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【松坡文庫研究会の活動】 『文字禅』『漢詩春秋』の調査と「松社の清游」

松坡文庫研究会

【松坡文庫研究会の活動】 『文字禅』『漢詩春秋』の調査と「松社の清游」

【松坡文庫研究会の活動】 『文字禅』『漢詩春秋』の調査と「松社の清游」

 松坡先生は上村賣劍(うえむらばいけん18661946 本名は才六 ジャーナリスト・政治家・漢詩人)の声教社が出版していた月刊誌『文字禅』『漢詩春秋』の撰者・評者を長くつとめ、自ら同誌に多くの作品を発表しています。『文字禅』は大正6(1917)年2月に創刊され、松坡先生の作品が初めて掲載されたのが同年12月号。その後、断続的に作品が掲載され、大正111922)年1月号からは同誌購読者からの投稿詩の撰者・評者をつとめるようになりました。昭和に入ると先生の作品は毎号に掲載されるようになりま。『文字禅』は昭和51930)年7月号から『漢詩春秋』と改題されています。終戦の年の5月まで刊行されていたことが確認されており、『文字禅』が161号、『漢詩春秋』179号、計340号が総刊行です。

 松坡文庫研究会発足後、同誌の収集に努め、『文字禅』69号、『漢詩春秋』76号の計145号を手に入れることができました。更に、それに加えて全国の図書館等(国立国会図書館、日本近代文学館、富山県立図書館、オーテピア高知図書館 など)の所蔵本により、『文字禅』については73号、『漢詩春秋』については151号を調査し終えたところで、両誌の調査は中断していました。ところが、最近になって、早稲田大学中央図書館所蔵本(『文字禅』108号、『漢詩春秋』110号)のうち、未調査分を調べる機会を得て、都合『文字禅』117号、『漢詩春秋』173号について松坡先生の作品および、松社など松坡先生周辺の動向を調べることができました。『文字禅』の未調査分44号については所蔵先はわかっていますが、部外者の利用が制限されており、今後の調査については不明です。ただ、創刊当初からのものが殆どで、松坡先生の作品や動向が掲載されている可能性は低いのです。また、『漢詩春秋』の未調査分6号のうち4号は松坡先生が亡くなって1年後の刊行ですから、松坡先生関係の記事はないと考えられます。ということで、松坡先生の作品やその周辺の動向を両誌から拾い出す調査にはひとまず区切りが付いたのではないかと考えています。採録されている松坡先生の作品は450タイトル、718首に及びます。

 さて、同誌には「瓦釜雷鳴」と題された欄があります。賣劍による雑記、撰者や購読者の動向などが記されています。松坡先生が鎌倉で主宰していた詩社「松社」の動向がしばしば掲載されており、私たち研究会にとっては松坡先生の詩とともに重要なものとなっています。

 『漢詩春秋』第19巻第8号(昭和5 193081日)の「瓦釜雷鳴」欄に松社同人の一人である萩原錦江が寄せた興味深い記事があります。見出しには「」とあります。

 

 の同人は夏初の新綠と澗溪の獵奇を兼ねて相模峡に出游せんとの檄ありしかば、力めて一日の閒を偸み六月廿日午前八時横濱驛に諸氏と會同し、與瀬驛に下車し、一行七人一舟に酒肴を載せ亂山堆裏の桂川碧流を下る

 

松社同人が夏の一日、横浜駅から横浜線、中央本線を乗り継いで与瀬駅(現相模湖駅)まで行き、そこから桂川(相模川)の渓流下りを楽しんだのです。

 

兩岸は茂林脩竹蔚生し、奇巌怪石の罅隙には躑躅の紅花點點、風趣いふべからず、溪水或は緩く、或は急に、深潭淺渚に従って舟子はその艪棹をかへ

 罅隙(かげき)割れ目裂け目

 

と続きます。相模ダムのために相模川を堰き止めた人造の相模湖が完成するのが1947年、城山ダムの人造湖津久井湖が1965年。松社同人の渓流下りは二つの人造湖がなかった時代のことで、の水量も豊富で渓流下りにはうってつけだったのです。相模川の舟下りの記録は明治初年からありますが、観光としては明治後期から与瀬から厚木まで厚木を発して相模川河口の馬入までなど、幾つかのコースがあったようです松坡先生たち一行が利用したのは、与瀬河岸より小倉(津久井郡城山町)までの 5 を下るコースだったと思われます。

 

泉に逢ひて酒を煖め、盤中の香魚を味ひ、急湍に席を捲いて飛沫の衣に灑ぐを防ぐ、舟中客の容與たるに比して.兩岸の垂綸者亦た默默として容易に鉤を擧げず、寺あり幽林といひ、祠あり辨天と稱す

※ 容與(与)…ゆったりしているさま

 

相模川名物の鮎の塩焼きを肴に酒を飲んで楽しみました。「幽林」寺は「友林寺」、「辨天」祠は「小原弁天堂」でしょうか、周りの風光も堪能しています。

舟行三時餘夏初の溪谷の風光を滿喫し、荒川に至りて上陸薄暮の頃、橋本駅で流れ解散。「荒川」は現相模原市緑区大井城山ダム完成により津久井湖に沈みました報告者である錦江は、

 

誠に近來になき快游なりしが、舟中何人も互に一詩を示さざりしは奇といふべく.蓋し各々想を練りて奇勝を博せんとする心ありたるに非ざるか

 

と記しています。心洗われる初夏の遊びだったに違いありません。

 この渓流下りの8年後昭和131938)年、松社同人の作品を集めた漢詩集『松同人集』が刊行され、冒頭には松坡先生の漢詩9首が収められています。その第1首目の五言古詩(26句)の題が「泛湘谿」。「湘谿」は相模川の渓流の意です。錦江の「蓋し各々想を練りて奇勝を博せんとする心の通り、松坡先生は清游の趣を詩に詠じました。その詩が『松同人集』の巻頭掲載されているのは、松社同人にとって感慨深いものだったに違いありません。

 松坡文庫研究会で「泛湘谿」の詩を講読したのがコロナ禍直前の2020219日の月例会それから4年以上を経過しての早稲田大学中央図書館での調査によって、その詩で詠じられた出来事、その詩の背景について知ることができたのは、私にとって、研究会会員一人一人にとって実に感慨深いもので、「研究会の活動」の醍醐味です。

 『文字禅』『漢詩春秋』

『松同人集』冒頭の松坡先生の詩

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