松坡文庫研究会
松坡文庫研究会の活動 詩人松坡の足跡
松坡文庫研究会が発足して一年が経ちました。
本会では田辺松坡(新之助)が雑誌等に寄せた文章や漢詩を収集し、漢詩人松坡の足跡を丁寧に辿る作業を続けています。
隨鷗吟社の月刊誌『隨鷗集』第95編(大正元年10月5日)には、松坡関連の記事が幾つか掲載されています。
一つは松江「剪淞吟社」の横山耐雪の寄稿で、同年7月中旬(大正改元直前)に大江卓と松坡が松江を訪れ歓待された様子が詳しく紹介されています。大江卓(1847~1921)は明治の政治家・実業家で、漢詩もよくしました。明治初年に神奈川県令を務めたことでも知られています。二人は京都・舞鶴を経て松江に入り、松江の名所を訪ね、出雲大社にも詣でました。
もう一つは、「山陰游草」と題された松坡の詩25首。鎌倉から松江、更に帰途の随所随所で詠んだ詩が掲載されています。大江卓とともに剪淞吟社の酒宴に招かれた折に詠んだ詩には、宍道湖を渡る
心地よい風に当たりながらの夏の宵の酒席の様子が描かれています。
また、「哭三千女」と題された一篇の詩も掲載されていました。前年石井氏に嫁し、大正元年8月11日に乳児を遺したまま19歳の若さで亡くなった次女を悼んでの詩です。
泣抱遺孫奈老親
(泣きて遺孫を抱き 老親いかんせん)
由來薄命可憐身
(由来薄命 憐れむべき身)
三千世界傷心日
(三千世界 傷心の日)
二十年時瞥眼春
(二十年の時 春を瞥眼す)
源氏山松生夕籟
(源氏山 松に夕籟生じ)
尼將軍墓結幽鄰
(尼将軍 墓を幽鄰に結ぶ)
不堪梧葉先秋落
(堪えず 梧の葉先ず秋に落つ)
夢寐猶疑事未眞
(夢寐になお 事未だ真ならずと疑う)
詩に詠まれている通り、三千は寿福寺に葬られ、後に田辺松坡夫婦の墓もその隣に建てられました。