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【松坡文庫研究会】 田辺先生退職記念組絵葉書

2021/02/22

1月8日に緊急事態宣言が出され、現在も継続中であることから、松坡文庫研究会の月1回の会合は休止中です。しかし、研究会の活動は続いています。

 一つは田辺先生の漢詩の講読。松坡先生の詩の読み下しと語釈を会員の皆様にメールで配信しています。ここひと月半ほど、「題大橋觀籟鎌倉十二景」という12首の連作詩を順に読んでいます。鎌倉に住み、神奈川師範学校で美術を教えていた大橋觀籟(康邦)が鎌倉の名勝を描いた12点の絵に、松坡先生が詩を付けたものでしょう(絵画作品は未詳)。鶴岡八幡宮や建長寺、また、稲村ケ崎などと並んで、飯島(逗子市小坪)が詠まれた詩もあります。飯島は鎌倉時代以来、鎌倉の南端でした。

 もう一つは、鎌倉市図書館が行っている「図書館まつり ファンタスティック・ライブラリー109」への参加です。今年度はCOVID-19の流行で、市内5館の図書館を巡回するパネル展示ですが、「田辺松坡と松坡文庫」というタイトルで、田辺先生のこと、松坡文庫のこと、私たち研究会のことを紹介しています。宣伝(?)のための動画がYouTubeの鎌倉市公式チャンネルで見られます。

 資料の収集にも力を入れています。昭和9(1934)年、田辺先生が鎌倉高等女学校の校長を退職した記念に作成した組絵葉書(封筒付き)を手に入れることができました。絵葉書は、紋付羽織袴に威儀を正した先生の肖像写真(田辺先生73歳)、退職に当たっての感慨を詠んだ漢詩(七言絶句)など三枚。「老齢之故を以て鎌倉高等女學校校長の職を辭退致候」と記された挨拶状もあります。

此心終始不相欺   此の心 終始相欺かず

五十三年一夢移   五十三年 一夢移る

001 肖像写真.jpg<73歳の田辺新之助先生>

東京大学予備門を終了した田辺先生が、高橋是清が学校長を務める共立学校の英語地理教授となったのは明治15(1882)年1月のこと。田辺先生は明治43年まで東京開成中学校(共立学校が校名を改めました)に務め、鎌倉高等女学退職まで足掛53年に及ぶ教員生活を送ったのです。その53年という年月は夢のように過ぎ去ったとの思いを述べ、その間、自分の心は欺くことがなかったというのです。他者を欺かなかったというだけでなく、自分の心に忠実に生きてきたということを言っているのでしょう。

 「老齢之故」による退職だと挨拶状にはありますが、私は、先生が退職を決意するに至った大きなきっかけがあったのではないかと考えています。この年の初め(1月末か2月初め)に先生の孫女「横地武子」さんが自死したのです。武子さんは田辺先生の次女「秀さん」の娘さんで、しかも、詳しい事情は不明ですが、母一人子一人でした(田辺先生夫妻と同居していたと思われます)。秀さん、田辺先生夫妻の悲しみは想像を絶するものであり、先生は「悼横地武子」という詩で「掌中之玉一宵摧(掌中の玉 一宵にして摧ける)」と詠んでいます。

 武子さんの死で田辺先生は仕事に対する意欲も失い、校長を辞す決意に至ったのではないでしょうか。

002 漢詩.jpg

<退職に当たっての心境を詠んだ七言絶句>

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