学校生活
中学1年生 国語の授業
6月24日(水)、中学1年生の国語の授業にお邪魔しました。
今回の教材は『大人になれなかった弟たちに…』。全6回の授業のうち、今回は第5回目の授業で、ヒロユキの死と帰り道の情景描写について考えました。
本作品は、戦争中、食料が不足し、多くの人々が厳しい生活を送っていた時代を舞台にしています。主人公である「僕」の家には、幼い弟・ヒロユキがいました。母親の母乳が十分に出ない中、ヒロユキのために用意されていた貴重なミルクを、幼い「僕」は甘くおいしいものとして我慢できずに飲んでしまいます。その後、ヒロユキは十分な栄養を取ることができないまま、栄養失調で幼い命を失ってしまいます。
戦争という大きな出来事の中で、子どもたちがどのような苦しみを抱えていたのか、そして命の重さについて考えさせられる作品です。
授業ではまず、ヒロユキが入院することになった経緯や理由を振り返り、その後、ヒロユキの死の場面について読み深めました。
「ヒロユキが泣かないのはなぜか」
「『…』という表現にはどのような意味が込められているのか」
「ヒロユキが亡くなってしまった理由は何か」
といった問いを通して、文章の細かな表現に注目しながら考えていきました。
また、「ヒロユキの死を迎えてしまった『僕』の心情はどうだっただろう」という問いに対しては、
・後悔
・悲しい
・罪悪感
・戦争に対する怒り
と生徒たちからはたくさんの意見が出てきました。
その中で、板書に書かれた「喪った」という漢字を見た生徒から「うしなうって、この漢字を書くんですか?」という質問がありました。人がなくなる場面では、「失う」ではなく「喪う」という表現を使うことがあることも学び、言葉一つ一つに込められた意味について考える機会となりました。
さらに、この授業では文章の内容だけではなく、「情景描写」にも注目しました。
例えば、楽しい場面では「天気が良い」「輝いている」といった表現が使われることがあります。一方で、悲しい場面やつらい場面では「曇り」「雨」「雷」など、気持ちに寄り添った表現が使われることが多いです。
そこで、「同じ晴れた空でも、悲しい場面を表現するとしたらどのような言葉になるだろう」と問いかけると、生徒からは「ジリジリする」「蒸し暑い」などの意見が出ました。状況や心情によって、同じ景色でも描写の仕方が変わることを学びました。
しかし、作品中には次のような情景描写があります。
「空は高く高く青く澄んでいました。ブウーンブウーンというB29の独特のエンジンの音がして、青空にきらっきらっと機体が美しく輝いています。道にも畑にも、人影はありませんでした。歩いているのは三人だけです。」
戦争を象徴する存在ともいえるB29が登場する場面で、「きらっきらっと」「美しく輝いています」と表現されていることに、生徒たちは違和感を覚えます。
「なぜ、怒りや憎しみにつながるはずのものを、美しく表現しているのか」
そこから、当時10歳だった「僕」の心情について考えました。
私たちは物語を客観的に読んでいるからこそ、「○○だから悲しいはずだ」「○○があったからここでは怒りを感じるはずだ」と考えることができます。しかし、実際にその出来事を経験した本人、ましてや10歳の子どもが、自分の気持ちをすぐに整理して名前をつけることはきっとできません。悲しみ、後悔、罪悪感など、さまざまな感情が混ざり合い、心の中が空っぽになってしまうこともあります。
だからこそ、本来なら怒りや憎しみの対象であるB29に対し、見えているそのままに、「きれいだな」と感じられてしまう。その情景描写には、「僕」の虚無感や心の状態が表れているのだと読み取ることができます。
また、ヒロユキが亡くなった場面は淡々と書かれています。それもまた、大きな悲しみに直面した「僕」の心の状態を表現しているのではないかと考えました。
その後、家に戻ると、部屋を貸してくれていた農家のおじいさんが、小さな棺を作ってくれていました。しかし、ヒロユキは成長していたため、その棺にはそのままでは入りませんでした。
「大きくなっていたんだね」
その瞬間、初めて母親が泣きます。
ここから、母親は、ヒロユキが生きている間、その成長に気づくことができなかったのではないか。そして、棺に入れるという場面で初めてその事実に気づいた悲しみが表れているのではないか、と読み深めました。
続きは次回の授業で扱います。
今回の授業で生徒たちは、文章の内容だけでなく、言葉の選び方や情景描写に注目することで、登場人物の心情をより深く読み取ることができるということを学びました。