学校生活
高校1年生 歴史総合の授業
11月18日(火)、高校1年生の歴史総合の授業にお邪魔しました。この日のテーマは「アジア諸民族の独立運動・立憲運動」です。
授業は前回の内容の振り返りからスタートしました。
「日露戦争は世界にどのように理解されたか?」
生徒からは、
イギリスの警戒がロシアからドイツに移ったこと、
資料集にあるネルーの言葉より、日本の勝利がアジアの人々を喜ばせた一方で、侵略的帝国主義のグループに1つ国をつけ加えただけだったとアジアの人から評価されていたことを確認しました。
続いて、日露戦争の影響で起こったとされるアジアの民族運動にはどんなものがあったか、資料集から情報を整理します。
生徒たちから挙がったのは、
•ドンズー(東遊)運動
•中国同盟会の結成
•イラン立憲革命
•インド国民会議カルカッタ大会
•青年トルコ革命
の5つ。資料集の中では、いずれも日本の勝利によって起こった運動とされています。
このうちの「青年トルコ革命」と「イラン立憲革命」の共通点に焦点を当て、話し合いへ。
生徒たちは、
•「どちらも立憲という面で共通している」
•「専制政治を打ち破るという点で共通している」
と整理をし、日露戦争後の立憲制の実現と専制打破の動きの広がりを捉えていました。
次はインドに目を向けていきます。
「インド国民会議派はなぜベンガル分割令に反対したのか?」
教科書から情報を読み取り話し合い、その後なんと中1の時に使用した地理の資料集の図を使って、ベンガル州の位置や南アジアの宗教分布を確認しながら、分割によって生じる問題点について議論しました。
そして授業プリントに移ります。
「『ドンズー運動はなぜ失敗したのか』について目的や内容、中心人物を整理し、「日露戦争」というキーワードを使って説明しましょう。」
生徒たちは7分間、教科書の資料を読み、話し合い、考えをプリントにまとめていきました。
指名された生徒は次のように整理しました。
「ドンズー運動では、ファン=ボイ=チャウが日本に渡り、犬養毅・大隈重信らと接触。
日露戦争に勝利した日本に留学生を送り、ベトナムを発展させようとした。
しかしベトナムはフランス領のためフランスによく思われていない。
日仏協約の際に日本へ留学生追放を要請し、日本はフランスとの関係維持を優先して留学生を追放することとなった。」
「このまとめに疑問や意見のある人はいる?」と先生が生徒に問いかけます。
すると、別の生徒が「ベトナムを発展させるということは、具体的にどういうことなのだろう?」と、まとめに対して疑問を呈しました。
先生が疑問を出した理由を聞くと、「教科書には、フランスからの独立と立憲君主制の樹立を目指すと書いてある。ドンズー運動の『目的』を説明するなら、そこまで言わなければならないのではないか?」と生徒は発言しました。
このように、生徒と先生の間で問を出したり、それについて答えたり…。双方向的な授業が展開されます。
さらに、先生は問いかけます。
「もしあなたが当時の日本国民だったら、留学生を追放するか?受け入れるか?」
話し合いの後に挙手をさせると、ほとんどの生徒が「追放」を選びました。フランスとの関係を重視したようです。
しかし、ここから様子が変わります。
「文明国を目指していた日本だが、そもそも文明国とは何なのか?」
「ベトナム人留学生を追放したのは文明国として正しいのか?」
生徒の中から、感嘆の声。日本が帝国主義的な選択をしていった一方で、アジア主義的な思想も育ってきており、だからこそファン=ボイ=チャウは大隈重信を頼ったし、孫文を始めとするアジアの様々な人々が東京へとやってきたということを、先生は指摘しました。
「選ばれなかった選択肢」にも、価値がある。そのことをしっかり理解して、政治的選択ができるようになってほしいというメッセージが伝えられ、授業が終わりました。
知識としてただ覚えるのではなく、その意味をクラスメイトや先生と一緒に考え、共有し、自分自身の理解を深めていく。
資料を読み解く力と、自分の考えを言葉にする表現力が同時に育つ、非常に密度の高い授業でした。