新着情報

松坡文庫研究会の活動  田辺先生の素顔

松坡文庫研究会

松坡文庫研究会の活動  田辺先生の素顔

松坡文庫研究会の活動  田辺先生の素顔
『漢詩春秋』 『漢詩春秋』

雑誌等に掲載された松坡田辺新之助関係の記事を集めています。『漢詩春秋』という月刊雑誌を十数冊手に入れました。同誌はジャーナリストで漢詩人であった上村売剣(才六 1866~1946)が主宰する「声教社」が大正6(1917)年から刊行したもので、松坡は売剣の古くからの詩友でもあったことから、詩や評論を寄稿しています。投稿詩の撰者も務めていました。

松坡の「辛未新年」詩二首 松坡の「辛未新年」詩二首

同誌昭和6(1931)年2月号には「辛未新年」と題された七言律詩二首が掲載されています。一首の冒頭には、

 

天使吾儕免凍飢

天は吾儕をして凍飢を免らしめ

 

長生七十未爲奇

長生七十 未だ奇と為さず

 

と自らの古稀を寿いでいます。また、その二首には、

 

眷属今茲一口加

眷属今茲に一口加わり

 

不歎萍迹尚天涯

萍迹を歎かず 尚お天涯

 

常欣偕老雙無恙

常に 偕に老い恙なきを欣び

 

已見三兒各作家

已に 三児おのおの家を作すを見る

 

とあります。ブラジルに移住した三男の定(さだむ)が前年に結婚し、家族が一人増えたことを喜びつつも、遠く異郷にいる子を思っています。「萍迹」は浮草の跡を意味し、あちこちさまよって一定の所に住まないことのたとえです。定は逗子開成中学校卒業後、志願兵となり、その後(昭和2年)にブラジルに移住しました。明治16年に結婚した鍈との生活も50年近くに及び、偕に老いつつがなく過ごしています。三人の男児(長男元、二男至、三男定)はそれぞれ独立し、古来稀なりという年齢を迎えて、家族の幸せを喜んでいます。

 

また、同年8月号では、鎌倉で松坡が主宰していた漢詩会「松社」による松坡の古稀祝宴(於江の島讃州樓)の様子が詳しく報告されています。松社同人が一同に会し、長年にわたる松坡の功績(教育者、漢詩人)を讃えています。同人による寿詩も多く掲載されています。

 

雑誌のこうした記事から、松坡田辺新之助先生の素顔を垣間見ることができます。松坡研究に温かみを添えるものです。

ともすると忘れ去られてしまうような資料(史料)の中に重要な記録が残されており、そうした歴史資料を保存し、未来に継承していくことの大切さを再認識しました。

This website is available in English
PC users can switch between the Japanese and English versions from the button at the top right of the screen, and smartphone users can switch between the Japanese and English versions from within the menu.