまでの121年間には、創立から9年の「經營の辛苦」にもまして多くの艱難を経てきました。しかし、それらは多くの先人によって乗り越えられてきました。田辺先生が学校の創立30年記念に生徒に贈った詩の一句に倣って、「微涓(びけん わずかな滴)を輸(おく)」った一人として、150年、200年に向けての学校のますますの発展を願っています。

東昌寺 本堂と桜.JPG

「東昌寺 本堂と桜  現在の本堂は昭和9(1934)年の竣成で、第二開成学校創立時のものではない」

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