7月最後の土曜日、国際フラワーアレンジメントメント協会(IFA)公認講師の脇坂由紀香先生をお迎えし、PTA事業部主催のサマーリース講座が開催されました。
今回使用したカスミソウは、繊細な茎とかわいい小花が魅力です。小さいため乾きやすく、ドライフラワーにしても楽しめるので、サマーリースにはぴったりです。
お花とともに、夏らしい爽やかな色のブルースターフィッシュや表と裏で違った表情を見せるホワイトコクルスやかわいい形のクリスタルシェルという貝、リボンなどをあしらって仕上げていきます。
カスミソウをカット
数本ずつ束にとってリースにワイヤーで止めていきます。
皆さんお隣の方とお話をしながら和やかに製作が進んでいき、講師の先生から
「カスミソウは大胆に短めにカットしましょう」
「ワイヤーはきつく巻きすぎるとお花が苦しいですよ」
など、アドバイスがありました。
PTA会長も参加
同じ材料から、それぞれ違ったリースができました。
スターフィッシュや貝殻は、おうちでゆっくり配置を考える、という方もおられました。
カスミソウがドライになって少しさみしくなったら、スターチスなどを足してアレンジしても楽しいそうです。
講師の脇坂先生、企画してくださった事業部のみなさま、ありがとうございました。
こんにちは、今日は砂金堀り大会・砂金甲子園の報告をさせて頂きます。
甲斐黄金村湯奥金山博物館が主催する砂金堀り大会・砂金甲子園に本校から14名の生徒が出場しました。
1日目の7月29日は第23回砂金り大会が実施され、各学校及び一般の方々を含めて参加者200人ほどが参加いたしました。中学生以下のジュニア部門では6 kg、高校生以上の男女一般部門では10 kgの砂の中に入っている金を、制限時間10分以内にパンニング皿という砂金を採取する道具を使って見つけ出します。速さと正確さが必要な競技です。
今回は本校高校2年原島 慧くんが第3位に入賞し表彰されました。原島くん、おめでとう!
2日目は、第20回砂金甲子園!
全国から集まった学校12校の団体戦になります。昨年よりも参加校が増えて、今年の参加校は灘、開成、大妻、麻布、明大中野、逗子開成、市川学園、神戸女学院、西大和学園、桐朋学園、山梨学院でした。
錚々たる学校のなか、本校は第3位入賞しました!
個人戦でのパンニング皿の種類が決められた5種目の中で高校2年近藤 佑太くん、高校2年原島 慧くんの両者がそれぞれ1位を獲得して、追い上げを見せてくれました!
参加してくれた生徒たちにとって、楽しい2日間になったと思います!
また、来年も参加する予定ですので応援のほどよろしくお願い致します。
今日は夏休み前最後の登校日。放送での集会に向けて、生徒会長と開成祭実行委員長が原稿の最終チェックを行っていました。
大学受験の天王山を迎える高校3年生は寸暇を惜しんで勉強に励んでいました。
いつものように、朝は読書ではじまります。
メディア委員が放送室の準備を整えます。
放送集会がはじまりました。まずは開成祭実行委員長のお話。120周年を記念して、全生徒全教職員力を合わせて、写真を利用したモザイクアートを作成するということ。完成がいまから楽しみです。
続いて生徒会長のお話。「夏休みをなんとなく過ごすのはもったいない。夏休みは、普段の活躍の場を外に広げる貴重なチャンス」と全校生徒に語り掛けました。
続いて学校長のお話。「世界は与えられるものではなく一人ひとりでつくっていくもの」「健康と時間をコントロールする」「メタ認知に磨きをかける」「目標を持つ」「歴史に、経済に、災害に、世の中に目を向ける」など考えさせられる言葉が多数ちりばめられていました。
生徒たちは教室で、真剣に耳を傾けていました。
放送での全校集会が終わると、グラウンドに整列をしている人たちが。何がはじまるのだろうと視線の先に行ってみると
カメラマンの方を発見
卒業アルバムの集合写真の撮影でした。一生の思い出になる貴重な一枚の撮影が無事終了。あとはやるだけ!
LHRが終了したクラスから大掃除がはじまりました。普段掃除ができないところをきれいにする絶好のチャンスですね。みんな手際がいい。
名残を惜しみながらわちゃわちゃしている中学生。よい友に恵まれましたね。
皆さん、よい夏休みを!
7月4日に高校2,3年生が『荒野に希望の灯をともす』を鑑賞しました。
(作品概要)
アフガニスタンとパキスタンで35年に渡り、病や貧困に苦しむ人々に寄り添い続けた、医師・中村哲。誠実な人柄が信頼され、医療支援が順調に進んでいた2000年、大干ばつに直面し、中村の運命は大きく変わる。渇きと飢えで人々は命を落とし、農業は壊滅。医療で人々を支えるのは限界だと決断した中村は、用水路の建設を決断する。大河クナールから水を引き、乾いた大地をよみがえらせるというのだ。医師にそんな大工事などできるのか? 数々の技術トラブル、アフガン空爆、息子の死......。専門家がいないまま始まった前代未聞の大工事は、苦難の連続だった――
戦火のアフガニスタンで21年間継続的に記録した映像から、これまでテレビで伝えてきた内容に未公開映像と現地最新映像を加え劇場版としてリメイク。日本では中村の生き方が中学や高校の教科書で取り上げられ、評伝などの出版も続いている。なぜ医者が井戸を掘り、用水路を建設したのか? 中村は何を考え、何を目指したのか? 混沌とする時代の中で、より輝きを増す中村哲の生き方を追ったドキュメンタリー。これは「生きるための」戦いだ。
※生徒の鑑賞文には映画の内容も含まれますのでご注意ください。
(高3E Tくん)
医師・中村哲がインタビュー中に何度も口にした「平和」という二文字。日本に住んでいては幾度となく聞いた単語である。しかし、私が思うに多くの人々が口にする平和とは安全のことではなかろうか。だが、彼が口にした平和とは往々にして人々が維持する安全ではない。中村哲は平和を乱されたアメリカがその報復と称して行った武力攻撃の下で用水路建設を続けた。世界は平和を取り戻そうとするアメリカをどのような目で見ていたのかは分からない。しかし彼は断じて言った。平和とは誰かの良し悪しを正すものでもなく、悪を成敗した結果でもなく、人々が「生きて」暮らすことだと。私は生まれてからきっと何不自由なく暮らしてきたのだろう。住む家にも食べるご飯にも着る服にも困ったことはない。彼の言う平和とは、これらを全て失って安全でなくとも、心にただ一つの灯を残しつづけることである。ただ「生きる」という灯を。中村医師の命を守ることへの情熱はすさまじく、当初は「医師がどうやって用水路を作るのか」と疑問に思っていた人々も沢山の人々が協力し最終的に皆の力で作り上げたのだった。更に、私が感銘を受けたのは作業中の人々の表情だった。彼らは皆、笑顔だった。このことから言えるのは、中村医師が難民に与えたのは、治療や水ではなく、正に命を灯す希望であったのだ。彼は平和を望み、その手助けをする中で、人々に希望を与えつづけていた。彼は何者かの凶弾に倒れ、今はもうこの世にいない。しかし、今も尚あのアフガンの土地が多くの緑で茂っているのは、用水路によるものだけではなく、彼が守った灯と人々に与えた希望に応えようとする、アフガンの人々のレクイエムではないかと私は思うのだ。