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【松坡文庫研究会の活動】「東寧游艸」の旅

松坡文庫研究会

【松坡文庫研究会の活動】「東寧游艸」の旅

【松坡文庫研究会の活動】「東寧游艸」の旅

松坡先生に「東寧遊艸」と題された連作詩(長文の引、13タイトル 19首)があります。明治31(1898)年8月初旬の松永聽劍との銚子及び利根川流域、水郷地帯、土浦から筑波山の旅の感興を詠じた作で、タイトルの「東寧」は「利根」の雅語です。『毎日新聞』(『東京横浜毎日新聞』の後継紙で現存する『毎日新聞』とは無関係)の漢詩欄「鐵網珊瑚」(撰評者は田辺松坡)に明治31(1898)年10月13日から同26日まで6回にわたって掲載され、後に雑誌『太陽』(第4巻第23号1898.11.20、第4巻第24号1898.12.5)に転載されています。そのうちの3首が筑摩書房の『明治文學全集 62明治漢詩文集』(1983)に採られていることから、松坡先生の壮年期の代表作だと考えられます。松坡文庫研究会では2023年10月から2025年11月まで、2年以上をかけて全首を講読しました。

 

当時37歳の松坡先生と32歳聽劍の旅の足跡を同じ季節に辿ってみたいと思い、古くからの友人の一人で、研究会の会員でもあるK君と計画を立て、先月下旬(2026年7月下旬)に実現することができました。松坡&聽劍の旅は4泊5日、当時の交通事情を考えると信じられないほどのハードな旅ですが、私たちはK君が運転する「クルマ」で、筑波山山頂まではケーブルカーで登るという3泊4日の旅でした。

先ずは松坡&聽劍の旅の行程を紹介します。

 

8月1日(月)

東京から総武鉄道で銚子へ 犬吠埼に宿泊

8月2日(火)

この日は陰暦で6月15日、大潮にあたり、日の出を拝み利根川の逆流を見る

暮れ方に舟で銚子を出て、利根川を遡り賀村に宿泊

8月3日(水)

賀村から舟で浪逆浦を経て大船津に至り、鹿島神宮に参詣

大船津から舟で潮来・上津宮を経て香取神宮に参詣  佐原に投宿

8月4日(木)

夜半に舟に乗り霞浦を渡って土浦に至る 筑波山に登り、山中に宿泊

8月5日(金)

土浦を経て帰京

 

地図を見ながら、当時の交通手段を想像しながら旅程を辿ってみて下さい。利根川・霞ケ浦に網の目のように張り巡らされた舟運を存分に活用したことが判りますが、クルマもケーブルカーもありません。若い二人だったとはいえ、暑い中、大変な旅だったと思われます。長文の引(序)や詩からは旅の目的ははっきりしませんが、推察するに、旧暦6月15日に見られる利根川の逆流を見ることが大きな目的だったと思われます。中国では銭塘江(浙江省)の逆流(海嘯)が有名で、多くの詩人がそのさまを詠じています。松坡先生が敬愛していた蘇軾(蘇東坡)にも「八月十八日觀潮」と題された詩があります。もう一つの目的は前年6月に東京(本所駅 現、錦糸町駅)から銚子駅までの通じた総武鉄道に乗ることだったと思われます。松坡先生は好奇心旺盛、新しもの好きだったと思しく、明治45(1912)年7月の大江卓との山陰の旅でも、開業したばかりの東京下関間の特別急行列車を利用しています。更に、それに加えて、鹿島・香取両神廟への参詣と筑波山登山。盛沢山の旅です。

 

さて、私たちの旅ですが、7月20日(月)に出発。当時からは想像もつかないことでしょうが、東京湾の下をクルマで走り、九十九里へ。「イワシ資料館」でイワシ漁で栄えた九十九里の歴史と文化を勉強。昼食、私はイワシフライ。国道126号線を犬吠埼へ。松坡&聽劍も見たであろう太平洋の壮大な眺めを私たちは犬吠埼灯台の上から堪能しました。銚子・犬吠埼は多くの文人が足を運んだところで、多くの文学碑がありますが、昨今では往時の賑わいはありません。慶應4(1868)年、戊辰戦争のさなかに榎本武揚率いる幕府艦隊の一隻である美賀保丸が銚子沖で沈没していますが、その慰霊碑も訪ねました。銚子泊。

 

美賀保丸慰霊碑ほか

 

2日目、7月21日(火)は松坡&聽劍が舟で辿った跡をクルマで。鹿島・香取に参詣するので息栖神社にもお詣りし(東国三社にお詣りしたことになります)、賀村(今日の茨城県神栖市賀)を過ぎ、大船津から鹿島神宮へ。広大な境内を(暑い中)、隈なく歩きました。昼食後は香取神宮(奥宮も)にお参りして、佐原泊。

 

利根川津宮河岸に建つ、香取神宮表参道の浜鳥居

 

3日目、22日(水)午前中、私とK君は別行動。私は伊能忠敬記念館と佐原の町並みを見学。K君は神栖市歴史民俗資料館へ。昼食を共にして、茨城県稲敷郡阿見町にある予科練平和記念館へ。海軍飛行予科練習生と特別攻撃隊(特攻隊)について勉強しました。記念館に併設されている雄翔館(予科練記念館)には特攻隊で戦死した予科練習生の写真が掲示されていましたが、その中に「関口剛史」君の姿を見つけることができました。関口剛史君は逗子開成中学校卒業を目前にした昭和18(1943)年10月に海軍飛行予科練習生(海軍甲種飛行予科練習生第十三期)となり(翌年3月に逗子開成中学校卒業となっています)、松山航空隊で訓練を受け、昭和20(1945)年5月4日に沖縄上陸阻止作戦菊水五号作戦で少尉唯本守率いる琴平水心隊の一員として特攻機に乗り、戦死しています。土浦まで移動して、土浦泊。

 

最終日4日目、23日(木)は朝から土浦市立博物館で霞ケ浦水運と土浦藩についてたっぷり勉強し、次いで小田城跡の資料館で小田城及び歴代城主についてたっぷり勉強。最後は筑波山神社にお詣りした後、ケーブルカーで筑波山(男体山)山頂に登り、遠く北部関東、水郷地帯を遠望しました。更に北への旅を続けるK君とは筑波で分袂。私はつくばエクスプレスで帰鎌。

松坡&聽劍の旅の跡を辿り、私は幾つかの芭蕉句碑を(K君には我儘を言って旅程に加えて貰い)調査し、K君は自らの研究課題である「河川」の問題について多くを学んだと見え、大変に充実した4日間になりました。

旅の成果は松坡文庫研究会で報告し、会員の共有の財産にしたいと思います。

 

犬吠埼灯台から銚子鉄道外川駅方面を眺める