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【松坡文庫研究会】菊池兵之助の墓

2021/05/16

鎌倉市中央図書館の近代史資料室書庫の資料箱に田辺新之助先生関連の多くの資料が長く眠っ
たままになっていました。資料の存在を再確認したのが昨年7月で、雑然と束ねられた詩稿類の
仕分け作業を少しずつ進めています。(ここまでは既に報告済み)
詩稿類は、
1.松坡田辺新之助先生の遺墨類
2.松坡先生の原稿類(詩稿、碑銘稿、墓銘稿など)
3.晩翠吟社の詩人たち(近代日本漢詩壇を代表する詩人たち)の詩稿
4.松坡先生が主宰した「松社」同人の詩稿
5.田辺先生宛の書簡
などです。一点一点内容を確認しながらの仕分けで、手間も時間もかかります。
田辺先生の稿の中に「菊池兵之助」の墓銘の稿がありました。タイトルは記されていません。
稿から、菊池兵之助は万延元(1860)年に生まれ、明治から大正を生きた人物で、田越村会議
員を長く務め、学務委員・郡会議員・郡参事会員等を経て、大正元(1912)年に田越村長とな
り、逗子に町制がしかれると初代逗子町長に選ばれた人物であることがわかりました。逗子町政
に大きく貢献した人物であることがわかります。
稿にはまた、
(大正)五年四月十四日在職病沒年五十七葬延命寺塋域盡力村町事人皆惋惜焉
       五年四月十四日在職にて病没、年五十七。延命寺塋域に葬らる。人皆惋惜す。

〇惋惜(ワンセキ)悲しみ惜しむこと。

と書かれていました。
 「延命寺」とは逗子の延命寺に違いありません。
 ということで、延命寺の広大な墓域で「菊池兵之助」の墓を探しました。「菊池氏」は中世三
浦氏の族党で、逗子には菊池姓の家が多くあり、延命寺の墓石には「菊池家之墓」と刻まれたも
のが多数あります。一瞬、怯みましたが、意を決して一基一基墓石を確認し、「菊池兵之助」の
墓を見つけることができました。門を入り、本堂に向って進むと右手に鐘楼堂がありますが、そ
の東側の大きな墓石です。
 正面に「先祖代々之墓 菊池」、背面に24文字10行、正楷の細字で田辺先生自身に手よる墓
銘が刻まれています。
 墓銘は兵之助の没後9年後に刻まれたもので、兵之助を継いだ第二代兵之助の依頼により田辺
先生が撰し、書いたものだということもわかりました。(「灯台下暗し」でした)
 墓銘中にはまた撰文の依頼に応じた理由として「余曾寓君家(余、曽て君家に寓し)」とあり
ました。田辺先生が逗子菊池家に住まいしたという記録はありません。思うに、第二開成創設準
備に東京から来豆した田辺先生及び東京開成の幹部(橋健三先生、太田澄三郎先生、石田羊一郎
先生)が、逗子の有力者菊池兵之助の家に仮寓したということではないでしょうか。

菊池兵之助墓1.jpg

菊池兵之助の墓

菊池兵之助墓2.jpg

墓石背面に刻まれた田辺先生による墓銘

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