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【松坡文庫研究会の活動】 田辺新之助先生の松方正義宛書簡

松坡文庫研究会

【松坡文庫研究会の活動】 田辺新之助先生の松方正義宛書簡

【松坡文庫研究会の活動】 田辺新之助先生の松方正義宛書簡

【松坡文庫研究会の活動】 田辺新之助先生の松方正義宛書簡

全20冊にも及ぶ『松方正義関係文書』(大東文化大学東洋研究所)の第15巻(1994.2)は松方家萬歳閣関係資料を扱っており、その中に田辺新之助先生が松方正義に宛てた書簡一通が収められています。
書簡は大正12(1923)年1月17日付のもので、封書表に「伊豆熱海 松方正義様 御侍曹」、裏に「鎌倉亂橋 田邊新之助」、消印も1月17日です。「伊豆熱海」は松方正義が熱海に営んだ別荘「水月荘」で、避寒中の89歳の松方正義に宛てた書簡です。時候の挨拶に続いて、本題は次のように記されています。判り易く読み下したものを紹介します(旧字・異体字は標準的な字体に改めています)。

 

扨、別紙にて貴覧に入れ候、曠慮に副い候や否や、篤と御覽願い上げ候。又、御指図に由り修正仕り候て宜敷候、先は御左右御伺い旁々、貴意を得度く候、草々頓首

 

同封した別紙でご覧に入れるものは、松方様の寛大なお考えにそう(副う、沿う)ものでしょうか。念を入れてご覧いただきたくお願いいたします。また、松方様のお指図によって(いかようにも)修正いたします。先ずは松方様のご指図を伺いかたがた、松方様のお考えを伺いたいと思います。草々頓首

 

『松方正義関係文書』にはこのあとに五言律詩が記されており。「別紙」で松方正義にご覧に入れたものだと判ります。詩のタイトルは「那須千松苑迎椒宮玉輦恭紀恩(那須千松苑に椒宮の玉輦を迎え、恭しく恩を紀す)」。「椒宮」は皇后の意ですから、貞明皇后を那須の松方正義の別荘にお迎えしたことへのご恩を紀(記)した詩ということになります。お迎えしたのも、そのご恩を紀すのも松方正義である筈ですが、詩の稿は田辺先生が書き、手紙の本文で「御指図に由り修正仕り候て宜敷候」と書いています。これはどういうことでしょう? 本来であれば松方正義が詠んで(書いて)、貞明皇后(及び大正天皇)に奉呈すべき詩の原稿を田辺松坡先生が書いているのです。「代筆」「代作」というものです。松方正義が紀恩詩の代作を松坡先生に依頼し、松坡先生がそれに応えて出した書簡が『松方正義関係文書』第15巻に収録されているということになります。この場合だけでなく、松坡先生には代作の詩稿、碑文稿などが少なからず見られます。

詩を紹介しておきます。

那須千松苑迎椒宮玉輦恭紀恩
  那須千松苑に椒宮の玉輦を迎え恭しく恩を紀す
驛頭迎玉輦   駅頭 玉輦を迎え
林苑發輝光   林苑 輝光を発す
松罩翠嵐色   松は翠嵐の色を罩(こ)め
山搴雲錦裳   山は雲錦の裳を搴(かか)ぐ
丁寧問農牧   丁寧に農牧を問い
眷顧及馬羊   眷顧 馬羊に及ぶ
恩露一門洽   恩露 一門に洽く
老臣偏恐惶   老臣 偏に恐惶す

「眷顧」は特別に目をかけることですから皇后は放牧されている馬や羊のことにとりわけ注目したのでしょう。

先頃、鎌倉市図書館の図書館祭り「ファンタスティック☆ライブラリー113」のパネル展示「松方正義と松坡先生」の準備作業中に、運命の女神のどのような差配によるのか、私は松方正義のお孫さんで、松方正義家第四代当主松方峰雄様にお会いすることができました。掲出した二枚の写真はその折にいただいたものです。一葉は大正期の写真で、広大な千本松農場に放牧されている羊が写っており、松坡先生の詩で詠われている通りです。もう一葉は農場内(千松苑内)の松方別邸「萬歳閣」の現在の様子です。明治36(1903)年、千本松農場内に建てられた那須別邸で、翌年、皇太子(大正天皇)が駐泊の際、折からの日露戦争で遼陽が陥落した報が届き、一同で万歳をしたことから「萬歳閣」と呼ばれるようになりました。

大正期の千本松農場 左奥が萬歳閣

 

 

現在の萬歳閣

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