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校史余滴 第27回「宇高兵作小伝④」
*「宇高兵作小伝①・②・③」未読の方は、まずは以下よりお読みください。
「小伝①」https://note.com/zk_koushi/n/nbbb881fc9aac
「小伝②」https://note.com/zk_koushi/n/n5265d36b5372
「小伝③」https://note.com/zk_koushi/n/nf35e36269496
*図版番号は、「宇高兵作小伝①~⑤」通し番号となっております。
*「宇高兵作小伝」引用・転載の際は、以下のように明記してください。
「三好彰「宇高兵作小伝」(「note 逗子開成 校史余滴アーカイブ」」)
三好彰さんによる「宇高兵作小伝④」の情報を発信いたします。
「小伝④」では、宇高兵作による雑誌記事寄稿数の総括がなされ、著書についての解説が続きます。
特に、図26で示していただく雑誌寄稿数の変化は、大変興味深いものです。寄稿数の変化を兵作の履歴と一緒に読み解かれています。1911(明治44)年に病気のため一度逗子開成を辞職し、1916(大正5)年に復職するまでの期間と対応していることが示されているのです。
また、「小伝③」に引き続き、当時の英語教育の在り方についても学ぶことができます。100年前のことですが、当時から様々な教育が模索されていたことを知ることができます。
著作については1点だけ。三好さんの丹念な資料調査をうかがえるのが、スタンフォード大学図書館に所蔵されている『和英対訳脚本集』記載の、兵作直筆の、恩師に向けたメッセージ紹介です。兵作のお孫さんとして、三好さんが調査をどのような思いで続けてこられたのか、スタンフォード大学の図書館にてその記載をみた時の思いはいかばかりであったか、考えさせられました。
逗子開成との関係についても重要な指摘が多くあります。中でも、三好さんは、1911年10月に病気休職した兵作が、同年11月には米国留学のためのパスポートを取得している不自然さをはっきりと指摘してくださっています。教員録にみる教員の異同とあわせて、学園内の混乱を丁寧に読み解く必要性を提起していただいています。
お時間ございます時、「小伝④」をお読みください。