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【松坡文庫研究会の活動】向山黄村と田辺松坡

松坡文庫研究会

【松坡文庫研究会の活動】向山黄村と田辺松坡

【松坡文庫研究会の活動】向山黄村と田辺松坡
向山黄村の「次韻田邊松坡七月既望追蘇之作十疊」第一首  『景蘇軒詩鈔』より(『詩集日本漢詩』第18巻所収) 向山黄村の「次韻田邊松坡七月既望追蘇之作十疊」第一首

『景蘇軒詩鈔』より(『詩集日本漢詩』第18巻所収)

松坡文庫研究会代表の袴田潤一先生より原稿をお預かりしました。松坡先生が、漢詩壇での地位を確かにする以前、松坡先生34歳の時のエピソードを紹介していただいております。

相撲の例えが・・・!!是非お楽しみください。

【松坡文庫研究会の活動】向山黄村と田辺松坡

 

向山黄村の詩集『景蘇軒詩鈔』(杉浦梅潭編 明治32年)に黄村が田辺松坡の詩に次韻(同じ韻字を用いて詩を詠むこと)した詩が載録されています。本来は十首ですが、詩集に収められているのは三首。

 

向山黄村(むこうやま こうそん 1826~1897 通称は栄五郎)は幕臣で、箱館奉行支配組頭、表御右筆・奥御右筆、外国奉行支配組頭、御目付、外国奉行を歴任した能吏です。駐仏公使として徳川昭武に随行してパリに渡り、ナポレオン3世にも拝謁しています。慶応年間(1865~1868)に将軍徳川慶喜から朝廷に提出された文書の殆どは黄村の手になるものだとされています。維新後は旧主徳川家達に随従して静岡に赴き(「駿府」と呼ばれたこの町を「静岡」と命名したのは黄村です)、静岡学問所頭取として後身の教育に励みました。学問所廃校後、東京に移り、明治11(1878)年、杉浦梅潭・稲津南洋らと共に晩翠吟社を創立し、詩作の余生を送りました。松坡田辺新之助が晩翠吟社に参加したのは明治17(1884)年4月のことでした。

 

黄村が松坡の詩に次韻した詩のタイトルは「次韻田邊松坡七月既望追蘇之作十疊(田邊松坡の七月既望の追蘇の作十疊に次韻す)」。松坡が蘇軾(蘇東坡1037~1101)の追善のために、蘇軾に所縁の七月既望の日(蘇軾の代表作である「赤壁賦」は「壬戌秋、七月既望」の句を以て始まります)に詠んだ十首に黄村が次韻したというのです。松坡と黄村との間で計二十首の詩の応酬がなされました。

 

二人の詩の応酬(唱和)から長い時を経て、松坡がこの応酬を回顧した文章を書いています。日下部鳴鶴が主宰した大同書会の『書勢』(第6巻第11号 1922.1)に掲載された「追蘇唱和」と題された文章です。それに基づいて、二人の詩の応酬を再現してみましょう。

 

松坡の詩は明治28(1895)年の晩翠吟社の詩会、恐らくは9月5日(というのは旧暦での明治28年「七月既望」は新暦で9月4日に当たりますが、晩翠吟社の月例会は毎月5日に開かれていました)、上野桜雲台での詩会で示されました。翌日、黄村から松坡に宛てて、松坡の詩に応えた詩が記された葉書が届いたのです。以後、9月17日まで松坡と黄村の間で十八首、計二十首の詩の応酬が葉書(或いは手紙)によって行われました。また、通例によってそれぞれの詩には短評が加えられており、それを担当したのが杉浦梅潭と田邊蓮舟でした。結局、松坡と黄村の二十首の詩の応酬を梅潭と蓮舟が批評し、最後には依田學海と杉浦梅潭が総評を記すという、何とも贅沢な唱和作品が出来上がったということになります。『書勢』の「追蘇唱和」には全作と短評、総評が記録されています。

 

この唱和について松坡は次のように記しています。

 

 黄村先生は、一生東坡を景仰して、書齋を景蘇軒と稱し、詩書共に坡翁を學ばれたるは世の遍く識るところなるに、之に對して、余が追蘇の唱和を試みしは、四段目の小相撲が横綱に當りしに同じく、殆ど滑稽の觀ある者に似たれども、先生がかくも無名の後進の相手をせられたるは、後生推輓の意厚きに由るものとして、偏に感佩に堪へぬのである。 」

 

この唱和がなされた時、横綱「景蘇軒」黄村は70歳、四段目の小相撲松坡は34歳でした。

 

総評において依田學海は「 黄村は近代の詩傑、固より恠むに足らず、而して松坡君後生を以て、隱として一敵國たり。 」と述べて松坡を高く評価し、梅潭は松坡を蘇軾の高弟の一人である黄庭堅(山谷)に擬えて次のように記しています。

 

「 黄翁は今の坡公、眞に大敵也、兄は今山谷の地位に立ち、屈せず撓ます、筆鋒鋭利、對仗精工、愈出で愈妙、乃是文壇の一大快戰、彩虹天に彌り、意氣古人に愧ぢす。 」

 

この唱和の2年後、明治30(1897)年に黄村が没すると、松坡は梅潭とともに晩翠吟社で詩の添削に当たるようになり、黄村の後を継いで『毎日新聞』漢詩壇(滄海拾珠)の選者となります。嘗ての「四段目の小相撲」が明治漢詩壇における地位を磐石なものにしたのです。

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