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【松坡文庫研究会】呉昌碩の書

2022/03/26

松坡文庫研究会の活動  呉昌碩の書

 鎌倉市中央図書館に田辺松坡先生への為書の付された呉昌碩の書(絹本 篆体四字)があります。このたび、鎌倉市図書館振興基金活用事業の一つとして、同様に松坡先生への為書のある小野湖山の書、松方正義の書と共に修復保存とデジタル化が行われました。

 呉昌碩(ご しょうせき 1844~1927)は、中国清朝末期から民国にかけて活躍した画家・書家・篆刻家で、清代最後の文人といわれ、詩・書・画・篆刻ともに精通し、「四絶」と称賛されています。中国近代で最も優れた芸術家であると高く評価されています。

 篆体の四大字は「陶謝流風」。陶淵明(365~427)と謝霊運(385~433)の二人の優れた詩人が遺した美風ということです。陶淵明も謝霊運も晋末宋(南朝)初の詩人で、前者は田園詩をよくし、後者は山水詩に長じ、共に自然景物を描くことに優れていました。最初に「陶謝」と併称したのは杜甫でした。呉昌碩は松坡先生に陶謝の詩風を継ぐべしと告げようとしたのでしょう。

呉昌碩「陶謝流風」.jpg

呉昌碩 篆体「陶謝流風」書額(鎌倉市中央図書館蔵)


 引首印(朱文方印 刻字不詳)、篆書「陶謝流風」の後に七言絶句が添えられています。

依稀仙子住蓬莱   仙子に依稀し 蓬莱に住す
五字長城七歩才   五字の長城 七歩の才
安得愚公破成柊   安んぞ 愚公 成柊(=終)を破るを得ん
榑桑風色年移来   榑桑の風色 年移り来たる

 依稀は似ているさま、長城・七歩才は優れた詩文をたちどころに作る才を称える語です。愚公が終に山を動かした(「愚公山を移す」の故事)のは何に拠るのだろうか? 結句は榑桑、つまり太陽の出る所(日本)にあるという伝説上の神木の姿を詠じていますが、松坡先生を喩えているのでしょう。松坡先生に対する呉昌碩の最大の賛辞です。

為書「松坡先生属篆乞時正甲子夏日雨窓八十一叟呉昌碩(松坡先生、篆を属さんことを乞う。時正に甲子夏日雨窓。八十一叟呉昌碩)」から、この書が贈られた時期が判ります。1924(大正13)年夏、呉昌碩は81歳でした。

 姓名印は「俊卿」、雅号印は「倉碩」。

 体裁も整った見事な書で、修復が成ったのは本当に嬉しいことです。

 この書に対して、松坡先生は感謝の意をこめた七言律詩を詠んでいます。遠い中国上海の呉昌碩先生の八十一歳に祝杯を上げた(燈下一宵稱壽觴 燈下の一宵、寿觴を称う)とあります。

 ところで、呉昌碩の詩にある愚公の故事ですが、愚公が山を動かし得たこと、松坡先生が優れた詩を詠み続けてきたこと、それはいったい何によるのでしょうか。

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