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校史余滴 第十一回 田邊家之墓 墓参

2017/02/18

校史余滴 第11回 田邊家之墓 墓参

 2月18日、校友会の方々と鎌倉寿福寺の田邊家の墓にお参りしました。田邊新之助先生の命日2月24日に合わせてのことです。寿福寺南側の細い道を墓所の最奥まで上ると田邊家之墓があります。香華を手向け、逗子開成の今日の様子を報告し、新之助先生及び田邊家の人々の霊を慰めました。
 田邊新之助先生については、東京開成の校長であり、逗子開成中学校・鎌倉女学校を創設したこと、松坡と号し、近代を代表する漢詩人であったことなどがよく知られています。ここでは、先生の後裔を紹介します。
 新之助先生は1884(明治17)年、22歳のときに広島県士族水谷勝貞長女・鍈と結婚し、三男四女をもうけました。長男は絶対弁証法の田邊哲学を確立し、1950(昭和25五)年に文化勲章を受章した元(1885~1962)。次男・至(1886~1968)は黒田清輝に学んだ西洋画家で、鎌倉に住し、日本創作版画協会結成にも尽力し、東京美術学校教授を務めました。三女・よしは野澤氏に嫁しましたが、その子にフランス思想史研究者の野沢協がいます。旧制浦和高等学校で澁澤龍彦と同窓で、「現代フランス文学を読む会」のリーダーでした。また、野沢協は鎌倉小町における初期「澁澤サロン」の有力メンバーでもありました。協の兄は京都大学名誉教授で霊長類研究所の所長も務めた野沢謙。その子、野沢尚は2004年にみずから命を絶った脚本家・推理小説家。田邊新之助の家からは多くの優れた人物が育ちました。

ところで、田邊先生は明治・大正・昭和にわたり鎌倉の文化に大きく貢献し、漢籍を中心とした蔵書の多くが鎌倉市図書館に寄贈されて「田邊松坡文庫」を成しています。来年度、鎌倉市図書館で「田邊松坡文庫」に関するイベントも企画されているようです。

田邊家之墓掲載用.jpg

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