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映画『PK ピーケイ』鑑賞文ご紹介

2017/10/09

映画「PK ピーケイ」鑑賞文

中3・高1の生徒がインド映画「PK」を鑑賞しました。地球を偵察しにやって来た宇宙人PKは、目にするもの全てが新鮮。中でも「宗教」や「神様」の存在に大きな疑問を抱きます。

【注意】鑑賞文は時に映画の重要な内容や結末に触れる場合がありますので、お気を付け下さい。

高1 Y君
 
 僕も「宗教なんて」と口にしたことが人生で数回はある。うそっぱちだとか、一番稼ぎやすい職業だとかいうことだ。
 この映画の監督もまた、僕と同じように宗教について考えたことがあるのだろう。「かけ間違い」や「恐怖ビジネス」なんて言葉をうまく使って、宗教の嘘とも言うべき部分を示していた。率直にそんな所はおもしろい。
 だけどこの映画はそれだけで終わらなかった。PKの「兄弟」は、宗教を守ろうとするテロリストにより死んでしまう。
 無闇に宗教を否定するだけでは間違いなのだ。どうしても頼るものがなくなって、宗教にしか頼れなくなった人達だっている。そういう人達の宗教を取り上げるようなら、それはそっちの方が悪なのだ。PKはそれを理解した上でこう続ける。人に頼られるはずの宗教でも、それが間違った方向に人々を動かしてしまうなら、「かけ間違い」のイタズラの所為で、くだらない理由でジャグーとサルファラーズの間が引き裂かれてしまう
のなら、そんな宗教は「消えろ」と。
 宗教の良い所も悪い所も映した映画だと思った。頼られることはあっても、人々をおびやかすようなことを宗教がしてはならないのである。これからも世界に宗教は残りつづけるだろうけど、くだらないことで「クツしか残らない世界」になってしまわないよう、ジャグーとサルファラーズやジャグーのお父さん、そしてPKの間の様に、宗教なんかに呑まれることのない強い愛に溢れた世界になるようにしたいと思った。


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