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校史余滴第十四回「117年目の創立記念日」

2020/04/18
 4月18日(土)は逗子開成の創立記念日です。逗子開成は、1903(明治36)年に東京の開成中学校の分校・第二開成学校としてスタートしました。本日で117年目を迎えることになります。
 通常授業が実施されないまま迎える創立記念日は、後の時代から振り返る時、どのように認識されるのでしょうか。コロナウイルス拡大に伴う非常事態宣言発令により、日常は一変しました。各学校では、手探りのなか教育が模索されています。私たちは、まさに「歴史」に立ち会っています。
 さて、逗子開成の長い歴史を振り返るとさまざまな出来事がありました。そういった出来事を創立記念日に振り返ってみるのはいかがでしょうか。
 今回、松坡文庫研究会代表の袴田潤一先生より玉稿をいただきました。同研究会は、鎌倉市中央図書館の松坡文庫(本校創立者の一人で、初代校長となった田辺新之助先生の漢籍を中心とした旧蔵書)の全容を把握し、田辺先生の生涯と人となりを多角的に精研することを目的として設立された市民団体です。研究会の活動については、過去に本校ホームページ(詳細はこちら→ https://www.zushi-kaisei.ac.jp/news/cat26/ )でも紹介しています。
研究会では、文庫を整理するとともに、田邊先生の漢詩を収集し、定期的に購読しています。膨大な資料を渉猟する中、逗子開成創立30周年式典に列席した田邊先生の、生徒にあてた祝辞の中の漢詩が掲載された雑誌を手に入れることができたとのことです。以下、ご寄稿文をご覧ください。
『漢詩春秋』表紙と掲載詩改.jpg
『漢詩春秋』昭和7年7月号表紙と掲載された田辺松坡の詩

以下袴田先生寄稿文引用 
 創立記念日、おめでとうございます。第二開成学校として生まれてから117年、多くの人たちの力に支えられて今日を迎えられたことを心よりお慶び申し上げます。
 さて、人間の年齢の古い数え方に倣って、88年前の1932(昭和7)年5月18日、逗子開成中学校(旧制)大講堂で創立三十年記念式が行われました。生徒841名(5学年17学級)、教職員34名が、理事長・国分三亥、学校長・奥宮衛のもと、多くの来賓を迎えて創立記念日を祝ったのです。創立の中心人物で初代・第三代校長を務めた田辺新之助先生も来賓として招かれ祝詞を述べました。
 田辺先生は1913(大正2)年に逗子開成中学校校長を辞した後は、鎌倉女学校の校長を務めていましたが、同時に日本を代表する漢詩人として(号は松坡)、広く活躍していました。私が代表を務める松坡文庫研究会の活動の一つとして、松坡がその活動の中心とした「声教社」(主幹は上村売剣)が刊行した月刊雑誌『漢詩春秋』を収集していますが、これまで集めた76冊のうちの昭和7年7月号に、創立三十年記念式で田辺先生が詠じた漢詩が掲載されていたのです。「創立逗子開成中學校創立三十年祝典、賦似生徒」と題された長い詩(七言長詩 全22句)で、服部擔風による評語も付されています。詩題の「賦似生徒」は「賦して生徒に似(おく)る」、或いは「似(しめ)す」と読みますので、841名の生徒に語りかけるものでした。
 冒頭の6句は次のように詠われています。
創立恰逢三十年  創立 恰(あたか)も逢う 三十年
卒業之士垂三千  卒業の士 三千に垂(なんな)んとす
夙期百錬身心堅  夙(つと)に百錬し 身心の堅なるを期し
剛毅醇樸完精研  剛毅にして醇樸(じゅんぼく) 精研を完(まっと)うす
開物成務易所宣  開物成務は易の宣(の)べる所なり
出有用材非偶然  有用なる材の出づるは偶然に非ず
 勁い肉体と不屈の意志(意思)とを持ち、素直で飾り気がなく、真心をこめて丁寧に努め励む、そのような青年を育てることを創立からの目標とし三十年、卒業生は3,000人になろうとしている。そうした目標は『易経』(繋辞上伝)にある「開物成務」という言葉に基づくもので、優れた人材を育ててこられたのは偶然のことというのではない。
というのが大意です。
 詩は更に、神聖な気が広がり満ちる青い海に面し、雲の上に高く聳える美しい富士の頂きを仰ぎ見ることのできる逗子の地を校地として選んだこと、そうした環境で学校生活を送れば心のいやしさなど失せてしまうのだ、と詠います。
 詩の中で、田辺先生は自分のことについても触れています。創立にあたり自分も僅かながら力になり、当時を思うと心が沸き立つようだ、年老いて白髪頭になった今日、君たちに詩を贈るのはそうした縁があるからなのだ、と。万感胸に迫るものがあったのだと思います。
 詩は生徒への決然とした強いメッセージで締めくくられます。
学問無他唯勉旃  学問は唯勉旃(べんせん)に他ならず
 今日、逗子開成ではことあるごとに「弛まぬ努力」ということが言われていることでしょう。校是ともいうべきこの言葉は、「開物成務」から田辺先生の「勉旃」を経て、120年近くにわたり逗子開成の精神に脈々と流れ続けているのです。
 田辺先生の詩の一句に倣えば、「微涓(びけん わずかな滴)を輸(おく)」った私としても、今日の創立記念日を多くの方々と共に慶び、逗子開成の今後の益々の発展を心より祈念いたします。」
寄稿文以上
 ぜひ、家庭で油断しているであろう生徒たちにも熟読、心に刻んでもらいたい内容です。
 なお、以下は本校ホームページ「校史余滴」第一回~第十三回の記事となります。是非、これを機会に逗子開成の117年という歴史の一端もご覧ください。
【参考:校史余滴ページ】 → https://www.zushi-kaisei.ac.jp/news/cat23/
第13回 第一回卒業式
第12回 ああ壮烈 義人 廣枝音右衛門
第11回 田邊家之墓 墓参
第10回 三船久蔵と高野佐三郎
第9回 橋健三先生
第8回 校歌制定
第7回 校章の変遷
第6回 長柄運動場
番外編 八方尾根遭難事件慰霊の登山 報告
第5回 校舎全焼と復興
第4回 綽名(あだな)で結ばれた教師と生徒
第3回 実況! 創立三十年紀念大運動會
第2回 千葉吾一のこと
第1回 田邊新之助、逗子・鎌倉と黒田清輝
カテゴリー :
松坡文庫研究会
校史余滴

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